TEAM2000
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TEAM 2000(チーム・トゥーサウザンド)は、かつて新日本プロレスで活動していたヒールユニット目次

1 概要

2 その他

3 メンバー

4 提携メンバー

5 脚注

概要

nWo JAPAN総帥だった蝶野正洋1998年IWGPヘビー級王座獲得後、首の負傷のため王座を返上し長期欠場に入る。しかしその間にナンバー2の位置にいた武藤敬司がnWoジャパンの実権を掌握、居場所を失った蝶野は1999年に、同期生で同じく長期欠場から復帰したAKIRAと共に新ユニットを結成。のちにドン・フライが加入、ユニット名をTEAM 2000としnWoジャパンと抗争を繰り広げる。

2000年に蝶野対武藤の頂上決戦で蝶野が勝利、nWoジャパンは消滅することになった。TEAM 2000は天山広吉小島聡らnWoジャパンの残存勢力を吸収し、さらに後藤達俊小原道由の捨て犬コンビも加入し一大勢力を築き、以降は次々とメンバーを増殖しつつ本隊、G-EGGS、BATTなどと抗争を展開するが、2002年に武藤・小島らの全日本への移籍事件を機にアントニオ猪木の裁定で蝶野が本隊と共闘する道を選び、また現場の最高責任者にも就任することになり、自然消滅した(なおこの猪木とのやり取りはバラエティ番組「アメトーーク」内で、くりぃむしちゅー有田哲平から「踊る!猪木御殿」と名付けられた)。

黒のジャンプスーツ、「We are TEAM 2000」と叫びながら両手の人差し指と中指を前に差し出すポーズがトレードマークで、蝶野は当時「I am CHONO!TEAM 2000」と言いながらテレビに出演していた。

団体のグッズ売上げにも、Tシャツやアクセサリーなどファッションとしても通用するデザイン性の高さから大きく貢献している[要出典]。

2012年8月26日、大阪・松下IMPホールで行われた藤波辰爾のデビュー40周年記念の大会で限定で復活、蝶野正洋、ヒロ斎藤、AKIRA組が藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスク組と対戦。

2017年1月4日、「WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドームの」1分時間差バトルロイヤル ?ニュージャパンランボー?にヒロ、スコット・ノートンが参戦、翌「NEW YEAR DASH !!」では天山、小島、チーズバーガー、ヒロ、ノートン組がBULLET CLUB組と対戦。

2018年2月16日に後楽園ホールで開催された「プロレスリング・マスターズ」にTEAM 2000のメンバーが参戦した。蝶野はwith蝶野正洋としてセコンドとして参加した[1]

2018年5月23日に、東京ドームで開催されていた『ももいろクローバーZ 10th Anniversary The Diamond Four -in 桃響導夢-』に乱入[2]。タイトルに含まれる桃響導夢(トウキョウドーム)の文言が、新日本プロレスのイベント名に含まれる闘強導夢と酷似していたこともあり、蝶野正洋は「代表者を出せ」と挑発し、リーダーの百田夏菜子に詰め寄った[2]
その他

笑っていいとも!テレフォンショッキング蝶野正洋が出演した際にタモリに「TEAM 2000は2001年になったらチーム名はどうなるの?」と聞かれたことがある。

TEAM 2000時の蝶野は、バラエティー番組などの出演が急激に増え、とんねるずの生でダラダラいかせて!!の準レギュラーで活躍するなど知名度が上がった時期でもある。

TEAM 2000のグッズの売れ行きは、グレート・ムタとして新日のグッズ部門でダントツの売り上げを誇っていた武藤敬司でさえ、羨ましがっていた。

蝶野正洋『ぷっ』すま出演の際、ゲームに負けた草g剛ユースケ・サンタマリアをTEAM 2000に加入させてTEAM 2000ポーズをさせた。

メンバー

蝶野正洋

AKIRA

ドン・フライ(2001年脱退)

スーパーJ(元:nWoスティング、2002年脱退)

天山広吉

小島聡(2002年に全日本プロレス移籍のため脱退)

スコット・ノートン

ヒロ斎藤

後藤達俊

小原道由

邪道

外道

GOKU-DO

スコット・ホールWWEと契約のため脱退)

金本浩二

ブラック・タイガー(3代目:シルバー・キング)


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