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Sd.Kfz.251
基礎データ
全長5.80m
全幅2.10m
全高1.75m
重量7.81t
乗員数2名
乗員配置兵員10名
装甲・武装
装甲6-14.5mm
主武装MG34またはMG42
機動力
速度52.5km/h
エンジンマイバッハHL 42
直列6気筒液冷ガソリン
100hp(74.6kW)
懸架・駆動トーションバー式・半装軌
行動距離300km
出力重量比12.8hp/t
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Sd.Kfz.251は、ドイツのハノマーク社が3tハーフトラック(Sd.kfz.11)をベースに、戦車部隊に歩兵を追随させるために1937年から開発を開始した中型装甲兵員輸送車の制式番号を指す。この制式番号がドイツの装甲兵員輸送車の代名詞となった。ドイツ語で"Mittlerer Schutzenpanzerwagen"と表記される。 Sd.Kfz.250同様、1939年6月から生産が開始された旧型(A/B/C型)と、生産工数を減らすため形状が簡素化された1943年9月から生産開始の新型(D型)に分けられる。旧型はプレス加工で装甲を曲げ、角を切り落としたような複雑で凝った構造になっており生産コストが高かった。それに対して新型は平板を溶接しただけの構造に改められ、車体側面の工具箱が装甲と一体化、運転席のバイザーなども省略化、兵員用ベンチシートもクッションの無い板張りとなり、最後期には一枚型のエンジン点検ハッチが後方に開くようになった。大戦による需要の急増に応え大量生産を行うための改良であったが、それでも生産が追いつかず、部隊の全車輌を本車で充足できたのは一部のエリート部隊に過ぎなかった。 総計15,252両ほど生産されたと言われ、装輪車両と比べ良好な不整地走破性故に、戦車に追随する歩兵の輸送手段として、装甲師団において重要な役割を果たした。 しかし、より簡易で安価なアメリカ軍のM3ハーフトラックに比べ、装甲防御力では勝るものの、前輪に動力が無く、エンジン出力も下回るため、より長い履帯や凝ったサスペンションを持ちながら不整地・泥濘地での機動性で劣っており、複雑・高価なわりには比較して高性能とは言い難い面もあった。
概要
バリエーションワルシャワ蜂起でポーランド国内軍に鹵獲されたSd.Kfz.251/1型 Ausf.D
Sd.Kfz.251/1
基本形となる装甲兵員輸送車型であり、兵員10名を輸送可能。基本的には2丁の7.92mm機関銃(MG34またはMG42)を装備し、兵員室前方の防盾付き機銃架および兵員室後方の機銃架に搭載可能であった[1]。この他、車内から操作可能な重機関銃架(sMG)搭載型・ロケットランチャー(ヴルフラーメン40)搭載型・赤外線暗視装置装備型(ファルケ)も存在した[1]。
Sd.Kfz.251/2
8 cm sGrW 34迫撃砲搭載の重装備小隊用支援車型。迫撃砲は車内に搭載したまま使用できたが、専用の台座が用意されているわけではなかった。A-D型まで全てのタイプで製造された[2]。