TBSテレビ
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[注 3][20][18]

4月1日:開局。午前10時に本放送開始。 開局記念式典を、Aスタジオにて挙行。この日から、「東京テレニュース」を開始。更にテレビ開局記念番組として、東京都体育館から「グランド・テレビ・パレード」を公開生放送。[8][18][21][22]

なお世間一般では、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」(ケイアールテレビ、略称「KRT」)や「ラジオ東京テレビ」(ラジオとうきょうテレビ)と呼ばれていた。


4月13日:局としてはテレビ初のプロボクシング中継を行う。[注 4][22]

5月15日:テレビの大相撲中継を開始。[22]

6月1日:街頭テレビ第1期77箇所の設置を完了。[22]

7月2日:この日に大阪球場で行われた、第5回「プロ野球オールスター戦」第1戦にて、大阪から局初の遠距離中継を実施。[21][22]

8月20日:街頭テレビ第2期43箇所の設置を完了。[22]

12月31日

局初のラジオ・テレビ同時年末特別番組として、「1955年オールスター歌合戦」をこの年から放送(於:日劇。1957年からオールスター大行進と改題し、1968年まで続く。)。[22][23]

この日の大晦日から翌元日に渡っての放送「ゆく年くる年」にて、銀座・浅草から局テレビ初の3元中継を行う。[22][23]



1956年(昭和31年)

1月1日:皇居参賀の、鳩山一郎首相(当時)以下閣僚の年頭挨拶を独占放送。[23]

4月2日:世界卓球選手権東京大会を、独占中継。[24]

10月13日:プロ野球 日本シリーズ中継「西鉄 対 巨人」に於いて、民放テレビ初の福岡からの中継を行う。[24]

11月15日:ラジオ東京テレビ、日本テレビ、そして翌月1日にテレビを開局する大阪テレビ放送中部日本放送の4社で、「番組の交流に関する4社協定覚書」を締結する。[24]

12月1日大阪テレビ放送中部日本放送(CBC)テレビが共にこの日に開局したのに伴い、両局との番組交流を強化する。[25]

12月2日:単発ドラマ番組『東芝日曜劇場』放送開始。[注 5][24][26]

12月31日:「ゆく年くる年」を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24]


1957年(昭和32年)

7月28日:日曜日朝の政治をテーマにした座談会番組『時事放談』放送開始(1987年3月29日まで)。[27]

11月6日ソ連(当時)の人工衛星スプートニク1号」の世界初のフィルム撮影に成功。AP通信を通じ、全世界に報道する。[28][29]


1958年(昭和33年)

1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30]

1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30]

5月29日:在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。[31][32][33]

6月1日北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、「テレビニュースに関するネットワーク協定」を締結。[32]

6月8日:同局初のVTRを使った番組『ナショナル日曜観劇会』『デン助の裏町人情』が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]

7月6日:大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34]

10月31日:同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組「サンヨーテレビ劇場『私は貝になりたい』」(橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている)。[32][35][36]

11月16日:「東芝日曜劇場」にて、同番組初のVTRを使用したドラマ『マンモスタワー』を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した(これも前述の「私は貝になりたい」に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。[32][37]


1959年(昭和34年)

1月31日:カラーテレビ実験局の本免許を取得(コールサイン:JOKR-TVX[14])。[32][38]

2月2日:カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42]

4月10日皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32]

4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。[43][44]

5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32]

5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45]

8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[46][47]

8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48]

8月17日:「JNNニュース」が始まる。[47][49]

8月:米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50]

11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[47][50][51]

12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51]

12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。[47]

12月21日:プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[47]

12月22日:川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[47]

12月30日:「第1回『日本レコード大賞』」を放送(3日前の12月27日文京公会堂で実施)[47]。以後、毎年年末に同番組を放送する。


1960年代

1960年(昭和35年)

1月17日:テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力[注 11][47][51]。これに伴い、同タワーに設置した東芝製の送信機(TA-2141B型 終段管はGE製:GL-6251)と電気興業製のアンテナ(10段スーパーゲインアンテナ 高さ:275m 実効輻射電力:375kW)が共に同局2代目(同タワー初代)の設備として稼働開始[14]。この当時の赤坂送信所に使われていたアンテナの頂部エレメントは1995年3月2日に解体された後、正門前に記念碑として設置され、赤坂サカス完成後の現在は放送センター南側の南公園に移設されている。

2月8日:プロ野球の、当時の毎日大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)と、テレビでの実況中継放送の独占契約を締結。[47][51]

8月:Fスタジオのカラー化工事が完成[50][52]
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