TERU
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この項目では、GLAYのボーカリストについて説明しています。その他の同名人物については「テル」をご覧ください。

TERU

基本情報
出生名小橋 照彦
別名テッコ
生誕 (1971-06-08) 1971年6月8日(52歳)
出身地 日本 北海道函館市
学歴函館市立桔梗小学校
函館市立桔梗中学校
北海道函館商業高等学校
ジャンルロック
職業ミュージシャン
ボーカリスト
シンガーソングライター
作詞家
作曲家
担当楽器ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
タンバリン
ブルースハープ
活動期間1988年 -
レーベルLSG
共同作業者GLAY
rally

TERU(テル、1971年〈昭和46年〉6月8日 - )は、日本のミュージシャン・歌手ロックバンドGLAYボーカリスト。本名、小橋 照彦(こばし てるひこ)。愛称は、テッコ。

北海道函館市出身。函館市立桔梗小学校卒業。函館市立桔梗中学校卒業。北海道函館商業高等学校卒業。身長169cm。妻はPUFFY大貫亜美
経歴
高校時代

1987年

夏頃、小・中学校と一緒である同じサッカー部の先輩に「ちょっとドラムをやってみないか?」と勧誘され、聖飢魔IIコピーバンドに加入。ドラムを担当し、文化祭で披露した。しかし、加入当初TERUの家にはドラムセットなどなく、親戚の叔母が営むスナック(TERUがよく手伝って料理をしていた)の椅子などを使って練習していたという。ドラムセットは後に購入し、本格的に熱中していく。TAKUROと共にGLAYの活動を始めた頃には、TERUの部屋は防音処置が施されていたとTAKUROは語っている[1]

1988年

3月、小・中学校の同級生であるTAKUROに誘われ、GLAYを結成。当初はドラマーとしての加入であった。しかし、TAKUROがTERUの家にまだ歌の入っていないデモテープを置き忘れ、歌があったほうが何かとやりやすいだろうと考えたTERUが歌を入れてみたところ、それを聴いたTAKUROが「神がかった声」と感じて腰を抜かした。TAKUROが人生において腰を抜かすほど驚いたのは、この時以外にはBOOWYの「B・BLUE」を初めて聴いた時だけだという[2]。これがボーカリストへ転向するきっかけとなり、新しいドラマーが見つかるまでマイクを天井からぶら下げてドラムを叩きながら歌っていた。しかし、TERU本人はTAKUROが受けた衝撃をあまり理解できていなかったらしく、先輩を新しいボーカルとして連れて来て自分はドラマーに戻ろうとしたが、TAKUROにより却下されボーカルに戻されたという。また、TAKUROは「TERUは自分がボーカルではなく、ドラマーでありたかった」と語っている[2]。同年7月には、GLAYとしての初ライブを行う。

1989年

同じ学校の同学年の友達と「花とゆめ」というバンドを結成[注 1]。GLAYがライヴハウス等での活動がメインだったのに対して、こちらは主に学校内でのイベントや文化祭でのライブが中心のいわゆる「学園祭バンド」だった。TERUが姉の結婚式でTAKUROと「ずっと2人で…」の原曲を演奏・披露したのも、この頃の話である。
上京?インディーズ時代

1990年?1993年

高校卒業と同時にGLAYの成功を夢見て上京。赤羽西にあったトッパングラビア東京に勤めるかたわらバンド活動を続けていたが、両立できずに試用期間明けで辞めてしまった。以降、居所を埼玉県所沢市飯能市等に移し、その後は様々な仕事をしながらバンド活動を行う。
メジャーデビュー以降

1994年

5月25日 - GLAYのボーカリストとしてシングル「RAIN」でメジャーデビュー。

1999年

12月6日 - メンバープロデュース・ファンクラブ限定ライブの一環として、TERUプロデュース「THE MEN WHO SOLD THE WORLD」をZepp Tokyoで行う。男性限定のライブであったことから、「男ナイト」と呼ばれ、以後福岡大阪でも行われることとなる。

2001年

4月 - 坂本龍一を中心とする地雷排除支援活動地雷ZEROに協力し、チャリティーソング「ZERO LANDMINE」に参加。

2002年

4月29日 - PUFFY大貫亜美と再婚したことを発表。

8月27日 - TERUプロデュース・男性限定ライブ「BOYS ONLY NIGHT」を大阪BIGCATで行う。通算3回目の男ナイトで、チケットは完売。このライブ限定のグッズは現代女浮世絵師であるツバキアンナとTERUのコラボレーションであった。

2003年

3月9日 - 大貫亜美との間に女児が誕生(TERUにとっては第3子)。

2004年

HISASHIと共に禁煙を開始。

2005年

7月18日 - 千葉ポートパーク円形広場野外ステージにて、自身がDJを務めるラジオ番組の開始10周年を記念して、イベント『TERU ME NIGHT GLAY 10th ANNIVERSARY SPECIAL ?Summer of 05?』を行う。

ほっとけない 世界のまずしさキャンペーンに参加。

12月3日・4日 - 『White Band FES.(ホワイトバンドフェス)』にGLAYとして参加。

12月21日 - BUCK-TICKの20周年を記念したトリビュート・アルバムPARADE?RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK?』に「悪の華」でHISASHIと共にrallyとして参加。

2007年

7月1日から2年間、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに出演。CMテーマは「エイズ」。

9月8日 - 「BUCK-TICK FES 2007 ON PARADE」にrallyとして出演[3]

10月14日 - レッドシューズのイベントライブ「WEAR RED SHOES Vol.4」にゲストミュージシャンとして参加[4]

12月3日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2007にTAKUROとともに出演[5]

12月27日 - JACK IN THE BOX 2007にTAKUROと共にシークレットゲストとして出演。L'Arc?en?Cielhydeとツインボーカルをとり、「誘惑」「HONEY」の二曲を披露した[6]

2008年

4月16日 - ブログ「365の光り」を開設[7]。タイトルの通り、開設年日から1年かけて更新していた[注 2]

11月29日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2008に出演[8]

2009年

3月11日 - MCUのアルバム『SHU・HA・RI?STILL LOVE?』の収録曲「STILL LOVE」に、ボーカルとして参加[9]

11月28日 - レッドリボンキャンペーンRED RIBBON LIVE 2009に出演[10]

2010年

8月28日 - ドラマー永井利光が発起人として開催された宮崎口蹄疫チャリティイベント「MGプロジェクト『宮崎がんばろう!』チャリティー IN 福岡」のプレミアムイベント「SONG FOR MIYAZAKI PREMIUM NIGHT」に、友情出演[11]


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