Something_ELse
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Something ELse
出身地 日本 千葉県柏市
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ロック

ポップス

活動期間1994年 - 2006年
レーベル東芝EMI 
1996年 - 2004年
オーマガトキ
2005年

旧メンバー

大久保伸隆ボーカルギター

伊藤大介(ボーカル・ギター)

今井千尋(ボーカル・ベースキーボード

Something ELse(サムシングエルス)は、1994年に結成した、アコースティック・スタイルと三声のハーモニーを基調とした日本のバンドである。略称は「サムエル」。

」発のストリートミュージシャン出身であることや、楽曲「ラストチャンス」のヒットで知られる。

2006年10月22日、FINAL TOUR「LAST LIVE」を以て解散した。

解散後、大久保伸隆はソロでライブを中心に活動中。伊藤大介と今井千尋はプロデュース・ユニットranaiを結成したものの現在活動休止中。今井はレコード会社勤務の傍ら、音楽ディレクターとしての活動を行っている。
メンバー

大久保伸隆(おおくぼ のぶたか、 (1974-09-24) 1974年9月24日(49歳) - )リード・ヴォーカル(Lead Vocal)、アコースティック・ギター(Acoustic Guitar)東京都生まれ、千葉県流山市育ち2009年11月11日、ブログで一般女性との結婚を発表。

伊藤大介(いとう だいすけ、 (1974-07-25) 1974年7月25日(49歳) - )アコースティック・ギター(Acoustic Guitar)、ヴォーカル(Vocal)千葉県野田市育ち。妻は歌手の鈴里真帆。二児の父。

今井千尋(いまい ちひろ、 (1974-08-28) 1974年8月28日(49歳) - )ベース(Bass)、キーボード(Keyboard)、ヴォーカル(Vocal)福岡県太宰府市出身。明治大学政治経済学部卒業。妻は歌手の松本英子。一児の父。

遍歴
I/O EXIT

高校2年生の夏、吹奏楽部ユーフォニアムを担当していた伊藤大介は失恋をきっかけにアコースティックギターを始める。また同時期に、同じ高校で同級生だった大久保伸隆も、長渕剛ファンの友人宅に遊びに行った際、友人の兄が所有していたギターの音色に魅了され、すぐに持ち帰ってアコースティックギターを始める。

クラスが別々でそれほど親しくなかった二人だが、ある時、理科準備室で黙々とギターの練習をする、空手部の大久保の姿を伊藤が見かけたことがきっかけで会話を交わすようになる。互いに音楽に興味を持ち、ギターを弾いているという共通点も更に距離を縮めることになった。

「予餞会(三年生を送る会)」を機にユニットを結成、ストリートライブを開始する。程なくして、大久保の発案でライブハウスの出演が決まる。当初名前は決まっていなかったが「自分達の音楽が聴いてくれる人にとって心の非常口になれば」との思いから、「EXIT(非常口)というフレーズは使いたい」と強くこだわった。正式なユニット名を決めかねていたところ、ライブハウスのマネジャーが二人の名字を取って『I/O EXIT』と命名し、そのままユニット名になった。バンドのプロフィール紹介ではinput/outputという意味合いもあるとされている。
EXIT LINE

1994年5月、柏駅前のデッキ上でI/O EXITとしてストリートライブを行っているところを、たまたま母校の野球観戦を終えて帰宅途中だった今井千尋が見かける。今井は別の音楽ユニットで活動していたがプロミュージシャンとして身を立てることを志しており、自身の作る楽曲に合うボーカルと演奏を求めていたこともあって、オーリアンズの「Dance With Me」を演奏する2人に心打たれ、すぐに声をかける。その時の今井は泥酔状態であった為、伊藤と大久保は不信感を募らせたが、プロ志向を熱く語る今井に感じるものがあり、後日改めて話し合いをすることになる。今井が用意したオリジナル曲の譜面とテープを聴いた2人が気に入り、『EXIT LINE』として活動を開始。一週間後にはストリートライブを行う。後にシングルとして発売されることとなる『風と行きたかった』は最初のオリジナル曲として早くから披露されていた。

やがて、柏でのストリートライブは200人以上を集めるようになり、地元紙に取り上げられるまでになっていた。当初は歌いたいだけ歌っていたが、ライブハウスへの集客を目的とする為、後に隔週土曜日、時間も50分間で固定された。音楽関係者がその様子を知ることになりデビューへのきっかけとなる。
Something ELse

5社程のレコード会社からオファーを受け、東芝EMIと契約締結。1996年の5月頃、メジャーデビューに際し「EXIT LINEは発音しづらい」とスタッフから意見があり、バンド名を変更することになる。

1996年7月13日、最後となった柏でのストリートライブで『Something ELse』としてメジャーデビューすることを発表した。EXIT LINEの『E』と『L』の頭文字を取り、“もっと良いもの。転じて凄く目立つ、たいした奴”という意味が込められている。一時、スタッフ側から「GROWINGはどうだ?」と提案があったが、すでにレコード会社内で「サムエル」の略称が定着していた為、結局この案は立ち消えになった。
略歴
1996年


10月7日 - TOKYO FMで「里香とSomething ELseのミュージックキャンプ」をスタートさせる。(1997年9月まで)

10月23日 - シングル『悲しきノンフィクション』でメジャーデビュー。初回版には大久保の名前がミスプリントされたものが存在する。このシングルのレコーディングを機に、主にキーボード担当だった今井は初めてベースを購入した。オリコン最高位137位。地元柏の新星堂のランキングでは3位を記録。

1997年


3月12日 - 2ndシングル『days go by』リリース。サムエルで最も売れなかったシングル。

4月18日 - 初のワンマンライブを渋谷のライブハウスEgg-manで行う。

10月8日 - 3rdシングル『風と行きたかった』リリース。JR東日本VIEW CARDのCFソングに採用される。セールスこそ芳しくなかったが、地方ラジオ局のリクエストランキングでは1位を記録。

1998年


2月6日 - 4thシングル『反省のうた』リリース。NHK『みんなのうた』(1998年2-3月)でオンエア [1] される。

3月6日 - 1stアルバム『TRIPLE PLAY』リリース。当時のレコード会社所属アーティストの地方移動費No.1も報われず、なかなか結果に結びつかなかった。

6月17日 - 5thシングル『レコード』リリース。テレビ東京系ドラマ『太陽娘と海』の主題歌に起用、メンバー全員が本人名義で出演している。

9月13日 - デビューシングルを超えるセールスを記録できず低迷。レコード会社との契約切れの危機に立たされていた折、日本テレビの人気番組『雷波少年』から起死回生のチャンスともいえる白羽の矢が立つ。「三人で一つの部屋にこもり運命の一曲を制作。その一曲を次のシングルとしてリリースし、そのシングルがオリコン初登場20位以内に入らなければバンド解散、音楽業界以外の職種に転職」という条件だった。企画内容には一時メンバー、スタッフも難色を示したが、三人の意見は一致し合宿生活を開始。首都圏以外では深夜のオンエアや放送が数週間遅れとなるなど不利な点もいくつか重なったが、全国各地でのファンやラジオDJによる応援活動やネットでの呼びかけ、バンドがデビュー以後出演してきたラジオ局のDJが一丸となって、「僕達だってサムシングエルスを失いたくない!!」というチラシを署名入りで全国的に配布しバンドの存続を訴えた。

12月23日 - 運命の6thシングル『ラストチャンス』リリース。

1999年


1月1日 - 初登場20位以内を目指して合宿所から見えた富士山へ願掛け。また同日、すでに担当を外れていたスタッフが熊本へ飛び、ファンも街頭で呼びかけを行った。さらにFMK(エフエム中九州、現在のエフエム熊本)のラジオDJもCDショップにて「ラストチャンス」を手売りする。

1月6日 - オリコン結果発表で20万5340枚を売り上げ、初登場2位を記録、118日間の合宿生活を終了する。翌週には1位を獲得。最終的にミリオンセラーに迫るヒットを記録した。

3月10日 - 合宿生活中に記録していた日記をまとめた書籍『サムエル日記』出版。

3月17日 - 『ラストチャンス』を含む6枚のシングルなどを収録したヒストリーアルバム『502』をリリース。

4月 - オフィシャルファンクラブ「サムエル主義共和国」設立。

4月 - bay fm「サムシングエルスのなのはなレディオ」スタート(2000年9月まで)。

4月9日 - 合宿生活中に制作した楽曲をリメークした7thシングル『さよならじゃない』リリース。劇空間プロ野球のイメージソングに起用され、シーズン終了まで流れる。

6月7日 - 7月6日 - 初の全国ツアー「トリプルプレイ?なんとか三人でやってみます?」敢行。9ヶ所11公演。

7月28日 - 8thシングル『あいのうた』リリース。

10月 - 文化放送をキー局に全国ネットのラジオ番組『LIPS PARTY 21.jp』スタート(2001年9月まで)。

10月6日 - 11月30日 - 二度目の全国ツアー。15ヶ所15公演。

12月30日 - 『輝く!日本レコード大賞』に出演。『ラストチャンス』が優秀作品賞を受賞。

12月31日 - 第50回NHK紅白歌合戦に出場。またこの年、『日本ゴールドディスク大賞』において、ソング・オブ・ザ・イヤーも受賞し、年末年始にかけて多数の音楽番組に出演する。

2000年


1月1日 - 千葉県柏駅でのストリートライブにて、新年をスタートさせる。

2月16日 - 9thシングル『ウソツキ』リリース。初のマキシシングルで、ダブルタイアップ。

3月8日 - 2ndアルバム『ギターマン』リリース。

4月10日 - WOWOWにて、プロモーション活動を追ったドキュメンタリー『我らサムエル共和国・前編?be there?』放送。

4月26日 - ファーストビデオ『Musician Life』リリース。

4月28日 - 7月19日 - 全国ツアー『ギターマン○2000 ?三者面談ツアー?』追加公演含む20ヶ所20公演。

7月1日 - 有線大賞上半期中間発表で『ウソツキ』が第7位を記録する。

7月22日 - WOWOW『我らサムエル共和国・後編?ギターマン○2000 ?三者面談ツアー?』放送。

11月8日 - 10thシングル『磁石』リリース。

12月1日- 12月7日 - 四大都市ツアー『トリプルプレイ?大反省会?』4ヶ所4公演。

2001年


2月9日 - 11thシングル『びいだま』リリース。

3月7日 - 3rdアルバム『光の糸』リリース。

6月29日 - 著書『本音』を出版。

5月12日 - 7月14日 全国ツアー『光の糸?怒りの人?』19ヶ所19公演、会場ごとに3パターンで構成。

10月24日 - デビュー5周年記念ライブ「祝5周年☆縮我疲労パーティー」を柏市民文化会館で敢行。

2002年


2月6日 - 12thシングル『夏のラジオ』リリース。

2月27日 - 4thアルバム『Y』リリース。

3月23日 - 5月18日 - 全国ツアー『“Y”?技Y転じて服とナス?』19ヶ所26公演。原点回帰をテーマに、小規模のライブハウスに絞ったツアーを敢行。

4月以降、FM YOKOHAMAにてレギュラーラジオ番組『Step On Something』スタート(2003年9月まで)。

6月12日 - 15日 - 東名阪ホールツアー『“Y”?ボクラYク?』3大都市3公演。

9月26日 - 13thシングル『国道16』リリース。本作のリリースを機に、「都市部だけでない、郊外でのライブ」に焦点を当てた独自の活動スタイルとして「サブ・アーバンミュージック」を提唱。さらに2003年春に初のベストアルバムをリリースする事を発表した。

11月4日以降 - サブ・アーバンライブツアー『裸足のGUITARMAN』スタート。


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