TBSテレビ
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[9][10]

4月8日:テレビ局舎の建設起工式を挙行。[11][12]

9月 初のテレビ中継車(初代1号テレビ中継車)が完成。[13]

10月5日:初代のテレビ送信機(RCA社製 型番:TT-10AH)及びテレビ鉄塔のアンテナ(RCA社製 12段スーパーターンスタイルアンテナ 型番:TF-12AH 地上高:173.1m)を備え付ける。[14]

12月25日:テレビの試験電波を発射。[12]


1955年(昭和30年)

1月8日:テレビ局舎の落成式を挙行。[15]

1月17日:テレビ局舎完成(A?Cスタジオを含む)。[16]

1月24日:電波監理委員会より、テレビの呼出名称を「ラジオ東京テレビジョン」と指定される。[15]

1月28日 : 郵政省より、地上アナログテレビジョン放送の本放送の免許を取得(呼出符号:JOKR-TVチャンネル6、映像出力10kW音声出力5kW。送信所も同所)。[14][12][17][18]

1月 前述の敷地内で、テレビ送信用のタワー(地上高177m)が完成。[19]

2月10日 : 試験電波の発射を開始。[注 3][20][18]

4月1日:開局。午前10時に本放送開始。 開局記念式典を、Aスタジオにて挙行。この日から、「東京テレニュース」を開始。更にテレビ開局記念番組として、東京都体育館から「グランド・テレビ・パレード」を公開生放送。[8][18][21][22]

なお世間一般では、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」(ケイアールテレビ、略称「KRT」)や「ラジオ東京テレビ」(ラジオとうきょうテレビ)と呼ばれていた。


4月13日:局としてはテレビ初のプロボクシング中継を行う。[注 4][22]

5月15日:テレビの大相撲中継を開始。[22]

6月1日:街頭テレビ第1期77箇所の設置を完了。[22]

7月2日:この日に大阪球場で行われた、第5回「プロ野球オールスター戦」第1戦にて、大阪から局初の遠距離中継を実施。[21][22]

8月20日:街頭テレビ第2期43箇所の設置を完了。[22]

12月31日

局初のラジオ・テレビ同時年末特別番組として、「1955年オールスター歌合戦」をこの年から放送(於:日劇。1957年からオールスター大行進と改題し、1968年まで続く。)。[22][23]

この日の大晦日から翌元日に渡っての放送「ゆく年くる年」にて、銀座・浅草から局テレビ初の3元中継を行う。[22][23]



1956年(昭和31年)

1月1日:皇居参賀の、鳩山一郎首相(当時)以下閣僚の年頭挨拶を独占放送。[23]

4月2日:世界卓球選手権東京大会を、独占中継。[24]

10月13日:プロ野球 日本シリーズ中継「西鉄 対 巨人」に於いて、民放テレビ初の福岡からの中継を行う。[24]

11月15日:ラジオ東京テレビ、日本テレビ、そして翌月1日にテレビを開局する大阪テレビ放送中部日本放送の4社で、「番組の交流に関する4社協定覚書」を締結する。[24]

12月1日大阪テレビ放送中部日本放送(CBC)テレビが共にこの日に開局したのに伴い、両局との番組交流を強化する。[25]

12月2日:単発ドラマ番組『東芝日曜劇場』放送開始。[注 5][24][26]

12月31日:「ゆく年くる年」を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24]


1957年(昭和32年)

7月28日:日曜日朝の政治をテーマにした座談会番組『時事放談』放送開始(1987年3月29日まで)。[27]

11月6日ソ連(当時)の人工衛星スプートニク1号」の世界初のフィルム撮影に成功。AP通信を通じ、全世界に報道する。[28][29]


1958年(昭和33年)

1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30]

1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30]

5月29日:在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される(当時の金額で1台2500万円だった)。[31][32][33]

6月1日北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、「テレビニュースに関するネットワーク協定」を締結。[32]

6月8日:同局初のVTRを使った番組『ナショナル日曜観劇会』『デン助の裏町人情』が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]

7月6日:大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34]

10月31日:同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組「サンヨーテレビ劇場『私は貝になりたい』」(橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている)。[32][35][36]

11月16日:「東芝日曜劇場」にて、同番組初のVTRを使用したドラマ『マンモスタワー』を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した(これも前述の「私は貝になりたい」に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。[32][37]


1959年(昭和34年)

1月31日:カラーテレビ実験局の本免許を取得(コールサイン:JOKR-TVX[14])。[32][38]

2月2日:カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42]

4月10日皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32]

4月14日:同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画「プリンス・アキヒト」を放送。[43][44]

5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32]

5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45]

8月1日:前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって「ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)」を結成。[46][47]

8月6日:アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48]

8月17日:「JNNニュース」が始まる。[47][49]

8月:米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50]

11月14日:Fスタジオの内装完成、番組「若者日本晴れ」から使用を開始。[47][50][51]

12月2日:カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51]

12月13日:「兼高かおる世界飛び歩き(翌年の9月20日に「兼高かおる世界の旅」に改題)」放送開始。
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