THE_ポッシボー
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チャオ ベッラ チンクエッティ
Ciao Bella Cinquetti
2016年、新世界免税店にて
基本情報
別名THE ポッシボー[注釈 1]
出身地 日本
ジャンルJ-POPアイドル
活動期間2006年 - 2018年
レーベルGOOD FACTORY RECORD
(2006年 - 2008年)
TN-mix
(2008年 - 2012年)
ビクターエンタテインメント
(2012年 - 2015年)
PICCOLO TOWN(アップフロントワークス)
(2015年 - 2018年)
UP-FRONT WORKS[注釈 2]
(2017年 - 2018年)
事務所TNX
(2007年 - 2015年)
アップフロントクリエイト
(2015年 - 2018年)
共同作業者つんく♂
(2014年まで)
公式サイト ⇒ciao-bella-cinquetti.com
チャオ ベッラ チンクエッティオフィシャルブログ

メンバー諸塚香奈実
橋本愛奈
岡田ロビン翔子
後藤夕貴

旧メンバー大瀬楓
秋山ゆりか

チャオ ベッラ チンクエッティは、2006年から2018年まで活動していた日本の女性アイドルグループ。所属事務所はアップフロントクリエイト。略称はチャオベラ。2015年7月までの旧名称はTHE ポッシボーで、旧名時代の略称はポッシ。

2006年、ハロプロエッグから選抜されたメンバーで結成。2007年秋のNICE GIRL プロジェクト!結成と共にハロプロエッグを卒業、ハロー!プロジェクトを離脱した。その後2008年4月にメジャーデビュー[1]2012年8月にはレコード会社をビクターエンタテインメントに移籍し[2]2013年4月以降、同社のレーベル「VERSIONMUSIC」に所属[3]。2015年4月には、アップフロントワークスのレーベル「PICCOLO TOWN」に移籍するとともに、所属事務所もアップフロントクリエイトに移籍した[4]

2014年から2018年7月までは、チーム・負けん気の一員としても活動していた。

2018年8月2日をもって解散した[5]
特徴
グループ名

2015年、イタリア語の造語で「美少女5人組」を意味する[6][7]「チャオ ベッラ チンクエッティ」(Ciao Bella Cinquetti)に改名。秋山の卒業により4人組になった後も同名義での活動を継続した。
旧グループ名

「ポッシボー」とは「possible」(可能)から来ていて、「the possible」で「可能性」を意味する。

結成当初はTHE ポッシボー(ハロプロエッグ)(ザ ポッシボーかっこハロプロエッグ)と称していた。明確な改名発表などはされていないが、2006年10月以降、CDDVDは「THE ポッシボー」としてリリースされ、短期間2つの呼称が混在した。
解散時のメンバー

名前生年月日(年齢)出身地メンバーカラー備考
岡田ロビン翔子
(おかだ ろびん しょうこ) (1993-03-15) 1993年3月15日(31歳)ボストン      ピンク第2期メンバー。リーダー。
本名は「ストューカス・ロビン・翔子」だが、2006年10月「本名が長い」と言う理由で、つんく♂から「岡田に芸名を変更」を言い渡される。
曲中のコールは「ロビン」。ラジオ「ポッシきゃな?」・テレビ「眠れぬ街のアプリンス」等、ソロとしても活動している。
2014年時点の愛称は、自称「謙虚BODY」「ツイッターモンスター」等。
後藤夕貴
(ごとう ゆき) (1993-06-12) 1993年6月12日(30歳)神奈川県      黄色第2期メンバー。曲中のコールは「ごとぅー」。
メンバー最年少で可愛い妹キャラ。だが、負けん気が強く、かつてソロが貰えなかった時代は、諸塚と二人で「次の曲こそソロパート貰おうね!」と励ましあったこともある。2014年時点の愛称は、諸塚と2人で「上下'S(かみしもズ)」。
橋本愛奈
(はしもと あいな) (1992-10-03) 1992年10月3日(31歳)神奈川県      赤[8]第1期メンバー。サブリーダー。
曲中のコールは「はしもん」「あいな」。
クォーター(父親がハーフ)であることをTwitterのプロフィール欄で公開している。
2014年時点の愛称は「爆弾BODY」「ハスキーボイス」等。
諸塚香奈実
(もろづか かなみ) (1989-11-01) 1989年11月1日(34歳)埼玉県      青第1期メンバー。曲中のコールは「もろりん」。
メンバー最年長ながら、メンバー一番のホンワカキャラ。
自称セクシー隊長。2014年時点の愛称は、「ゆるキャラ最年長」等。




リーダー

リーダーは結成以来、長らく決まっていなかったが、2013年4月に岡田ロビン翔子が正式にリーダーに就任。岡田曰く、「ポッシボーってもともと リーダーがいなくて性格的に 私がリーダー的ポジションって 言っていたら 『面倒いからリーダーでええやん』 と取締役に言われました」[9]
サブリーダー

2013年7月31日放送の『THEポッシボー夜はまだまだっ!!全力ラジオ!!』にて、ファン投票によって、橋本がサブリーダーに決定[10]
解散前に卒業したメンバー

名前生年月日(年齢)出身地メンバーカラー備考
秋山ゆりか
(あきやま ゆりか) (1992-10-19) 1992年10月19日(31歳)神奈川県      紫第1期メンバー。曲中のコールは「あっきゃん」「ゆりか」。
初期は気分屋で「ツンデレ」だった彼女だが、中学卒業とともにツンデレキャラは封印。
CS「あっきゃんの部屋」、地上波「カード学園」等、ソロとしても活動している。
2014年時点の愛称は「総長」「一匹狼」等。
2015年8月10日付で卒業[11]
大瀬楓
(おおせ かえで) (1991-04-29) 1991年4月29日(33歳)千葉県      ターコイズ第2期メンバー。
2009年6月15日に活動休止、同年8月22日に卒業。




歩み
結成からハロプロ卒業まで

2004年、「
ハロープロジェクト エッグ」としてオーディションに合格し、2005年のハロー!プロジェクト正月公演(中野サンプラザ)よりダンスで参加。ハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)でデビューを目指す研修生として、活動開始。

2006年8月2日 - 16日に行われた舞台「つんく♂タウンTHEATER」(現・つんく♂THEATER)旗揚げ公演第一弾 時東ぁみ座長公演 「CRY FOR HELP!?宇宙ステーション近くの売店にて?」に合わせて、これに出演するハロプロエッグ諸塚香奈実橋本愛奈及び秋山ゆりかの3人で結成された(この際に『THEポッシボー』と称したことから、結成日は舞台の初日である8月2日となっている)。

この3人は同年4月1日中野サンプラザで行われた時東のライブ「時東ぁみ初ライブ'06春?ザ・中野サンプラ?」に同じハロプロエッグの大瀬楓(後にTHEポッシボーに加入)、澤田由梨及び森咲樹の6人で出演している。これは本グループの結成が発表される前のできごとであるが、NICE GIRL プロジェクト!オフィシャルサイトに掲載されていた[12]


2006年9月から10月までの間に、前述した大瀬楓(これに合わせてともいき・木を植えたいを卒業)の他、岡田ロビン翔子(加入当初はストューカス・ロビン・翔子)及び後藤夕貴がそれぞれ加わった。

2006年10月、「ヤングDAYS!!」をインディーズでリリース。当時は、「200人の精鋭」と言われる程度のファンシーンでしかなかったTHEポッシボーだが、ハロプロエッグとしての活動がない中でのエッグ選抜のポッシボーが活動を行っていること、当時ハロプロが消極的だった握手会のイベント実施等で、ハロプロファンが流入しファンシーンが拡大。

2007年1月27日・28日、「Hello! Project 2007 Winter ?集結! 10th Anniversary?」に於いて、THEポッシボーとして「ヤングDAYS!!!」を熱唱。以後、新人公演に出演するなど、ハロプロとしての活動も行う。

2007年7月、「Hello! Project 2007 Summer 10th アニバーサリー大感謝祭?ハロ☆プロ夏祭り?」で司会の矢口真里から「ハロプロのニューカマー」と紹介され、新曲「風のうわさ」を初披露。Berryz工房℃-uteに続くハロプロ第3のユニットと期待された。

2007年夏、秋葉原石丸SOFT2でのイベントの動員数記録を毎回更新するなど、メジャーデビューへ向け、着々と人気を集めるようになる。

2007年10月1日、つんく♂の判断により、THE ポッシボーはハロプロエッグを卒業し、キャナァーリ倶楽部と共にNICE GIRL プロジェクト!に移籍[13]、同時に事務所もアップフロントよりTNXに移籍した。

リアルエアバンド

いわゆる「あてぶり」を「リアルエアバンド」と称していた。担当楽器は以下の通り。

ドラムス - 大瀬楓

ベース - 橋本愛奈

リードギター - 秋山ゆりか

サイドギター - 後藤夕貴

キーボード - 諸塚香奈実

メインボーカル - 岡田ロビン翔子[14]

「HAPPY 15」「ラヴメッセージ!」「家族への手紙」のPVを始めとして、イベントやライブでもステージに楽器をセッティングして披露している。あくまで演奏しているふりなので実際の演奏とは程遠い。大瀬は簡単なドラム捌きはできる様で、元THE BLUE HEARTS梶原徹也からドラムの指導をしてもらい[15]、イベントにも登場して演奏したことがある。
メジャーデビュー / 初単独ライブ期

2008年3月2日、銀座三越屋上で開催された「NGPひなまつりイベント」にて、ファンクラブ「NICE!!」の結成と、新曲「家族への手紙」で2008年4月30日にメジャーデビュー決定と告知された。

2008年3月30日、初の単独ライブ「 THE ポッシボー初単独ライブ2008」を横浜BLITZで、フロアに椅子席有りで開催した。

メジャーデビュー曲「家族への手紙」では『THEポッシボーメジャーデビューシングル「家族への手紙」発売記念イベント“ベスト10に入りたいツアー”として地方巡業、2ndシングル「いじわる Crazy Love」では、CD購入者応募特典イベントを開催する等、ハロプロを倣った活動を行なった。

2008年秋、初の単独ライブツアー「THE ポッシボー ライブツアー2008秋?SEXY ジェネレーション?」を、東京、神戸、名古屋で行った。

NGP!活動時期

2008年夏より、THEポッシボー、キャナァーリ倶楽部、および研修生やゲストにより、NGP!(ナイスガールプロジェクト)の活動が本格的になる。NGP!として「'08夏 ナイスガールプロジェクト!エモーショナルライブ?ミラクル セクシー ダイナマイト?」ツアーを、東京、大阪、名古屋で公演し、ゲストとしてハロプロエッグの、古川・森・古峰・和田・前田(憂佳)・福田・佐保・小川(紗季)の8名が出演した
[16]

THEポッシボー結成当時から活動していた、『つんく♂THEATER』に加え、2008年11月には落語に挑戦[17]、『ナイスガールプロジェクト!ボウリング部』結成[18][19]

2008年12月、日本武道館にて「シャ乱Q結成20周年記念フェスティバル」に参加、ヤングDAYS!!を披露し、THEポッシボーとして武道館のステージを初体験することとなった[20]

2009年2月、「幸せの形」リリースに合わせ、東京渋谷スペイン坂に巨大ポスターの掲示を行った[21]

2009年、新曲リリースイベントで地方巡業を果たすも、単独ライブはShibuya O-WESTクラスが最大の箱となる。

2009年3月24日、チアリーディングチーム『Princess Chatters(プリンセスチャッターズ)』結成[22][23]

2009年4月、テレビアニメ『極上!!めちゃモテ委員長』放送開始。主題歌を歌う「MM学園合唱部」に参加。

2009年6月4日、大瀬楓がTHE ポッシボーを卒業することを発表し[24][25]、8月22日に行われたNICE GIRL プロジェクト!LIVEを最後に大瀬楓がTHE ポッシボー及びNICE GIRL プロジェクト!を卒業。THE ポッシボーは5人体制となる。

2011年

春、TNXはポッシボーのプロデュース体制を一新。

今までの「口コミで地道にポッシボーの認知度を広める」コンセプトを転換し、「積極的にアイドルフェス等に参加」「メディア露出を増やす」コンセプトを打ち出した。

スタッフ入れ替えによって、「ファン目線」でのプロデュース化が図られ、チェキ会やカラオケ会、チケット1枚で2名入場可能、他事務所アイドルとの2マンライブなどの施策を実施した。

メンバー自身がライブの打ち合わせ段階から会議に参画し意見するようになり、ゼロの状態からメンバーが関わってライブを作り上げていくスタイルに変更。


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