TBSテレビ
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^ 同番組の第1回は、舞踏劇「戻橋」だった。
^ 前年(1957年)4月1日にテレビ開局。
^ この年(1958年)の3月1日にテレビ開局。
^ 放送は13時15分からの45分間で、番組の収録は2日前に、浅草松竹演芸場のデン助劇団の21時からの公演を収録したという。
^ ただし、当時のビデオ・テープは米3M社製の輸入品のみで、1時間しか録画ができず、当時の日本円レートで1本約100万円(1958年当時の大卒初任給は約1万3,500円、かけそばは1杯25円、家電でも最高額が電気冷蔵庫の10万円という時代だった。なお、テレビは14インチで7万円。)もする余りにも高額な物で、さらに、著作権法の絡みで長期保存することもできず、当該録画映像の放送後は消去して使い回しというやり方だったために、同年に製作されたドラマ『私は貝になりたい』以前のビデオ・テープは同局では残されていないという。
^ 当初は、毎日の午後の時間帯に、30分間のカラーフィルムの放映によるものだった。ちなみに、同実験放送に於ける初日(最初)の番組は、東映の短編映画「夢見童子」だった。
^ 尚増力許可は、10日前の同年1月7日に、郵政省から下りている。
^ この日は他にも、東京・大阪のNHK総合・教育両テレビ、日本テレビ、朝日放送テレビ、読売テレビも同免許を取得した。
^ この本放送開始時点でのカラーのレギュラー番組は、毎週金曜日の「奥様これはいかが」、「季節の手帳」(いずれも15分の番組)だけだった。朝日新聞1960年9月8日朝刊5ページテレビ欄「カラー番組ご案内 10日からいよいよ本放送」に記載。(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
^ 2023年2月2日にTBSラジオ『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』内の「ラジオTOKYO リメイク」のコーナーで同歌が取り上げられ、ラジオのみではあるものの、久々に放送された。
^ 1965年東京放送発行の『東京放送のあゆみ』では、307ページに、これらの3台は1964年10月初めに導入され、内の1台は局初のカラー録再対応VTRで、翌年(1965年)までには、もう1台もカラー録再対応となった、と記されているのに対し、2002年同社発行の『TBSの50年』の219?220ページでは、1964年9月にこれらの3台が増設されたことを述べた後に、「尚、従来のアンペックス社製VR-1000の1号機に加え、2号機にも新型カラーアダプターが装着され、カラー機は2式となり、新規3台と合わせてオリンピックへの準備が整った。」と記されている。
^ 関東地区では当初はNETテレビにネットされていたが、NETテレビの編成方針で打ち切りとなり、東京12チャンネル(現:テレビ東京)にネットが移行されネットチェンジ直前までネットされた。TBS系列の中国放送(RCC)とRKB毎日放送(RKB)は腸捻転時代から既に番組販売扱いでネットされていた。
^ TBS系移行時は『仮面ライダーストロンガー』から。『平成・令和仮面ライダーシリーズ』は毎日放送のかつてのキー局であるテレビ朝日が制作・放送。
^ 同センターには、1インチVTR3台とその編集機1台、3/4インチVTR3台とそれらから1インチVTRへの編集機1台の計2式の編集システムが導入された。
^ この日には他に、東京と大阪のNHK総合テレビ、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネル、讀賣テレビ放送にも同予備免許が付与された。
^ 大分放送RKB毎日放送との共同制作。熊本放送の技術協力も得て放送。
^ びわ湖放送でのネット中止については「びわ湖放送#備考」を参照
^ 4月4日は22時半から1時間の前夜祭スペシャル、翌5日は、17時から24時に渡り、『ウルトラマン』、『まんが日本絵巻』、『ミラクルTV』、『ナッキーはつむじ風』(以上各30分)、『水戸黄門』(1時間)、『8時だョ!全員集合 ギャグ集』、『サウンド・イン・S』(以上各30分)、『Gメン'75』(1時間)、『美をもとめて』(30分)が各々英語吹き替え版にて放送され、その後『ニュース』、『スポーツスペシャル』が各々15分、英語での衛星中継にて放送された。尚、この番組のタイトル・テロップ写真は、モノクロではあるものの、書籍「TBS50年史」(株式会社東京放送:2002年1月刊)の401ページに掲載されている。
^ 副音声は、番組冒頭の天気予報の詳しいデータを5分間にまとめ、それを3回繰り返して放送。
^ 「クイズ100人に聞きました」(月)、「ぴったしカン・カン」(火)、「ザ・チャンス!」(水)、「クイズ天国と地獄」(木)、「野生の王国」(金,毎日放送制作)が各々40分へ拡大された。
^ 全固体化に伴い、送信機の出力段がユニット化されており、映像が1.5kW×40、音声が1.5kW×10となっている。
^ 民放ではフジテレビジョンと同時で初。ただしフジは未明の30分-1時間程度、メンテナンスのために放送を中断し、カラーバー(試験電波)を放送していたため完全な24時間放送ではなかった。TBSはこのようなカラーバーなどの中断を挟まず完全に24時間番組を配信していた。(但し、日曜日深夜約3時間にメンテナンスの為休止)
^ 2000年代になってから同局番組『ドリーム・プレス社』は番組ロゴの一部として筆記体マークを使用していた。
^ 製作著作クレジットでは、従来の「TBS」のローマン体ロゴの後にシンボルマークの「ジ?ン」を付けている事も多かった。又、『JNNニュース』番組での表示は一部を除きなし。なお後にTBS制作の一部の全国ネット番組のクレジットタイプで表示されなくなった。
^ 現ロゴ制定初期のデザインに近いが当時はアナログ放送のみであったため放送局アイコンはなかった。
^ なお、BS-TBSとCS放送のTBSチャンネル・TBSニュースバードではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。
^ 開局以来、日本電気(NEC)製のマスターシステムを採用してきたが、初のメーカー変更となった。
^ アニメ自体は2021年4月から2022年3月まで放送局をテレビ東京に移管して第2シリーズを放送。
^ ラジオでも、同日21:10?21:35に同名の番組を放送した。
^ 2位はフジテレビの12年連続(1982年 - 1993年)である。
^ 1984年度、1987年度の下期視聴率は、ゴールデンはTBSがトップだった。
^ TBSテレビの2131億72百万円に対しテレビ朝日は2176億62百万円となり、TBSは開局以来初めて単体売上高でテレビ朝日(日本教育テレビ・NETテレビ時代も含む)に抜かれた。
^ 現在の上場会社はフジ・メディア・ホールディングス
^ 2009年3月31日までは東京放送、2009年4月1日から2020年9月30日は東京放送が商号変更した東京放送ホールディングス、2020年10月1日以降は東京放送ホールディングスが商号変更したTBSホールディングスが上場会社である。
^ 現在の上場会社は日本テレビホールディングス
^ 毎日放送(MBSテレビ)制作。
^加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の1コーナー。
^ 日本国外では『ニンジャ・ウォリアー』のタイトルで放映。
^ かつて放送されていた『うたばん』ではこれを逆手に取り、トークやゲストの歌唱中に照明が落ちる演出が使われていた。
^ 東京放送は月給制で年功序列給であり、TBSテレビは年俸制で成果主義給だった。
^ HBC・TBS・CBCMBSRKBの5局。1975年3月まではMBSの代わりにABCが参画していた。
^ 1987年10月?1989年9月は報道番組のため枠を一旦廃止。代替枠としてこの期間は水曜21時枠で放送
^ 本作品は、以前にフジテレビで放送されていた『インスタントヒストリー』の局を変えた続編という位置付けであり、スタッフも共通していた。同時に、『キリンものしりシリーズ』の第1弾でもあったが、次回作の『ものしり大学 明日のカレンダー』からは制作局がMBSに移行し、関西ローカルでの放送となった。
^ 前作に当たる『七つの大罪』も第2期まではTBS系列で放送されていたが、こちらはMBSの製作で「日5」や「アニメサタデー630」で放送された。
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