TAKURO
奥のサングラスを掛けているのがTAKURO
基本情報
出生名久保 琢郎
生誕 (1971-05-26) 1971年5月26日(52歳)
出身地 日本 北海道函館市
学歴函館市立桔梗小学校
TAKURO(タクロウ、1971年〈昭和46年〉5月26日 - )は、北海道函館市出身のミュージシャン、ロックバンド・GLAYのギタリスト、キーボーディスト。同バンドのリーダーを務めている。loversoul music & associates代表取締役[1]。
本名は久保 琢郎(くぼ たくろう)。北海道函館稜北高等学校卒業。身長182cm。血液型はO型。妻はモデルの岩堀せり。2児の父。 母親は、シャンソン歌手で、幼い頃から音楽に興味を持つ。3歳の頃に、交通事故で父親を亡くしている(自叙伝では「不可抗力ではなかったらしい」と自殺を示唆[2])。貧しい家庭で育っており、後に、シングル「Yes, Summerdays」の印税で母親の借金を完済した時は、「自分の力で金の苦労を解決できたのが嬉しかった」と語っている[3]。中学時代、サッカー部でバックスとして活躍していたが、ジョン・レノンに多大な影響を受け、2年のサッカー大会の直前にビートルズ特集の組まれたラジオ番組を聴くため、自主退部した。このため、中学卒業までかつてのチームメイトから冷たい視線を浴びる事となった[4]。
経歴
1988年7月 - 小学校・中学校と同級生であったTERU、同じ函館稜北高校に通うHISASHIとGLAYを結成。
1990年3月 - 高校卒業後、上京。
1991年 - 彼らと同じく函館出身であったJIROと出会う。
1994年5月25日 - X JAPANのメンバーであるYOSHIKIに目を留められ、プラチナム・レコードから「RAIN」でデビュー。
1997年8月6日 - 女性アーティストMijuをプロデュースし、シングル「SUMMER SHAKES」をリリース。
1998年2月18日 - 女性アーティストRomiをプロデュースし、シングル「見つめていたい」をリリース。
1998年4月8日 - 中山美穂のシングル「LOVE CLOVER」及びカップリングの「empty pocket」を提供。
2001年4月 - 坂本龍一を中心とする地雷排除活動「地雷ZERO」に協力し、チャリティーソング「ZERO LANDMINE」にギタリストとして参加。
2002年4月 - 松本孝弘(B'z)のソロアルバム『華』収録の「ENGAGED」を松本と共作。
2002年9月 - インディーズ時代に知り合ったことがきっかけで親友のTOKI(現C4,Kill=slayd)のプロジェクト「STEALTH」の「灼熱」を作曲。
2003年3月20日 - イラク戦争開戦の報に接し、メッセージサイト「TAKURO-NO-WAR.jp」を個人で立ち上げ、攻撃の大義を世界に問う[5]。
2004年 - 映画『CASSHERN』(監督:紀里谷和明)に、HISASHIとエキストラで虐殺される民間人役として出演。同映画のサウンドトラックにもGLAYとして参加している。
2004年5月26日 - 女性ファッション雑誌「ViVi」の専属モデルであった岩堀せりと結婚。
2005年11月23日 - 渡辺美里に楽曲「Kiss from a rose」を提供。
2006年11月29日 - 中島美嘉主演の映画『NANA』の主題歌「一色」の作曲とカップリングの「EYES FOR THE MOON」の作詞曲を担当。歌うのは中島美嘉。作詞は矢沢あい。また「一色」が収録されたアルバム『THE END』では、「一色」の別バージョンでベースを弾いている。
2007年12月 - JACK IN THE BOX 2007にてTERU、L'Arc?en?Cielのhydeと共演(演奏した曲:「誘惑」「HONEY」)
2009年5月 C4のTOKIと共に起こしたプロジェクト「STEALTH」のギタリストとして渋谷AXにて1st LIVEを敢行
2009年7月 デザイナーの片山勇のドキュメンタリー映画「イサム・カタヤマ=アルチザナル・ライフ」が公開。テーマミュージックとして書き下ろした「LET ME BE」をGLAYとして提供し、映画全編のサウンドトラックをHISASHIとタッグを組み「AUDIO 2 AUDIO」名義で担当した(AUDIO 2 AUDIOの音源はCD化されていない)。
2010年 - C4のTOKIとのプロジェクト「STEALTH」にギターと作曲で参加。10月にシングル「激情/sickbed」、12月にアルバム『アルストロメリア』を発表。
2011年 映画「EXILE PRIDE」のサウンドトラックをAUDIO 2 AUDIOとして担当。
2013年1月 - C4のTOKIとのプロジェクト「STEALTH」のワンマン公演を渋谷O-EASTにて行い、GLAYからHISASHIと共にギターで参加。
2013年10月27日 - VAMPS主催のライブイベント「HALLOWEEN PARTY 2013」に、TERUと共に出演[6]。
2013年11月13日 - 台湾のロックバンドMayday(五月天)のベストアルバム「Mayday×五月天 the Best of 1999‐2013」のリード曲「Dancin' Dancin' feat. TERU (GLAY)」に、TERUと共に参加[7]。
2016年12月14日 - 1stソロ・アルバム「Journey without a map」を発表。
2018年、長男長女の教育を念頭に考え一家でアメリカのロサンゼルスに移住。以後仕事などで日本とアメリカを往復。
2021年2月26日、A.B.C-Zのニューシングル「Nothin' but funky」の作曲を担当(作詞はJane Doe)。ジャニーズへの楽曲提供は自身のキャリア初[8]。
2022年3月22日、ウクライナ人道危機救援のため、日本赤十字社に1000万円を寄付した[9]。
2023年2月21日、トルコ・シリア地震の救援金として、日本赤十字社に1000万円を寄付した[10]。