株式会社TBSホールディングス
TBS HOLDINGS, INC.
TBS放送センター
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 9401
株式会社TBSホールディングス(ティビーエスホールディングス[3]、英: TBS HOLDINGS, INC.[4]、略称:TBSHD)は、東京都港区赤坂に本社を置く、日本の認定放送持株会社。
傘下に関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSテレビ、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送(AMラジオ)の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSラジオ、BSデジタル放送の衛星基幹放送事業者であるBS-TBSを収めている。
キャッチコピーは「ときめくときを。」[5]。 1951年に「株式会社ラジオ東京」として設立、設立当初は一般放送事業者(現:民間特定地上基幹放送事業者)として中波放送事業を、1955年にアナログテレビジョン放送を開始。在京民間放送唯一のラテ兼営局となり、コールサインの「JOKR」からラジオは「KRラジオ」、テレビは「KRテレビ」と称する。 1960年10月10日には東京証券取引所に株式を上場。同年11月29日に商号を「株式会社東京放送」(とうきょうほうそう、英: Tokyo Broadcasting System, Inc.)、略称を「TBS」に変更した。 2000年3月21日、東京放送は経営の効率化を目的に、ラジオ放送制作部門とテレビ番組制作部門を子会社に分割、2001年10月1日、ラジオ放送制作子会社の「株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ(現:TBSラジオ)」に中波放送免許を承継し、中波放送事業を完全分割した。この動きは将来の持株会社制への移行を想定したものといわれている。 2009年4月1日、「株式会社東京放送ホールディングス」(とうきょうほうそうホールディングス、英: Tokyo Broadcasting System Holdings, Inc.、通称表記:TBSホールディングス)に商号変更、放送免許の承継を含むテレビジョン放送事業及び文化事業の現業一切を連結子会社である株式会社TBSテレビに分割して純粋持株会社化し、総務大臣から認定された日本で2番目[注釈 2]の認定放送持株会社となった。 2020年4月1日、TBSグループの新CI導入によるロゴ変更に伴い、東京放送ホールディングスも新CIが導入されロゴも一新した。同時に、従前から使用されていたシンボルマーク「ジ?ン」も使用終了となった[注釈 3]。 2020年10月1日、「株式会社東京放送ホールディングス」の略称および通称として用いてきた「株式会社TBSホールディングス」に商号変更。これにより、60年にわたり掲げ続けてきた「東京放送」の名が、東京放送健康保険組合、東京放送診療所、TBSテレビの英文社名「TOKYO BROADCASTING SYSTEM TELEVISION, INC.[6]」を残し消滅した[注釈 4]。 テレビ放送事業は2004年10月1日付で、先に制作会社として設立されていた「株式会社TBSテレビ」(「株式会社TBSエンタテインメント」から商号変更)に、放送(送信)と経理以外のテレビ放送事業の現業全般を業務委託した。これにより、東京放送自身では番組制作を一切行わないこととなり、実質的にテレビ放送事業を分社化していた。業務委託化に伴い、東京放送所属のアナウンサーがTBSテレビへ出向となり、翌年から入社のアナウンサーはTBSテレビへの採用となった。 2009年4月の放送持株会社移行の際、放送免許の承継を含めテレビ放送事業の全てをTBSテレビに分割した。同時に、東京放送からTBSテレビに出向していたアナウンサーは同日を以て、全員がTBSテレビへ転籍扱いとなった。 ラジオ放送事業は2001年10月1日付で、先に制作会社として設立されていた「株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ」に、放送免許承継を含め全事業を分割した。 2009年4月の放送持株会社移行の際、デジタルラジオ事業の運営をTBSラジオ&コミュニケーションズから当社へ移管した[7]。 2016年4月1日付で、「株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ」から、対外呼称・呼出名称に揃える形で商号を「株式会社TBSラジオ」に変更した[8]。 ラジオ送信所の保守管理は、分社後も東京放送が引き続き受託していたが、2009年4月の放送持株会社移行後はTBSテレビに移管して引き続き委託していた。現在は、自社で保守管理を行っている。 アナウンス業務も同様に、東京放送→TBSテレビ所属のアナウンサーが行っているため、自社ではアナウンサーの雇用を行っていない。 本来の略称は「TBS R&C」→「TBS R」であるが、本来TBSテレビ(ともすれば当社も)が使っている略称とまとめられる形で「TBS」と略される(radikoにおける放送局記号も「TBS」である)ため、本来の略称は全く定着していない[注釈 5]。また、競合局のニッポン放送(LF)や文化放送(QR)と同じ法則で、コールサインを略した「KR」も使われていることがある[注釈 6]。 赤坂サカスのイベント、赤坂BLITZ・赤坂ACTシアターの運営や、各種催事の開催等の文化事業は2009年4月の持株会社制移行の際に全事業をTBSテレビに分割した(赤坂サカス各施設の所有・不動産管理は当社が引き続き行う)。 TBSテレビに関する事項はTBSテレビ#沿革を、TBSラジオに関する事項はTBSラジオ#沿革を参照。
概要
テレビ放送事業詳細は「TBSテレビ」を参照
ラジオ放送事業詳細は「TBSラジオ」を参照
文化事業
沿革TBSホール(1989年11月11日撮影)
1951年(昭和26年)
5月10日、東京都千代田区霞ヶ関に資本金1億5000万円で株式会社ラジオ東京設立(設立登記完了は5月17日)。初代社長は元王子製紙社長の足立正。元々、朝日新聞社により計画された「朝日放送」(大阪の朝日放送と同時期に東京で開局を目指した放送局)、毎日新聞社により計画された「ラジオ日本」(現在のアール・エフ・ラジオ日本〈旧ラジオ関東〉とは別)、読売新聞社により計画された「読売放送」、日本電報通信社(現在の電通)により計画された「東京放送」を一本化する形で設立された[9]。
12月25日、東京都千代田区有楽町一丁目(現在「新有楽町ビルヂング」がある位置)の毎日新聞東京本社新館[注釈 7] 内のスタジオより全国6番目、関東地方では初となる民間中波ラジオ放送の本放送開始(コールサインJOKR、周波数1130kc、出力50kW)。
1953年(昭和28年)
8月、周波数を950kcに変更。
12月、"KRT"を略称とする。Kabushikigaisha Radio Tokyoから由来するが、テレビ放送開始をにらんだJOKR-TVにもちなんだともいわれる。実際その通りになったが、世間一般にはほとんど浸透していなかった。
1955年(昭和30年)4月1日、東京都港区赤坂一ツ木町36番地(現:赤坂五丁目、近衛歩兵第3連隊兵営跡地)に旧放送センター・テレビスタジオが完成、10時30分から地上アナログテレビジョン放送の本放送開始(呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10kW、音声出力5kW)。送信所も同所。当時のラテ欄や雑誌の番組紹介では「ラジオ東京テレビ」や「KRテレビ」の名称が使われた。
1959年(昭和34年)8月1日、皇太子ご成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして「ジャパン・ニュース・ネットワーク」(略称:JNN)を結成。JNN協定を締結。
1960年(昭和35年)
1月17日、テレビ送信所を旧放送センターから東京タワーに移転。映像出力50 kW、音声出力12.5 kWに増力。
9月10日、カラーテレビ本放送を開始。カラー放送は開始当初1日平均5分のフィルムによる番組しか行っておらず、カラーVTRを同社はまだ使っていなかった。ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった。
10月10日、東京証券取引所第一部に株式を上場。
11月29日、株式会社東京放送に商号変更し、略称をTBSとする。同時に、「東京テレビ」「東京ラジオ」[注釈 8] という呼称を公式に採用した[10] ものの、定着には至らなかった。
TBS 筆記体ロゴ
(1961年8月[注釈 9] - 1991年9月)旧社屋竣工当時の外観(1961年)
1961年(昭和36年)
8月、電波を象徴した新社名ロゴタイプ(2代目TBSロゴ・筆記体)制定。(デザイン:今道潤三、制作:市川景)
9月、コーポレートカラー「光の3原色(青・赤・緑=能力・熱意・責任)」制定。車両の塗装等に使用開始。
10月、「光の3原色」による社旗、社章(バッジ)制定。