THE_BLUE_HEARTS
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アルバムについては「THE BLUE HEARTS (アルバム)」をご覧ください。

THE BLUE HEARTS
出身地 日本 東京都渋谷区
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オルタナティヴ・ロック[1]

インディー・ロック[1]

ポップ・パンク[1]

カントリー[1]

ロックンロール[1]

活動期間1985年 - 1995年[2]
レーベル

メルダック(1987年 - 1989年)

EAST WEST JAPAN(1989年 - 1995年)

事務所ジャグラー
公式サイト

メルダック

EAST WEST JAPAN


旧メンバー

甲本ヒロトボーカル

真島昌利ギター・ボーカル)

河口純之助ベースコーラス

梶原徹也ドラムス

(途中脱退者は下記を参照)

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンドである。1985年結成。1987年メジャーデビュー。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し1995年に解散した。略称はブルハ。

代表曲は「リンダリンダ」、「TRAIN-TRAIN」、「青空」、「人にやさしく」、「情熱の薔薇」、「」など。

バンド名の由来は、甲本ヒロトによると「意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」だからつけたという[要出典]。
概要

1985年結成。1987年にシングル「リンダリンダ」でメジャーデビュー。解散から30年近く経過した近年でも、彼らの楽曲はCMやドラマや映画などに多く使われている[注釈 1]

主にボーカルの甲本ヒロト、リードギターの真島昌利が作詞作曲を担当した。

THE BLUE HEARTSの甲本ヒロト真島昌利の書く詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)[3]中でも、その文学性が高く評価されている(なお、教材本文の講義は、2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。

THE BLUE HEARTS』から『TRAIN-TRAIN』までの前期三部作は、ブルースをルーツとしたメッセージ性の強い、独自の日本語ロックの世界を構築していたが、イーストウェスト移籍後からの後期作品は、後のTHE HIGH-LOWSに繋がる様々なスタイルを取り入れ、メッセージ性を無視した楽曲も多い。
メンバー

甲本ヒロト(こうもと ひろと、1963年3月17日 - )- ボーカルブルースハープギター
ラウンドアバウトザ・コーツ。解散後ヒューストンズ↑THE HIGH-LOWS↓、現ザ・クロマニヨンズ。愛称は「ヒロト」。低音の効いた太い歌声が特徴。たまに吹くブルースハープは独学で、高いレベルまで達しているが、ベントやトレモロなどの技術は「偶然できた」とのこと。演奏する曲によってギターを弾くこともある。テレビなどのインタビューで答えるのは、ほとんど甲本が担当。デビュー時は坊主頭だった。河口と一緒に金髪に染めている時期もあった。牛乳が好き。

真島昌利(ましま まさとし、1962年2月20日 - )- ギター、ボーカル、コーラス
THE BREAKERS。解散後↑THE HIGH-LOWS↓、現ザ・クロマニヨンズ。愛称は「マーシー」。しゃがれた歌声が特徴。他の3人に比べれば、テレビなどに出演してもあまり喋らず、表情を変えないことが多い。甲本とは、およそ半々の割合で曲を創り上げた。頭のバンダナがトレードマークだが、ネイティブ・アメリカンの羽飾りを着けたこともあった。

河口純之助(かわぐち じゅんのすけ、1961年4月26日 - ) - ベース、コーラス、ボーカル
解散後THE LONDON TIMES、ザ タイムトラベラーズ。愛称は「河ちゃん」。結成当初はバンドのマネージメントを行っていたが、半年ほどでベースが脱退したため急遽1985年8月に正式メンバーとして加入。本名は河口 宏之(- ひろゆき)で、当初は本名を名乗っていたが、デビュー直前あたりから「純之助」を名乗る。ベース以外にも真島と共にコーラスを担当。真島と対照的な高音の澄んだ歌声が特徴。甲本と一緒に金髪に染めている時期もあった。1991年に幸福の科学に入信した[4]

梶原徹也 (かじわら てつや、1963年9月26日 - ) - ドラム

解散後The 3peaceサルサ・ガムテープTHE BIG HIP。愛称は「梶君」。元々はブルーハーツのファンで、ライブチケットのモギリなどをやっていた。その後ドラムの脱退を知り、ヒロトの自宅にしつこく電話してオーディションを受けさせてもらい、1986年4月に正式メンバーとなる。モヒカンヘアーが特徴であるが、参加当初の髪型はモヒカンではなく角刈りに近いヘアスタイルであり、後期には長髪にして結っていたこともある。
過去に在籍したメンバー

望月正水(もちづき まさみ)-
ベース
愛称はマサミ。結成当初のメンバーであるが飲酒問題で体を壊し、半年ほどでバンドを脱退している。音源としては1985年6月7日新宿ロフトで録られた音源のベーシストは脱退直前の彼だと思われる。脱退後は自動車のレッカーマンとして働きながらTHE JUMPSの島キクジロウ等と共に「キャバレッツ」を結成。後に脱退し、NATIONALS(現在はMASAMI & THE NATIONALS)というバンドで活動中。

英竜介(はなぶさ りゅうすけ、1961年3月11日 - 2017年1月24日)- ドラム
愛称はリュースケ。1986年3月に脱退しているが、1985年に無料配布されたソノシート「1985」で彼の演奏を聴く事が可能である(「1985」はベストアルバム『SUPER BEST』に収録されている)。その他、彼が演奏する音源は比較的現存している。また、映像としては「ブルーハーツが聴こえない?HISTORY OF THE BLUE HEARTS」の1985年の映像は1985年12月24日都立家政スーパーロフト にて行われたTHE BLUE HEARTS初のワンマンライブ「世界一のクリスマス」であり、英がドラムを叩いているのも微かに確認することができる。また、同ライブでは、甲本が「ブルーハーツより愛をこめて」前のMCでは英の名前をあげている。ブルーハーツ脱退後は中村あゆみ織田哲郎のバックバンドやスタジオミュージシャンとして活動。損害保険の調査員、トラックやタクシーのドライバー等を経験したのち、ホテルなどで馬車を運行する会社を立ち上げる。2017年1月、白血病にて他界。

山川のりを(やまかわ のりを、1965年11月11日 - )- ベース
愛称はのりを。元ザ・コーツ、グレイトリッチーズ、DEEP&BITES、ノリオ&アイスクリームマン。望月脱退後、ほんの2か月ほどサポートメンバーとして活動していた。グレイトリッチーズの全国ツアーが始まるのを機に脱退した。ライブのMCでは、今年一杯はメンバーでいるといったことも言っていた。音源としては、1985年7月25日新宿ロフトで録られた音源がある。脱退後DEEP&BITESを結成。同時期に忌野清志郎大島賢治・中曽根章友と共に2・3sとして活動。一時期真島のソロツアーにも参加していた。DEEP&BITES解散後はノリオ&アイスクリームマンを経て、現在はソロユニット、ギターパンダで活動中。

佐藤シンイチロウ(さとう しんいちろう、1964年8月16日 - )- ドラム
愛称はシンちゃん。元THE POGO、KENZI&THE TRIPS、現the pillowsThe ピーズ。英竜介脱退後から梶原が正式加入するまで、サポートドラマーを担当していた。その際の音源はオムニバス盤『JUST A BEAT SHOW』にて確認することが可能である。また、映像としては、入手困難だが1986年3月20日のアトミック・カフェ・フェスティバルの映像(SUMMER TIME BLUESと題されている)が唯一確認できるものである。thee michelle gun elephantのメンバーと親交が深い。
サポートプレイヤー

白井幹夫(しらい みきお、1950年5月31日 - )- キーボード
ON TOUR 1989(1989年5月3日 - 同31日)から解散するまでの間、ライブレコーディングでキーボードを担当。真島の友人であった杉浦逸生の紹介でブルーハーツに参加。サポートでありながら、アルバム『HIGH KICKS』の歌詞カードでは顔写真付きで紹介されたり、『ミュージックステーション』にブルーハーツが出演した際は、演奏のみならずスタジオトークにもメンバーと共に並んで出演していたり、ライブ時には甲本ヒロトから5人目の仲間として紹介されるなど、ブルーハーツの中では正式なメンバーとしての意識があった。伝説のバンドめんたんぴんのメンバー(第4期-)で、浅川マキ南正人のバックを務めた事もある実力派だが、ピアノは全くの独学で、「ギターコードを鍵盤に乗せただけ」と、ファンクラブの会報で答えている。後のTHE HIGH-LOWSでも正式メンバーとして活動し、2003年に同バンドを脱退した。
来歴

1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロト真島昌利河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、Traditional(トラディッショナル)というセッションバンドを行ったり、バンドの事について語り合ったりして飲んだり遊んだりしているうちにお互いに意気投合しあっていった。

1984年11月11日、「ロードサイド・ロッカーズ」というイベントで、Vo.甲本ヒロト、Gu.真島昌利&河口純之助、Ba.コハマ(元FACE)、Dr.不明(アールチューカーのメンバーの誰か)の5人で原宿ホコ天にてライブをする。

1985年の1月から、それぞれバンドを解散したり脱退したりしていた真島や甲本らは、本気でバンド結成のことについて考えるようになり、1985年2月に、真島と甲本の2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成。同年4月に、THE BLUE HEARTSの初ライブを行うことになった。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌年の4月ごろに梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加した。結成当初は、渋谷ライブハウス 渋谷屋根裏を拠点として多く活動していた。1986年、梶原が加入した頃から「面白いバンドがいる」と、話題になり始める。

1987年2月に、シングル「人にやさしく」を自主制作で発表。同年、メルダックよりメジャーデビューが決定し、1987年5月1日に、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」を発売、同月に1stアルバム『THE BLUE HEARTS』を発表した。口コミなどで、彼らの評判は若者を中心に全国的に知れ渡るようになり、第二次バンドブームの先駆けとなった。

半年後に発売した2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』も好調、そして1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、同作からリカットされたシングル「TRAIN-TRAIN」がドラマの主題歌などにも起用されるなど、一躍音楽界のトップシーンに登り詰めた。

しかし4thアルバム以降は、以前ほどの売れ行きは見せなくなった。その後3枚のアルバムを発表。1995年にラストアルバムを発表し、バンドは解散。
解散とその後
解散

解散当時に発売された音楽誌『バンドやろうぜ』の編集局コラム等によると、「河口が宗教(幸福の科学)に没頭し、スタッフやファンを勧誘したことに甲本と真島が怒ったために解散に至った」とされている[4][5]。しかし、甲本がのちに音楽誌に語った内容では「バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要。それがあのメンバーでは出せないから解散した」となっている。他にも雑誌『VIEWS』のインタビューで、甲本は当初は解散ではなく、自分がバンドを抜けるつもりだったとのこと。その理由に言及していないが、「あの時、ヒロトが言い出さなければ自分が抜けていた」とのちに真島が語っている。凸凹ツアー中の宿泊先のホテルで、メンバーひとりひとりと話し合い、「ヒロトが抜けるなら解散」→「でもまたあとで再結成というのも恥ずかしいのでひとまず活動休止」ということとなった。


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