TEAM_NACS
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TEAM NACS
TEAM NACSのサイン。上から時計回りに森崎博之大泉洋戸次重幸安田顕音尾琢真
基本情報
別名TEAM-NACS
(2005年9月までの旧名称)
TEAM★NACS
(音楽活動時)
出身地 日本北海道
ジャンルJ-POP
活動期間1996年3月7日[1] - 3月10日
1997年8月8日 -
レーベルA-CUE RECORDS
アミューズソフト
事務所CREATIVE OFFICE CUE
(2000年 - [注釈 1]
アミューズ
(2004年 - /業務提携)
共同作業者下川佳代
田中一志
NAOTO
公式サイトTEAM NACS Official Site
TEAM NACS - アミューズWEBサイト

メンバー森崎博之
安田顕
戸次重幸
大泉洋
音尾琢真
TEAM NACSの旧ロゴ

TEAM NACS(チーム・ナックス)は、森崎博之安田顕戸次重幸大泉洋音尾琢真の5人による、日本演劇ユニット[2]。略称は「ナックス(NACS)」[3][4]北海道札幌市中央区に本社を置く芸能事務所CREATIVE OFFICE CUEに所属。山梨県[注釈 2]に本社を置く大手芸能事務所・アミューズと業務提携を行い、「北海道以外の全国区の仕事は、全てアミューズが手がける」というシステムを採っている[6][7]

結成当初のグループ名は「TEAM-NACS」。2005年10月より「TEAM」と「NACS」の間のハイフンが取れ、現在の「TEAM NACS」の表記となった[8]。主に「TEAM★NACS」名義で[9]音楽ユニットとしての活動もある[10]。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概要詳細については「#来歴」を参照

1996年3月7日に、大学を卒業する森崎博之安田顕卒業制作として、思い出作りに行われた『LETTER?変わり続けるベクトルの障壁?』のための1回限りのユニットとして、当時、北海学園大学の演劇研究会に所属し、学年は違ったものの、仲の良かった、森崎博之・安田顕・戸次重幸大泉洋音尾琢真の5人により、結成[7][1][11]

森崎・安田の大学卒業とともに解散し、森崎・安田は会社に就職するがどちらも1年足らずで退職。森崎の呼び掛けで、1997年8月の『RECOVER?描き続けるもう一つの結論?』で再結成した[12]

以降、北海道で舞台公演を続け、個々のメンバーもローカルタレントとしても活動し、北海道で人気を得た。そして、2004年5月の『LOOSER?失い続けるアルバム?』は初めて東京で公演を行う。翌2005年4月 - 9月の『COMPOSER?響き続ける旋律の調べ?』で初の全国ツアー公演を行った。

現在では、ユニットとしての活動の他、各メンバーの俳優タレントとしての活動も活発に行われており、その知名度は全国区になった。全国区では個人の活動が主になっており、全員が集まるのは、主に、3年に一度行われる舞台の本公演と、月1回、北海道で行われる『ハナタレナックス』(北海道テレビ)のロケ時に限られている[13]。しかし、本公演の時期等には宣伝活動の一環で、ユニットとしてテレビ等の各種媒体に露出するようになっている。また、メンバーが、テレビドラマや映画で共演することがある[注釈 3]

現在、チケットの入手が困難な演劇集団のひとつに数えられており、「日本一チケットが取れない劇団(演劇ユニット)」とも言われるなど[14]、全国区の人気を確立することとなった[7]。中でも地元・北海道では、現在も人気が高く、メンバーが出演する番組やドラマでは軒並み高視聴率を獲得している[15][16][17]。北海道民はローカルタレント時代から見ていることから、親戚や近所のお兄ちゃんのような身近さで見ているという傾向がある[18][19]。アミューズでは「これまで通り北海道の仕事を大切にしていく」という方針が徹底されており、東京での個々の活動が多くなった現在でも『ハナタレナックス』(メンバー全員)、『おにぎりあたためますか』(大泉・戸次)、『1×8いこうよ!』(大泉)、『あぐり王国北海道NEXT』(森崎)等の北海道の番組にメンバーが出演している[20]
グループ名の由来
かつては、「なっくす」と表記し、演劇研究会の中でも異彩を放っていた5人を演劇研究会からは切り離す形で呼ばれていた「蔑称」であった。演劇研究会の芝居で、森崎が「ノックス」という役名を演じた際、力を込めて発音したので「ナックス」と聞こえてしまい、「ナックス」が、演劇研究会の中でブームになった。そして、1994年4月頃には、「演劇研究会」という名前が堅すぎるということで、演劇研究会の愛称に採用されるものの、すぐに誰も使わなくなった[注釈 4][21][22]。その後、北海道内を回り、子供に児童劇を見せるという演劇研究会の地方公演において、「議論だけでは舞台が面白くなるわけがない」と言って、ミーティングをサボり、隣の部屋で5人で遊んでいた[22][23]。5人はよく一緒にいて、演劇研究会内でキャラが立ちすぎて浮くようになっていたため、同年7月頃には、5人が「ナックス」と呼ばれるようにになった[24]。かつて使われていたロゴマークに記載された、「"North(北の) Actors(役者の) Club(集まり) Special(特別な)"」は、後から付けた、こじつけのような物である[25][26]。なお、結成当初のグループ名の表記は、「TEAM-NACS」であった。2005年10月より「TEAM」と「NACS」の間のハイフンが取れ、現在の「TEAM NACS」の表記となった[27]
ファンの愛称
TEAM NACS全体のファンの愛称は「子NACS」[28]。メンバー毎にもそれぞれ愛称があり、森崎のファンは「子顔」、安田のファンは「安田国民」、戸次のファンは「子残念」、大泉のファンは「子猫」、音尾のファンは「子魚」と呼ばれる[29]
影響
メンバー全員が劇団「惑星ピスタチオ」のファンであり、大学時代には、公演のビデオを何度も観ては研究したり、森崎が買ってきた劇団ピスタチオのロゴ入りのキャップ「ピスタチオ・キャップ」を5人揃って被って東京へ旅行に行っていた[30][31]。惑星ピスタチオの公演「破壊ランナー」には、1人で多人数の役を入れ替わりながら演じる「スイッチプレイ」や、小道具などを一切使わずに台詞で場面描写や登場人物の心情を表現する「パワーマイム」という演出法などで影響を受けている[32]。大泉は、主演映画『アフタースクール』で所属俳優であった佐々木蔵之介と共演したが、5人でキャップを被っていたことを伝えて佐々木を喜ばせた[33]
関係性
大泉は、TEAM NACSについて「人生の中でもっとも付き合いが長く、密度の濃い仲間。僕の人間関係の中では別格として存在している」「四半世紀も一緒にいると良いところも悪いところもひっくるめての付き合いになる。何かを作ろうとしたときにお互いの意見が違ったりして、揉めたりもする。でもそれは、お互いに『いいものを作りたい』っていう気持ちから来るものだ」と話し[34]、NACSの存在は心の支えになっているという[35]。また、メンバーについては「一番身近なライバルでもあるので、いい仕事すると、うらやましいし、悔しいって思いもある。でもメンバーの扱いが悪かったりすると、それはそれで腹が立つ。不思議な関係だ」と話している[35]。1年で1番笑わせられるのはNACSのメンバーといる時だという[36]。森崎は「どれだけパーソナルな部分で変遷があろうと、僕ら5人になると瞬時に大学時代に戻れる」と話し、「お互いに依存しあっている。20年以上もやっていると、もう家族同然の関係性」であり、「そこが他のグループやチームと違うところ」と話している[37]。安田は、メンバーとは「そんなに会わない」と話しており[38]、ときどき会うのがちょうど良いという。また、メンバーと飲みに行くことはなく、他のメンバーが普段何をしているかも知らない[39]。また、5人の時は「それぞれの距離感を保って過ごす。TEAM NACSのことをそれぞれが大事にしつつ、お互いの現場での過ごし方を尊重している」という[40]。音尾は、メンバーの活躍が刺激になると答えた上で「それぞれがいろんな思いを持ちながら、悔しがったり、達成感を持ったりといった様子も全部見てきましたし、今も月1(のロケ)で札幌の番組(ハナタレナックス)をやっているので、定期的に会いますし。お互いに『こんなすごい仕事やったんだな』とかね。昔はよく羨ましさも感じていましたが、今は羨ましいとは違いますね」と話している[41]
音楽ユニットとして
演劇ユニットの他にも、音楽ユニットとして活動も行っている。2004年8月26日には、北海道の所属事務所のイベント『CUE DREAM JAM-BOREE』の企画でアイドル「TEAM★NACS」としてシングルナックスハリケーン/捻挫した君』をリリース。作詞・作曲は、大泉が担当した[42][9][43]。現在は、2年に一度行われる『CUE DREAM JAM-BOREE』で曲を披露している。また、2019年には、北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソング「私たちの道」に参加している[44]
メンバー

全員が北海道出身。また、全員が既婚者で、子供もいる。

以下の順番(アミューズのサイトでは「NACS番号」と記載[45])は、北海学園大学演劇研究会時代の学年順である。森崎は1990年に入学。同年齢である3人のうち、安田は現役で1992年、戸次は一浪で1993年、大泉は二浪で1994年に入学。大泉は現役で1994年に入学した音尾と同学年。しかし、大泉が年上であるので4番となっている。また、森崎と安田はそれぞれ2留と留年なしで1996年に卒業[46]、大泉は留年なしで1998年に卒業[47]、戸次と音尾はそれぞれ2留と1留で1999年に卒業している[48]

なお、CREATIVE OFFICE CUE公式サイトのプロフイールでは大泉、安田、森崎、戸次、音尾の順に掲載されている[49]

サブリーダーは、北海道テレビハナタレナックス』で行われていた、リーダー・森崎の担当企画での優勝者に与えた優勝特典だった。

番号
[45]メンバー生年月日[50]血液型[50]身長出身地メンバー
カラー[45]備考
1森崎博之
(もりさき ひろゆき) (1971-11-14) 1971年11月14日(52歳)O型178 cm[51]北海道上川郡東川町[51]青リーダー。
ほぼ全ての公演の脚本・演出を担当。
2安田顕
(やすだ けん) (1973-12-08) 1973年12月8日(50歳)A型173 cm[注釈 5]北海道室蘭市[52]緑初代・3代目サブリーダー(現任)。
3戸次重幸
(とつぎ しげゆき) (1973-11-07) 1973年11月7日(50歳)O型173 cm[54]北海道札幌市西区(現:手稲区[54]赤2代目サブリーダー。
2007年12月まで本名の佐藤重幸(さとう しげゆき)で活動[注釈 6][55]
4大泉洋
(おおいずみ よう) (1973-04-03) 1973年4月3日(51歳)B型178 cm[56]北海道江別市[56]


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