T-J境界
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T-J境界(ティー・ジェイきょうかい、: Triassic-Jurassic boundary)とは地質年代区分の用語で、約2億130万年前(誤差20万年)の三畳紀(トリアス紀)[1]ジュラ紀の境目に相当する[2]古生物学上では顕生代四度目の大量絶滅が発生し、陸と海の生物に深く影響を及ぼしたことが知られる[3]

海ではコノドントが絶滅し[4]、陸上ではワニ形上目スフェノスクス亜目とCrocodyliformes)とアヴェメタターサリア翼竜恐竜)を除く全ての主竜類、生き残りの獣弓類、数多くの大型両生類が絶滅した。この時代における海洋生命の消失の統計的解析によると、多様性の消失は絶滅の増加よりも種分化の減少によるところが大きいことが示唆されている[5]
名称

中生代三畳紀: Triassic )と中生代ジュラ紀: Jurassic)の境目であることから、T-J境界と呼ばれている。スラッシュで接続しT/J境界とすることもある[3]。また、Tr-J境界とも呼ばれる[6][7]
影響

三畳紀末の絶滅事変で地上の生態的地位は空白となり、ジュラ紀には恐竜が支配的な地位を占めるに至った。この絶滅事変はパンゲア大陸が分裂を開始する直前に1万年以内という短期間で起こった。ドイツテュービンゲンの地域では三畳紀 - ジュラ紀のボーンベッドを確認でき、これはT-J境界に特徴的である[8]

絶滅事変により植物も影響を受けた。多様な monosaccate(嚢が1つ)と bisaccate(嚢が2つ)の花粉群集の約60%がT-J境界で姿を消しており、植物の属にも大規模な絶滅があったことが示唆されている。前期ジュラ紀の花粉群集は主に Corollina 属が占め、これは絶滅により空白となった生態的地位というアドバンテージを得た新しい属であった[9]
海洋無脊椎動物コノドントは三畳紀の末に絶滅した主要な無脊椎動物のグループであった

アンモナイトは実質的に三畳紀末の大量絶滅に影響された。三畳紀で最も卓越したグループのアンモナイトであるセラタイト目(英語版)はノーリアンで大きく多様性が減少した後にレーティアンの末で絶滅した。アンモナイト亜目やリトセラス亜目(英語版)およびフィロセラス亜目といったアンモナイトのグループは前期ジュラ紀から多様化した。二枚貝は前期および中期レーティアンで絶滅率が高い。プランクトン腹足綱の多様性はT-J境界ではほとんど影響を受けなかったものの、放散虫が地域的に絶滅した可能性がある。腕足動物は三畳紀に緩やかに多様性が減少した後、前期ジュラ紀で多様性を取り戻した。刺胞動物のコヌラリーダ(英語版)は三畳紀の末に完全に絶滅したらしい。礁群集が崩壊した証拠もあり、三畳紀の末にテチス海からサンゴが実質的に消滅し、その数は後期シネムーリアンまで回復しなかった。コノドント古生代と三畳紀を通して卓越した示準化石であったが、多様性が減少した後にT-J境界で最終的に絶滅を迎えた[4]
海洋脊椎動物

三畳紀の末に魚類が大量絶滅に苦しむことはなかった。条鰭綱は中期三畳紀に爆発的に進化した後、後期三畳紀で一般に多様性が徐々に低下した。これは海水準の低下あるいはカーニアン湿潤化イベントに起因する可能性もあるが、後期三畳紀よりも中期三畳紀の魚類の方が研究が進んでいるというサンプリングバイアスかもしれないと考えられている[10]。多様性は見た目には低下したが、現生硬骨魚類の大部分を含む新鰭類は原始的な条鰭綱よりも影響が小さく、現生の魚が先のグループに取って代わり始めたことが示唆されている[4]

魚類と同様に海生爬虫類も中期三畳紀からジュラ紀にかけて多様性が実質的に低下したが、T-J境界で海生爬虫類の絶滅率は上昇しなかった。中生代の海生爬虫類の絶滅率が最も高かったのはラディニアンの時代であり、これは中期三畳紀の末に相当する。T-J境界あるいはその直前に絶滅した海生爬虫類の科はプラコケリス科(英語版)(板歯目の最後の科)と、シャスタサウルス科(英語版)やショニサウルス科(英語版)といった巨大な魚竜だけであった[11]。ただし、三畳紀の末には魚竜に属レベルのボトルネック効果が生じ、三畳紀の間に誇っていたほどの解剖学的多様性と相違点は二度と戻らなかった、と主張する研究者もいる[12]
陸上脊椎動物マストドンサウルスなどカピトサウルス類(英語版)はT-J境界の巨大な両生類のグループの1つである。大型両生類の多くはより早期に絶滅した可能性がある。

後期三畳紀の絶滅の最初期の証拠は両生類爬虫類単弓類といった陸上四足動物の大規模な変遷であった。エドウィン・H・コルバートは三畳紀 - ジュラ紀境界と白亜紀 - 古第三紀境界の絶滅と適応のシステムの類似点を描いた。彼は恐竜鱗竜類トカゲとその親戚)・Crocodyliformes(ワニとその親戚)がジュラ紀の始まりまでに絶滅した両生類・爬虫類の古いグループの生態的地位をどのように埋めたかを認識した[13]。Olson (1987) では北アメリカのニューアーク層群(英語版)における動物相の変化の研究に基づいて、全ての陸上四足動物のうち42%が三畳紀末に絶滅したと推定された[14]三畳紀の四足動物の変遷が三畳紀末に突然起こったか、あるいはより徐々に進行したのかについては、より新しい研究で議論されている[4]

三畳紀の間、両生類は分椎目に属するワニに似た大型の生物に主に代表されていた。最初期の平滑両生亜綱カエル有尾目のような現生両生類)は三畳紀に姿を現し、彼らはT-J境界を過ぎた分椎目の多様性が減じる一方で、ジュラ紀で一般的な両生類になった[14]。分椎目の衰退は淡水生態系に余波をもたらしたものの、おそらく複数の研究者が提唱するほど急激なものではなかった。例えば腕足動物は1990年代の発見によると白亜紀まで生き延びた。三畳紀末以前の繁栄とは打って変わって複数の分椎目のグループは三畳紀末に絶滅したが、彼らの絶滅がどれほど三畳紀の終わりに近い時期であったかは定かではない。既知の最後のメトポサウルス科(英語版)であるコスキノノドン(英語版)はレオドンタ累層(英語版)から産出しており、この層は前期レーティアンあるいは後期ノーリアンに相当する可能性がある。既知の最後のプラギオサウルス科(英語版)であるゲロトラックスはおそらくレーティアンに相当する岩石から発見されており、カピトサウルス類(英語版)の上腕骨も2018年にレーティアンの堆積層から発見された。これゆえ、プラギオサウルス科とカピトサウルス類は三畳紀のごく末に絶滅した可能性が高く、他の分椎目の大半は既に絶滅していたと考えられている[15]三畳紀末での爬虫類の絶滅はあまり知られていないが、レドンダサウルスといったフィトサウルス類は繁栄していた状態からレーティアンの終わりまでに絶滅を迎えた。

陸上爬虫類の動物相は三畳紀の間には主竜様類が支配的で、特にフィトサウルス類偽鰐類(現代のワニに繋がる爬虫類の系統)のメンバーが繁栄していた。前期ジュラ紀以降では恐竜翼竜が最も一般的な陸上爬虫類となり、小型爬虫類は主に鱗竜形類(トカゲやムカシトカゲの親戚)に代表された。偽鰐類で三畳期末までに絶滅しなかったものは小型のワニ形上目のみで、支配的な植物食のグループ(アエトサウルス目など)や 肉食の1グループ(ラウイスクス科)は絶滅した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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