TBSテレビ
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9月:テレビHスタジオが誕生。[69]
12月31日:『オールスター大行進』(この年は『1967年ヒットソングスター大行進』(於歌舞伎座))、この年からカラー放送となる。[73]
1968年(昭和43年)
この年、テレビ・スタジオのカラー化改修を進める。1月にCスタ、4月にはDスタ、7月にはEスタ、9月にはHスタと急ピッチで改修された。既にカラースタジオだったFスタも8月に再改修され、同年9月4日には、全てのテレビスタジオのカラー化が完了した。[69][74]
2月3日:大橋巨泉の司会による大喜利番組『お笑い頭の体操』放送開始(モノクロ。1970年1月3日よりカラー。1975年12月27日終了)。[74]
9月30日
この日から、自社のテレビニュース番組(『JNNニュースコープ』、『TBSニュース』)のカラー放送を開始[74]。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。
週1回のボクシング中継番組『キックボクシング中継』放送開始(カラー。1980年3月29日終了)。[74][75]
平日昼の帯ドラマシリーズ『ポーラテレビ小説』放送開始(第1作は『三人の母』)(モノクロ。1971年3月29日の第6作『お登勢』第1回よりカラー。1986年9月26日の第40作『恋とオムレツ』の最終回で終了)。[74]
12月31日:この年の『ゆく年くる年』(フジ系を除く全民放テレビ局同時ネット)の制作局を担当に当り、この年から同番組に於いての、カラー放送(一部中継部分を除く)を初めて実施。[76]
1969年(昭和44年)
6月30日:平日正午からのクイズ番組「ベルトクイズQ&Q」放送開始(モノクロ。翌年(1970年)12月28日からカラー化)。この番組に於いて、初めてテレビ番組にてコンピュータを使用する。[77]
7月21日:『アポロ11号月面着陸特番』を放送。13日間で述べ27時間52分放送した。[77]
8月4日:「ナショナル劇場 『水戸黄門』」放送開始(カラー)。[77]
10月4日:ザ・ドリフターズがメインのお笑い歌謡公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』放送開始(カラー)(一時中断時期を挟み、1985年9月28日まで)。[77]
12月31日:『輝く!日本レコード大賞』を、この年から大晦日の生中継にてカラーで放送。以後、2005年まで同局の大晦日の看板番組となり、2006年以降は12月30日の恒例番組になっている。
1970年代
1970年(昭和45年)
2月4日:ドラマ『時間ですよ』が連続シリーズドラマとして放送開始(第30回までモノクロ。以降カラー)。[78]
3月16日:「ナショナル劇場 『大岡越前』」放送開始(カラー)。[78]
4月2日:連続ドラマ『ありがとう』放送開始(カラー)。[78]
10月5日:ゴールデンアワーの番組が完全カラー化(「お天気メモ」を除く)。[78][79]
1971年(昭和46年)
2月3日:局内の全テレビ・スタジオへのカラーカメラの導入を完了。[78][79]
11月:気象協会のサテライト・スタジオがカラー化。[79]
1972年(昭和47年)
2月28日:「あさま山荘事件」の人質救出の模様を、JNN系列局である信越放送と協力して、10時から18時56分まで生放送。[80][81]
5月:「第1回東京音楽祭」開催。初回のこの年は、同月13日に「国内大会」、同月21日に「国際大会」(後年「世界大会」に改称)を開催。両大会の模様はテレビ・ラジオの双方で中継された。同音楽祭は、1992年まで毎年行われた。[80]
10月1日:クラシックが主体の音楽番組『オーケストラがやって来た』放送開始(1983年3月27日終了)。[82]
1973年(昭和48年)
3月1日:東京タワーの1号送信機更新(東芝製 蒸発冷却方式TV-55B型)、同局4代目(東京タワー3代目)の送信機として稼働開始。これにより、1960年に導入された同タワーの前1号機(同局2代目)は、同年9月14日に廃用となる。[83]
7月2日:お昼のワイドショー番組『3時にあいましょう』放送開始(1992年10月2日終了)。[82]
1974年(昭和49年)
1月7日:第1次オイルショックによる原油の供給逼迫および原油価格の高騰により、電気事業法に基づく電力使用制限令が出されたことを受け、この日からテレビの深夜放送を自粛。24時(土曜は24時45分)で放送を打ち切る。[84]
1月16日:連続ドラマ『寺内貫太郎一家』が放送開始。[84]
4月1日:ニュース素材がテレビ・ラジオ共に毎日新聞社へ一本化する。[84]
11月19日:近畿地方の準キー局が、これまでの朝日放送テレビから毎日放送(MBS)にネットチェンジすることで基本合意。朝日放送テレビは、これまで毎日放送がネットを組んでいた日本教育テレビ(NET。現:テレビ朝日)とネットを組み、毎日放送に代わってANNに属することになった。[84]
1975年(昭和50年)
3月31日:テレビのTBS-毎日放送の新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”が解消され、NETテレビ系列で放送されていた『アップダウンクイズ』や『真珠の小箱』、『皇室アルバム』、『八木治郎ショー』、『野生の王国』、『ヤングおー!おー![注 17]』、『仮面ライダーシリーズ[注 18]』、『生きものばんざい』などの毎日放送制作番組がJNNのネットワークに引き継がれた。[84]
5月24日:連続刑事ドラマ『Gメン'75』放送開始(1982年4月3日終了)。[85]
9月29日:朝のワイド情報番組の先駆けとなる『おはよう720』放送開始(後に『おはよう700』に改題を経て、1980年9月26日終了)。[85]
10月7日:スタジオ公開クイズ番組『ぴったし カン・カン』放送開始(1986年3月25日終了)。[85]
1976年(昭和51年)
1月3日
毎日放送制作のアニメ『まんが日本昔ばなし』が、TBSテレビ系列にて放送開始。[85]
大橋巨泉司会による『お笑い頭の体操』終了の後継番組として、クイズ番組『クイズダービー』が放送開始(1992年12月19日終了)。[85]
1月26日:テレビマスター(主調整室・NEC製)更新。[86]
2月1日:東京タワーの送信所が無人化される。[14]
10月10日:世界ジュニア・フライ選手権「ファン・グスマン 対 具志堅用高」を生中継[87]。具志堅がKO勝ちしたしたのを契機に、以後、1981年3月8日にペドロ・フローレスに敗れてタイトルを失うまでの具志堅の同タイトル防衛戦全てを独占生中継する。
1977年(昭和52年)
7月1日:連続テレビドラマ「赤い激流」の放送中に、東京タワーの送信所の主電給線の故障により、約20分間停波し、放送が中断する事故が発生(同時ネット回線を経由して放送している地方局には影響なし)。[88]
9月:報道局がENG取材システムを導入。[87]
8月29日:史上初の3時間ドラマ『海は甦える』(江藤淳・作、仲代達矢主演)を放送[87]。なお番組中、スポンサーの日立製作所も史上初の3分CMを4本放送。
9月:3/4インチVTR(Uマチック)によるENG取材を開始。[87]
10月3日:2インチVTRを使用したCMバンクが稼働開始。[87][89]
10月24日:ENG素材の録画・編集から送出までを行う「ENGセンター」が開設。1インチVTRと3/4インチVTR、及び編集システムが導入。[注 19][87][90]
1978年(昭和53年)
1月12日:生放送の音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』放送開始(1989年10月5日終了)。[87]
4月2日:関口宏司会のスタジオ公開クイズ番組『家族対抗クイズ合戦』放送開始(1979年3月25日終了。翌週から『クイズ100人に聞きました』に改題)。
6月2日:東京タワーのアンテナが更新(電気興業製 8段2ダイポールアンテナ)、稼働開始。[91]
9月22日:テレビ音声多重放送の実用化試験局の予備免許取得。[注 20][92][93]
11月18日:テレビ音声多重放送の実用化試験局の本免許を取得(呼出符号:JOKR-TAM)。[91]
11月20日:テレビ音声多重放送開始(実用化試験放送)[91][94]。最初の放送は『JNNニュースコープ』の2か国語放送[94][95]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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