TBSテレビ
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[注 10][32][39][40][41][42]

4月10日皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32]

4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。[43][44]

5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32]

5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45]

8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[46][47]

8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48]

8月17日:「JNNニュース」が始まる。[47][49]

8月:米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50]

11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[47][50][51]

12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51]

12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。[47]

12月21日:プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[47]

12月22日:川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[47]

12月30日:「第1回『日本レコード大賞』」を放送(3日前の12月27日文京公会堂で実施)[47]。以後、毎年年末に同番組を放送する。


1960年代

1960年(昭和35年)

1月17日:テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力[注 11][47][51]。これに伴い、同タワーに設置した東芝製の送信機(TA-2141B型 終段管はGE製:GL-6251)と電気興業製のアンテナ(10段スーパーゲインアンテナ 高さ:275m 実効輻射電力:375kW)が共に同局2代目(同タワー初代)の設備として稼働開始[14]。この当時の赤坂送信所に使われていたアンテナの頂部エレメントは1995年3月2日に解体された後、正門前に記念碑として設置され、赤坂サカス完成後の現在は放送センター南側の南公園に移設されている。

2月8日:プロ野球の、当時の毎日大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)と、テレビでの実況中継放送の独占契約を締結。[47][51]

8月:Fスタジオのカラー化工事が完成。[50][52]

9月2日 : カラーテレビ本放送の免許を取得。[注 12][52][50]

9月10日:カラーテレビ本放送を開始(ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった)。
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