TBSテレビ
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5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45]

8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[46][47]

8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48]

8月17日:「JNNニュース」が始まる。[47][49]

8月:米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50]

11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[47][50][51]

12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51]

12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。[47]

12月21日:プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[47]

12月22日:川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[47]

12月30日:「第1回『日本レコード大賞』」を放送(3日前の12月27日文京公会堂で実施)[47]。以後、毎年年末に同番組を放送する。


1960年代

1960年(昭和35年)

1月17日:テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力[注 11][47][51]。これに伴い、同タワーに設置した東芝製の送信機(TA-2141B型 終段管はGE製:GL-6251)と電気興業製のアンテナ(10段スーパーゲインアンテナ 高さ:275m 実効輻射電力:375kW)が共に同局2代目(同タワー初代)の設備として稼働開始[14]。この当時の赤坂送信所に使われていたアンテナの頂部エレメントは1995年3月2日に解体された後、正門前に記念碑として設置され、赤坂サカス完成後の現在は放送センター南側の南公園に移設されている。

2月8日:プロ野球の、当時の毎日大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)と、テレビでの実況中継放送の独占契約を締結。[47][51]

8月:Fスタジオのカラー化工事が完成[50][52]。更に同スタジオへ、東芝製のカラーカメラを3台導入。[53]

9月2日 : カラーテレビ本放送の免許を取得。[注 12][52][50]

9月10日:カラーテレビ本放送を開始(ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった)。開始記念番組として、Fスタジオから、小牧・橘・松山各バレー団出演による『カラー・ミュージカル「バレー・フェスティバル」』を放送。[注 13][52][54][55][注 14]

10月10日:ラジオ東京が東京証券取引所第1部に株式上場[52]

10月頃(期日不明):自社が所有するアンペックス社のモノクロVTRのカラー化の為に、カラー付加器(アタッチメント)を導入。[53]

11月29日:株式会社東京放送(とうきょうほうそう)と商号変更し、略称をTBSとする[52]。この頃、「東京テレビ」「東京ラジオ」という呼称を採用したものの、定着には至らなかった。

「TBS」の筆記体ロゴ
(1961年8月から1991年9月29日まで使用)旧社屋竣工当時の外観
(1961年)

1961年(昭和36年)

2月28日:初のカラーテレビ中継車が完成。同局の第5号のテレビ中継車として活躍。[56][57]

8月1日:業務用マーク制定[57](原案者:今道潤三、制作者:市川景)。電波をモチーフにした筆記体の「TBS」をアレンジしたもので、CI導入の1991年まで長く使用された。

9月:コーポレートカラー「光の3原色(青・赤・緑=能力・熱意・責任)」制定。車両の塗装や局名告知等に使用開始。

10月1日:「光の3原色」による社旗、社章(バッジ)制定。[57]

10月12日:赤坂のテレビスタジオ隣に、本館の本社社屋が完成。ラジオスタジオおよび本社機構が移転する。更に第3次テレビ増設工事も同時に完成。これに伴い、テレビのGスタも完成する。[57]

12月1日:社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。[57]

12月24日 - 創立10周年記念企画として、「TBSソング」(中村メイコ作詞・神津善行作曲)の放送を開始。[57][注 15]


1962年(昭和37年)10月1日:史上初の“キャスターニュース”かつネットワーク制作参加ニュース『JNNニュースコープ』スタート(初代キャスターは田英夫戸川猪佐武)(1990年4月1日終了)[58]。夕方のニュース番組の草分けとなる。

1963年(昭和37年)

5月12日 : 第18回毎日マラソンのテレビ(独占)中継にて、日本初のマラソン完全中継を行う。[59]

9月1日:テレビ番組自動送出装置(APS)の運用を開始。
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