過去の東京進出時に出演したレギュラー番組と敗因は以下の通り。
1回目(1993年) フジテレビ『新しい波』 - モテたい一心でカッコつけすぎていた。当時の木下は髪がフサフサだった(当時の不摂生が原因で現在のスタイルになった)。
2回目(1995年) フジ『新品部隊』 - 他事務所の共演者(ネプチューン、ユーラシア大陸横断ヒッチハイク出発直前の猿岩石など)と仲良くなれなかった。
3回目(1997年) フジ『東京Aランチ』 - 担当ディレクターのヘッドハントによる東京放送(現TBSテレビ)移籍。
4回目(2003年) テレビ朝日『内村プロデュース』 - 番組終了。
『東京Aランチ』は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の各曜日のディレクターがお気に入りの若手芸人をプロデュースし、『いいとも!』のレギュラーに登用するという企画で金曜レギュラーが内定。共演者への挨拶まで済ませていたが上記の理由でTKOのみがレギュラー取り止めとなり、また『内村プロデュース』では腕やキャリアの割に売れていないことのギャップが面白がられて呼ばれていたが、これも番組自体が終了するなど不運が重なった経緯がある。
2008年5月17日放送の『ザ・イロモネア』で全ジャンルステージクリア、100万円獲得。
2008年のキングオブコントにて決勝進出。しかしAブロック最下位、全体でも7位という結果に終わってしまう。
2009年9月度のS-1バトルで、初出場ながらも優勝。吉本所属の芸人以外では初の優勝者となった。
2010年のキングオブコントに2度目の決勝進出、1本目に「葬式」で「820点」を記録。ファーストステージを7位で折り返すがセカンドステージにて「モロゾフ後藤・ディナーショー」を披露し「916点」[注 2]を記録、総合3位となる。
2011年のキングオブコントには2年連続3回目の決勝進出、決勝進出時の年齢の最高齢記録及び決勝進出最多記録を樹立した。ファーストステージでは「マジシャンとアシスタント」を披露し「757点」を記録。しかしトップのロバートとの差は「185点」と開かれてしまい、昨年同様ファーストステージを7位で折り返すこととなった。セカンドステージでは「裏口入学」を制限時間4分ギリギリまで使って披露[注 3]。「877点」を記録するも結果は6位だった。
東京・松竹芸能新宿角座において2011年よりTKOトークライブ「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}戯(ざ)れ言(ごと)」を開催している。
近年は双方とも俳優業にも力を入れている。
2020年3月15日を以って木下が松竹を退所。これ以降2023年1月までコンビ揃っての活動は見られなくなる。
2022年7月23日を以って木本が松竹を退所。これによりコンビ揃って松竹芸能を退所した。
2023年1月23日、木本が会見を行い、木下も同席し、3年ぶりにコンビでの活動再開を発表した[1]。また2人のイニシャルと大阪を組み合わせた「TKO」の意味が『T:とにかく K:苦労してる O:おっさん』の意味となったことを冗談交じりに明かした[2]。同年2月23日に行われたエル・カブキの配信単独ライブ「世界一決定戦」で活動復帰後初めてネタを披露した[3]。ライブ出演は約4年ぶり。
ネタ
コンビ
主にコント。木下がとぼけた感じでボケまくる独特なコントを展開する。
1つのネタを作る際に、ネタ合わせをみっちり2回行っている。
歌などで木下が木本に合わせようとする「知ったかぶり」や、漫才で木下が打ち合わせと違う言動をするネタ[注 4]、大山ドラえもんネタをよく演じている。また、木本が作ってきたという設定の全然面白くないネタ(「タクシー」「銀行強盗」など)を一度披露し、ボケ(木下)のセリフだけ変えて面白くするというネタもやっている。
また、キングオブコント2010で披露した「モロゾフ後藤」をベースに2012年頃から始まった爆生レッドカーペットのコラボカーペットのコーナーにおいて、大物歌手(山本譲二、松崎しげる)とコラボしてネタを披露していた。
ネタの合間のつなぎとして木本が肩を交互に上下させながら「ズッツッチャッチャッ」と発し、木下が続けてDJのスクラッチのまねをしながら「チキチキチー」と言うのが恒例となっている。
かつてショートコントを演じる時は舞台に登場した際、自己紹介をラップにして歌っていた(上記のブリッジはそれの名残)。
コントの設定として漫才師を演じるというパターンはあるが、本格的な漫才は第1回M-1グランプリへ出場した時が唯一。
逸話
コンビ
半年先輩によゐこ、1年先輩にはDA-DAがおり、同学年のこの2組とは若手時代に一緒にアメリカ村で路上ライブをするなど仲がいい。
千原ジュニアは芸歴では先輩だが、年下であり二人ともタメ口で「ジュニア」と呼んでいる。因みに半年先輩のよゐこはジュニアのことを「ジュニアさん」と呼んでいる。(ジュニアの方がよゐこより先輩になる。)
ココリコや土田晃之は本来は後輩にあたるが、なぜかお互い同期として接している。
くりぃむしちゅーやカンニング竹山等はほぼ同期だが敬語で話す。
後輩にはオセロもいる。オセロが地方の営業に遅刻した際は2人が泣くほど叱りつけたが、後日事務所からそれについて逆に叱られた。現在は松嶋尚美(元オセロ)と、のイズ時代から交流のあるヒサダトシヒロの結婚式に共通の友人として木本が出席するなど良好な関係となっている。なお松嶋からは、後輩であるが年齢は同じという理由で「くん」付けで呼ばれている。
『爆笑オンエアバトル』では初出演(1999年4月3日放送)で270KBながらオンエアを果たした。これは最低オンエアKBの中でも歴代1位であり、それから番組終了まで破られなかった。なお、この時は出場12組中7組がオンエアとなるルールだった(第1回・第2回放送まで)。
KBS京都のラジオ番組『森脇健児の青春ベジタブル』で、養成所時代にコンビ結成初めての放送出演を果たす。当時は『ベンチウォーマーズ』として、のイズなどと一緒に松竹タレント総勢11名として出演。ラジオ・コント・ジングルなどで活躍した。因みに、TKOなどベンチウォーマーズ時代の『青春ベジタブル』を制作していた福本英樹元ディレクターは、株式会社テイスティ・モーサルズを南麻布に創業し、食材のスカウト・ハンターやグルメ家として有名。
森田まさのりが『ヤングジャンプ』で掲載した読み切りの『柴犬』はTKOをモデルにした話だが、当時は2人が無名だったので「取材協力 松竹芸能」になった。
2人とも中学時代から『チェッカーズ』のファンだった。現在も藤井フミヤの大ファンであると公言している。ライブ終了後の出待ちをするなどいわゆる追っかけをしていた。コンビが徐々に露出の増え始めた頃、関係者を通じてフミヤと対面。連絡先を交換するなど天にも昇るような気持ちになった。しかしその後コンビは低迷期に入り、第一線で活躍し続けるフミヤのライブに足を運ぶことが「恥ずかしい」と感じ、ライブに行きたい気持ちを自制していた。再び転機が訪れキングオブコントやS-1バトルなどで活躍。その姿を見届けたフミヤから木下の携帯に電話が掛かってきて、励ましの言葉を掛けてくれたとのこと。
ダウンタウンとは事務所こそ異なる(ダウンタウンは吉本)が、松竹の中ではよゐこと並んで共演の多いタレントでもあった。
出演
テレビ番組
過去の出演
爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績4勝6敗 最高413KB