飛行するTBF-3R 85905号機
(VR-23輸送飛行隊所属、1953年6月25日撮影)
用途:雷撃機
分類:艦上攻撃機
設計者:リロイ・ランドル・グラマン
TBF アヴェンジャー(Grumman TBF Avenger )は、アメリカ合衆国のグラマン社が開発し、第二次世界大戦中にアメリカ海軍などで運用された主力雷撃機。
愛称の「アヴェンジャー (Avenger)」は、「復讐者、報復者」の意。アベンジャーとも表記される。 アメリカ海軍とアメリカ海兵隊で運用が開始され、1942年のミッドウェー海戦を初陣にイギリス海軍など他国でも運用された雷撃機。日本海軍で言う艦攻にあたる(ただし、日本での「艦攻」は流星を除き急降下爆撃ができないが、TBFには急降下爆撃可能な種類もあった)。 生産の途中からTBFはグラマン社に代わってジェネラル・モーターズ(GM)社が量産するようになり、ジェネラル・モーターズ社で生産された機体はTBMの制式番号が付けられ、TBM アヴェンジャーの呼称で呼ばれた。 航空雷撃において魚雷の命中率を高めるためには、雷撃機は海面すれすれを飛び、目標艦船に低空でぎりぎりまで近づくことが必要で、ゆえに、激しい対空砲火と敵方の直掩戦闘機の攻撃にさらされるという性格を持っていた。このため、雷撃機の開発においては高い飛行安定性と防弾性、そして敵の直掩戦闘機に対する対空攻撃力が追求された。さらに当時の米海軍は、主力雷撃機として採用されていたダグラス社製のTBD デヴァステイターの最大の欠点である、「航続距離が短すぎて戦闘機や急降下爆撃機と連携できない」という慢性的な問題を抱えていた。 TBFはこの問題を解消するため内部燃料タンクを大型化した。さらに魚雷を機内兵装庫に収める格納型の装備方式を取ったため、単発エンジンの艦載機としては非常に大型の機体となった。また、操縦席後方の背面機銃は全周旋回可能な銃塔式で、機体下面にも引き込み式に機銃が装備されており、機内には複層の「階」があるという、双発大型陸上爆撃機に似た異色な構造を持っていた。 TBFは雷撃機として当時の世界水準を越えた高性能を持ち、日本海軍の零式艦上戦闘機によって開戦初期に大損害を出したTBDの後継機として運用された。零戦がアメリカ海軍の新鋭戦闘機F6Fヘルキャットによって劣勢に追い込まれた1943年以降活躍し、戦艦「大和」、「武蔵」や空母「瑞鶴」を撃沈するなど、日本艦隊に甚大な損害を与えた。 TBFは、第二次世界大戦に参加した雷撃機で最も重いエンジンを搭載し、航空母艦で収容スペースを確保するため翼折り構造を最初に採用した航空機でもある。主翼を後ろに畳む独自の方式はF6Fヘルキャットなどグラマン製の艦載機の標準となった。 1,900馬力のライトR-2600-20 サイクロン14を採用することで大型魚雷の搭載が可能となり、機体サイズの割に運動性も良好であった。グラマンの伝統である機体強度を重視した設計により、翼端に10人以上が乗ってもたわむことが無く、急降下と急激な引き起こしにも耐えられた。無骨な外観であるが高い安定性と使い勝手の良さからパイロットは「頑丈なトラックのようだ」と賞した。 乗員は操縦士、無線士、砲塔射撃手の3名である。12.7mm重機関銃は左右の翼内におさめられ、もう1つの12.7mm重機関銃は後部に電気駆動の砲塔に備えつけられた。砲塔は全周視界が確保されており後方の警戒にも威力を発揮した。無線士は爆撃手を兼ねており、後下方より敵戦闘機の攻撃を受けた際には、機腹部に設置された7.62mm機関銃を操作する射手も兼ねていた。通信機は洋上での長距離通信を考慮した大出力のものであったため非常に大型で、パイロットの背部の大部分を占有していた。なお、現存のTBFはほとんど通信機をより小型のものに交換しており、空いたパイロットの背部スペースには同乗者用の予備座席が設置してあるものが多い。 機体下面はほぼ爆弾倉となっており、Mk13魚雷や2000ポンド(907kg)爆弾ならば1発、500ポンド(227kg)爆弾ならば4発を搭載できた。しかし、魚雷はミッドウェー海戦後に改善を指示され、後の1944年6月まで使用されなかった。それまでの間、TBFは主に陸地に対する爆撃に使用された。翼下にもHVAR (ロケット弾)や3.5インチ FFARを搭載できるため、対地攻撃機としても活躍した。
概要
略史編隊を組むTBF(1942年、ノーフォーク)
構造