TBSテレビ
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[注 5][24][26]

12月31日:「ゆく年くる年」を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24]


1957年(昭和32年)

7月28日:日曜日朝の政治をテーマにした座談会番組『時事放談』放送開始(1987年3月29日まで)。[27]

11月6日ソ連(当時)の人工衛星スプートニク1号」の世界初のフィルム撮影に成功。AP通信を通じ、全世界に報道する。[28][29]


1958年(昭和33年)

1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30]

1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30]

5月29日:在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。[31][32][33]

6月1日北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、「テレビニュースに関するネットワーク協定」を締結。[32]

6月8日:同局初のVTRを使った番組『ナショナル日曜観劇会』『デン助の裏町人情』が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]

7月6日:大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34]

10月31日:同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組「サンヨーテレビ劇場『私は貝になりたい』」(橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている)。[32][35][36]

11月16日:「東芝日曜劇場」にて、同番組初のVTRを使用したドラマ『マンモスタワー』を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した(これも前述の「私は貝になりたい」に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。[32][37]


1959年(昭和34年)

1月31日:カラーテレビ実験局の本免許を取得(コールサイン:JOKR-TVX[14])。[32][38]

2月2日:カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42]

4月10日皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32]

4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。[43][44]

5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32]

5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45]

8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[46][47]

8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48]

8月17日:「JNNニュース」が始まる。[47][49]

8月:米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50]

11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[47][50][51]

12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51]

12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。[47]

12月21日:プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[47]

12月22日:川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[47]

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