TOTO_(企業)
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TOTO株式会社
TOTO LTD.

本社社屋
種類株式会社
市場情報東証プライム 5332
1949年5月16日上場名証プレミア 5332
1949年5月16日上場福証 5332
1949年6月28日上場OTC Pink TOTDY
略称TOTO
本社所在地 日本
802-8601
福岡県北九州市小倉北区中島二丁目1番1号
設立1917年大正6年)5月15日
(東洋陶器株式会社)
業種ガラス・土石製品
法人番号1290801002603
事業内容衛生陶器システムトイレユニットバスルームシステムキッチンなどの製造販売
代表者代表取締役会長取締役会議長
喜多村円
代表取締役社長執行役員
清田徳明
代表取締役副社長執行役員
白川敬
資本金355億7,900万円
(2022年3月31日)
発行済株式総数1億7,698万1,297株
(2022年3月現在)
売上高連結:6,452億7,300万円
(2022年3月期)
営業利益連結:521億8,000万円
(2022年3月期)
経常利益連結:568億7,000万円
(2022年3月期)
純利益連結:401億3,100万円
(2022年3月期)
純資産連結:4,133億7,200万円
(2022年3月期)
総資産連結:6,410億2,500万円
(2022年3月期)
従業員数連結:34,614人、単独:7,984人
(2022年3月31日現在)
決算期毎年3月31日
会計監査人EY新日本有限責任監査法人
主要株主日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 10.45%
明治安田生命保険 6.12%
日本カストディ銀行(信託口) 6.09%
日本生命保険 2.55%
STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505223 2.31%
(2018年9月30日現在[1]
主要子会社グループ会社の項目を参照
関係する人物大倉和親(初代社長)
百木三郎(元社長)
江副孫右衛門(元社長)
江副茂(元社長)
古賀義根(元社長)
重渕雅敏(元社長)
木瀬照雄(元社長)
外部リンク ⇒www.toto.co.jp
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TOTO株式会社(トートー、: TOTO LTD.)は、福岡県北九州市小倉北区に本社を置く、衛生陶器をはじめとする住宅設備機器などの製造販売を行うメーカーである。森村グループの一員。東証プライム上場。日経平均株価採用銘柄。

旧社名は東洋陶器株式会社(とうようとうき、英: TOYO TOKI CO., LTD.、略称:東陶、TTK)。1970年3月1日の東陶機器株式会社(とうとうきき、英: TOTO LTD.)への社名変更を経て、2007年5月15日に従来商標・ブランドとして用いてきたTOTOを正式社名に変更した。

現在の企業スローガンは、「あしたを、ちがう「まいにち」に。」
概要東陶機器時代に生産した多目的トイレ。これらの取り組みにより、2006年にバリアフリー化推進功労者内閣総理大臣表彰を受賞

日本では、トイレ洗面器などの衛生陶器で約6割のシェアがあり第1位である。ユニットバスはTOTOが最初に発売したものである。

技術面では、ウォシュレット温水洗浄便座)のほかにも、便器の汚れを効果的に落とす「トルネード洗浄」、防汚技術の「セフィオンテクト」、お湯がさめにくい「魔法びん浴槽」など意欲的に取り組み、各賞受賞商品も数多い。

バリアフリーユニバーサルデザインについての意識は国内企業の中でも高く[2]、様々な商品を投入するとともに、ウェブサイト上でも広く展開をしている。また、障害者雇用のために、北九州市などと共同で第三セクターの子会社(特例子会社)サンアクアトートーを設立して、社会進出の手助けも行っている。

リモデル事業にも取り組み、この分野では大建工業YKK APの両社と提携しており、3社共同のショールームもある。ライバルであるINAXトステムと経営統合して住生活グループとなったこと(現在はLIXIL、INAXはその1ブランドとなった)に対抗したものである。

主な市場は日本。そして米国中国。日本は建基法不況(2007年後期の建築基準法改正に端を発した、住宅マンションの着工件数の激減と、年金記録問題により老後への不安が増加したことによるリフォーム件数の減少)により販売状況が思わしくないことから、アジア欧州への販売を強化している[3]

ショールームは全国に104箇所(2012年12月現在)ある。出版部門も持っており、建築関連の書籍を多数発行する(INAXも同様の事業を(現在のLIXIL出版にて)行っている)。他、少数だが水回りのネタを扱った漫画も発行していた(内容は現場作業者向けのマニュアルに近い)。東京・青山には「ギャラリー・間」、東京・大阪・福岡にはTOTOテクニカルセンターがある(予約制)。
主な動き


アジア - 2007年4月、シンガポールにTOTO Asia Oceania Pte.Ltd.を設立[3]

欧州 - 2008年4月、TOTO Europe GmbH.を設立。設立にあわせ、PagetteへM&Aを実施[4]

沿革

日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)の製陶研究所が母体となり、1917年に東洋陶器株式会社として設立され、森村財閥の一角を担った。豊富な石炭を産出する筑豊炭田に近いなど原料の調達に有利な旧豊前国企救郡(現:北九州市)に本拠地を置き、現在に至る。初めて水洗便器の本格的国産化を実現したのも同社である。

なお、創業から1960年代までは食器も製造していた。特に瑠璃色の色付け技術を得意としていた。現在のロゴマークの色はこの瑠璃色を採用している。
創業までの経緯

1904年の日本陶器合名会社の創立に際しては、森村市左衛門とその義弟である大倉孫兵衛、孫兵衛の長男の長男・和親らが出資者となり、大倉和親が初代代表社員となった。大倉和親はこの前年の1903年に製陶技術の視察のために渡欧しており、この時に衛生陶器(浴槽、洗面台、便器など)の知識を得て製造に関心を持ったとされる。洋風建築の増加にともなって衛生陶器の需要が増えたことから、1911年に東京高等工業学校(現・東京工業大学)教授の平野耕輔が渡欧する際、ヨーロッパにおける衛生陶器の実情調査を依頼している。この結果などを受けて翌年1月に大倉孫兵衛・和親の私財10万円(20万円との説も)によって日本陶器社内に製陶研究所が設立され、衛生陶器製造の研究が始まった。

硬質陶器質の衛生陶器を生産するため、1913年から1916年にかけて手洗器・洗面器類が6,541個、水洗式の大便器が1,432個、同じく小便器が1,249個も試作された。試験販売の結果が好評だったことを受けて大倉和親は事業化を決定し、企救郡板櫃村(後の小倉市、現・北九州市小倉北区)に約17万平方メートルの土地を購入して工場を建設した。この地を選んだのは、

当時、日本一の石炭生産量を誇った筑豊炭田に近く、隣接する河川を利用して燃料の調達が可能。

朝鮮半島の良質なカオリン九州天草陶石など、原料の産地が近い。

鹿児島本線日豊本線の分岐に位置し、1899年に開港した門司港も近く、商品の配送に好都合。

など主に運送面での利点が大きかったためとされる。

衛生陶器の製造を行なう新会社・東洋陶器株式会社の設立に先立って、1916年5月1日に日本陶器の小倉工場という名目で工場の建設が始まった。当初より新会社の工場となる予定であり、翌年1月1日定礎式が行なわれている。森村家、大倉家など森村組の関係者が出資して東洋陶器は1917年5月15日に設立された。筆頭株主の大倉和親が初代の取締役社長となり、実務的な運営を行なう支配人には百木三郎(後に2代目社長に就任)が選任されている。市場の小さな衛生陶器だけでは経営が困難なため、会社発足時の定款では事業目的は「陶磁器の製造・販売」とし、当面は食器などの製造も行なうこととした。
大正期の東洋陶器株式会社

会社設立時の資本金は100万円、従業員数は約50名であった。従業員は日本陶器や森村組から転入した月給ないし日給制の社員と、それ以外の職工に分けられていた。衛生陶器はロクロや泥漿鋳込法を用いて製造され、これにともなって日本陶器の製陶研究所は解散した。衛生陶器の知名度自体が低かったため、市場の拡大を目指して高所得者や旅館などのユーザー向けに衛生陶器を解説する冊子も制作している。また、日本陶器から技術指導や素材供給などの協力を得て磁器製の食器も作られた。こちらは第一次世界大戦によるヨーロッパの生産能力低下などから海外での需要が大きく、コーヒーカップ・ソーサーなどがアメリカイギリスに輸出された。輸出は当初森村商事を通じて行なわれ、1922年からは東洋陶器が直販するようになった。また、国内販売は日陶商会(後のノリタケ、現・ノリタケテーブルウェア)が担当した。

ヨーロッパの戦後復興の需要増に対応するため1919年には早くも工場が増築されたが、翌年3月の株式市場の暴落を契機とする恐慌によりアメリカでは国内産業保護のための関税引き上げが検討された。これに対処するため森村財閥では日本陶器がアメリカ市場を一手に担当する事を決め、東洋陶器は工場の拡張を一部中止するとともに従業員の10%を解雇している。また、新たな海外の販路を開拓するために低廉な硬質陶器製食器を開発し、これは東南アジアなどに出荷され主力商品として育っていった。前年に決算が黒字に転換したことを受け、累積赤字を処理するため1923年4月には資本金の75%が減資されている。

1923年9月の関東大震災では東京出張所が焼けたが、住宅の復興にあわせて衛生陶器や食器の需要が発生し、丸ビルへの衛生陶器の納入などによって売上が増加した。その後も建築資材の価格低落で耐震・耐火性の鉄骨コンクリート構造の大型ビルの建設が続き、また東京市下水道の普及が進んだことから衛生陶器の需要は伸びつづけた。東洋陶器はこの時期に皇居那須御用邸官庁ホテルなど様々な顧客に衛生陶器を販売している。

食器事業では1926年硬質磁器製の和食器を製造することに成功するなど、国内市場の売上を拡大していった。また森村財閥内の日東陶器商会の直売店であった十一屋商店、稲田商店、精陶商会(それぞれ東京大阪、小倉)の3店と1924年に新たに契約を交わし、東洋陶器の食器を専門に扱う販売店としている。海外では1926年に、ジャワ島スマランに日本陶器との合弁で匿名組合日東洋行を設立し現地の販売代理店としたが、3年後に業績不振で閉鎖した。
昭和・平成期の東洋陶器、東陶機器・TOTOへの商号変更

1962年、商品部門の集約のため、それまで商品ごとに分別されていたロゴを食器用と同じ筆記体の「Toyotoki」ロゴに統一。

1962年の筆記体ロゴ

多目的トイレの開発に際して水洗ボタンの検証

1969年、住宅の近代化などにより“本業”の衛生陶器・水栓等で十分に稼げるようになったことで、食器生産を終了。また、略称の「東陶」が浸透したことなどから、現在の「TOTO」ロゴの使用を開始。翌1970年、食器事業から完全に撤退し、“本業”に事業集約することを明確にするため、東陶機器株式会社へ商号を変更した(略称の「TOTO」は社名呼称として使用)。福岡県は全国的に見ても渇水の常襲地帯の一つとして知られ、1978年に発生した福岡大渇水を契機として、福岡市が節水条例を制定したことに対応し、節水型トイレを開発。以後、改良を重ねており、現在は節水型トイレが標準商品となっている。

海外事業としては、1977年インドネシアに初の合弁会社、PT Surya Toto Indonesiaを設立[5]1980年8月には、韓国ロイヤル金属との合弁会社、ロイヤル東陶金属株式会社(ROYAL TOTO METAL)を韓国に設立[6]。(2009年合弁を解消)

1980年代に発売を開始したシャワー式トイレ「ウォシュレット」は大ヒット商品となり、コピーライター仲畑貴志を起用したテレビコマーシャルでのキャッチコピー「おしりだって、洗ってほしい。」は流行語になった。

2006年、TOTOが開発した光触媒技術(ハイドロテクト)が恩賜発明賞を受賞した。

2007年5月15日に創立90周年を迎えた。


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