TBSテレビ
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[注 4][22]
5月15日:テレビの大相撲中継を開始。[22]
6月1日:街頭テレビ第1期77箇所の設置を完了。[22]
7月2日:この日に大阪球場で行われた、第5回「プロ野球オールスター戦」第1戦にて、大阪から局初の遠距離中継を実施。[21][22]
8月20日:街頭テレビ第2期43箇所の設置を完了。[22]
12月31日
局初のラジオ・テレビ同時年末特別番組として、「1955年オールスター歌合戦」をこの年から放送(於:日劇。1957年からオールスター大行進と改題し、1968年まで続く。)。[22][23]
この日の大晦日から翌元日に渡っての放送「ゆく年くる年」にて、銀座・浅草から局テレビ初の3元中継を行う。[22][23]
1956年(昭和31年)
1月1日:皇居参賀の、鳩山一郎首相(当時)以下閣僚の年頭挨拶を独占放送。[23]
4月2日:世界卓球選手権東京大会を、独占中継。[24]
10月13日:プロ野球 日本シリーズ中継「西鉄 対 巨人」に於いて、民放テレビ初の福岡からの中継を行う。[24]
11月15日:ラジオ東京テレビ、日本テレビ、そして翌月1日にテレビを開局する大阪テレビ放送と中部日本放送の4社で、「番組の交流に関する4社協定覚書」を締結する。[24]
12月1日:大阪テレビ放送と中部日本放送(CBC)テレビが共にこの日に開局したのに伴い、両局との番組交流を強化する。[25]
12月2日:単発ドラマ番組『東芝日曜劇場』放送開始。[注 5][24][26]
12月31日:「ゆく年くる年」を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24]
1957年(昭和32年)
7月28日:日曜日朝の政治をテーマにした座談会番組『時事放談』放送開始(1987年3月29日まで)。[27]
11月6日:ソ連(当時)の人工衛星「スプートニク1号」の世界初のフィルム撮影に成功。AP通信を通じ、全世界に報道する。[28][29]
1958年(昭和33年)
1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30]
1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30]
5月29日:在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。[31][32][33]
6月1日:北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、「テレビニュースに関するネットワーク協定」を締結。[32]
6月8日:同局初のVTRを使った番組『ナショナル日曜観劇会』『デン助の裏町人情』が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]。
7月6日:大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34]
10月31日:同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組「サンヨーテレビ劇場『私は貝になりたい』」(橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている)。[32][35][36]
11月16日:「東芝日曜劇場」にて、同番組初のVTRを使用したドラマ『マンモスタワー』を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した(これも前述の「私は貝になりたい」に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。[32][37]
1959年(昭和34年)
1月31日:カラーテレビ実験局の本免許を取得(コールサイン:JOKR-TVX[14])。[32][38]
2月2日:カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42]
4月10日:皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32]
4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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