Shibuya_eggman
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shibuya eggman

入居する神南カンパリビル(2018年)

情報
正式名称shibuya eggman
開館1981年3月11日
収容人員350人
客席数180席
用途コンサート
運営エッグマン
所在地150-0041
東京都渋谷区神南1-6-8 B1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分51.9秒 東経139度41分56.9秒 / 北緯35.664417度 東経139.699139度 / 35.664417; 139.699139 (shibuya eggman)座標: 北緯35度39分51.9秒 東経139度41分56.9秒 / 北緯35.664417度 東経139.699139度 / 35.664417; 139.699139 (shibuya eggman)
最寄駅各線渋谷駅から徒歩10分
最寄バス停渋谷区役所
外部リンク ⇒shibuya eggman
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shibuya eggman入口(2018年)

shibuya eggman(シブヤ エッグマン)は、東京都渋谷区神南にあるライブハウスである。
概要

1981年オープンの渋谷では老舗のライブハウス。ロックポップス系を中心に、インディーズからメジャーまで幅広いジャンルのライブが行われている。2000年代前半からはクラブ営業もスタートし、レゲエヒップホップを中心としたイベントが行われている。

ミュージシャン、レーベル発信のイベントにも広く門戸を開放している他、演劇ファッションショーお笑いなど音楽以外のジャンルにも幅広く利用されている。

運営者の株式会社エッグマンは、日本コロムビア完全子会社として設立され、実質的に同社のライブハウス事業と位置づけられていた。その後日本コロムビアの社名がコロムビアミュージックエンタテインメントとなった2004年に米国系企業買収ファンド傘下のパインリッジ株式会社へ売却された。
歴史

1981年3月11日:
東京都渋谷区公園通りに、ライブハウス「Egg-man」をオープン。オープニングライブは桑田佳祐が率いる「桑田バンド[1]」(3月21日、22日)、山下久美子(3月23日)らが出演。他に1年目の主な出演者は、J-WALKヒカシュー近田春夫杉真理など。竹内まりやも出演。また、井上陽水が突如土曜日の昼、2週連続でライブを行った。

1981年:リボルバー中心にジョン・レノン追悼イベント「ジョン・レノン・フォーエヴァー」スタート。以後毎年の恒例イベントとなる。

1982年11月:松坂慶子が初のライブ公演。ゲストは風間杜夫平田満石丸謙二郎萩原流行。この音源はレコード化されている。

1983年:オールナイトイベント「東京フリークス」に爆風スランプくじらじゃがたら有頂天出演。久保田利伸がHOTENTOTSのボーカルとして昼の部に初出演。中村雅俊10周年記念イベント〈接触〉を7日間開催。

1984年4月:安全地帯が2日間ワンマンライブ。前年からほぼマンスリーで出演し-ていたが 「ワインレッドの心」ヒットで初めて超満員。12月:ココナッツ・ボーイズがC-C-Bと改名後初ライブ。直後「Romanticが止まらない」が大ヒット。

1985年:レベッカが初のワンマンで超満員。その後まもなくギター-・木暮武彦、ドラムス・小沼達也が脱退。木暮、小沼が田所豊小川清史と新バンド結成「レベッカ♂」と名乗り初ライブ。後に「RED WARRIORS」と改名、マンスリーで出演し翌年メジャー・デビュー。メトロファルスのライブを収録したアルバム『盗賊どもの夜会服』をライブハウスエッグマンの自主レーベルからリリース。

1986年:伊秩弘将が昼の部に初出演。3月:5周年記念ライブJ-WALK、PaPa(山下久美子バックバン-ド)ら出演。ZIGGYSHADY DOLLSDe-LAXザ・コレクターズ等の個性派バンド-続々出演。

1987年1月:プリンセス プリンセスが初出演。以後半年間ほぼマンスリーで出演。8月:ローザ・ルクセンブルグが突如解散表明。ラストライブを4日間行う。チケットはソールドアウト。店の外もあきらめきれない人達で取り囲まれる。このライブはミディよりライブアルバムとしてリリースされた。解散後、ボーカル・どんと、ベース・永井利充がニューバンドBO GUMBOSを結成し秋から活動開始。

1988年1月:オールナイト・イベント「ストリート・ロッカーズ」スタート。G.D.FLICKERSJUN SKY WALKERSらが出演。6月:X(後のX JAPAN)が2DAYSライブ。9月:C-C-Bがデビュー前のバンド名「ココナッツボーイズ」のクレジットでシークレットライブ。12月:原宿ホコ天で人気を得たTHE BOOMが日曜の昼ワンマンライブ。

1989年2月:TBSテレビ三宅裕司のいかすバンド天国』放映開始。「イカ天ブーム」-「バンドブーム」が社会現象となる。この月初出演したJITTERIN'JINNは番組効果で半年後にはワンマンが完売。6月:初の店内改装に着手し、リニューアルオープン。ホールへの入り口の-位置等変わる。

1990年2月 - 4月:LINDBERGが3か月連続ライブ。5月:福山雅治が「Mr.クラリネット」のクレジットで昼の部に初出演。10月、12月には福山雅治として出演。7月 - 11月:人間椅子が毎月最終日曜日にワンマン。常に超満員。11月:イカ天が放送終了。ぴあが週刊になる。

1991年3月:10周年記念イベント「HERE WE GO AGAIN」22日間開催。THE BOOM、J-WALK、SHADY DOLLS、ZABADAK等出演。10月:石川よしひろのシリーズライブ「公園通りの12ヶ月」開始。

1992年2月:シークレットのオールナイトライブで木暮武彦、NOKKOらが出演。元・有頂天のケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がニューバンド・LONG VACATIONを結成し初ライブ。7月:LINDBERGがシークレットライブ。8月:斉藤和義が初出演。以後1年間ほぼマンスリーでワンマン。五島良子が定期的に出演。

1993年3月:ブレイク前のシャ乱Qが出演。8月:爆風スランプが結成10周年3DAY-Sライブを行う(最終日は台風でJRなども運休になるが決行)。

1994年5月:叫ぶ詩人の会が初ワンマン。以後ほぼマンスリーで行い-、翌年1月にはTBS『筑紫哲也 NEWS23』にも出演した。

1995年3月:椎名へきるが初の単独公演を行う。4月:及川光博出演。4月 - 5月:GW期間中ニッポン放送主催のイベント「LIVE UFO 渋谷 NIGHTS」開催。堂島孝平らが出演。7月 - 9月:笹野みちるがマンスリーライブ。「カミングアウト宣言」が話題に。

1996年1月:自主レーベル「エッグマン・ディスク」スタート。メトロファルスの-アルバム「LIMBO島」リリース。各音楽誌、情報誌、NHK--BSでも紹介される。3月:山崎まさよしが初出演。15周年記念ライブウィーク12日間開催。野村義男、人間椅子、ケラ等出演。メトロファルスのボーカル伊藤ヨタロウプロデュースDAYに現在-脚本家として活躍中の宮藤官九郎バンドが出演。8月:RED WARRIORSが再結成シークレットライブ。12月:角松敏生プレゼンツライブ(サウンドはアンビエント系)。横道坊主が休憩をはさんで約4時間半のオールナイトワンマンライブを行う。

1997年4月:鶴久政治がアコースティックワンマンライブ。Something ELseが初出演。(以後翌年まで定期的に出演)11月:ジャドーズがDJのピストン西沢をゲストに迎えJ-WAVEでの番組を再現する形でライブ。


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