Salyu
生誕 (1980-10-13) 1980年10月13日(43歳)
出身地 神奈川県横浜市港北区
ジャンルJ-POP
職業歌手
活動期間2000年 -
レーベルトイズファクトリー(2004年 - )
事務所新しいYES
共同作業者Lily Chou-Chou
小林武史(2000年 - )
渡辺善太郎(2007年)
国府達矢(2007年 - )
CORNELIUS(2011年 - )
公式サイト ⇒http://www.salyu.jp/
JILL (PERSONZ)、ビョーク
Salyu(サリュ、サリュウ[注 1]、1980年10月13日 - )は、日本の女性歌手・ボーカリスト。神奈川県横浜市港北区出身。トイズファクトリー所属。血液型O型。学歴は非公開だが、マクロビオティック系の料理学校に通っていたことを公言している[1]。兄は元ラグビー日本代表選手。
アーティストネームのSalyuはフランス語の「Salut」(乾杯の意、親しい間柄の挨拶の意)に由来している[2]。命名は小林武史による[3]。
プロ活動は17歳(1997年)より開始。メジャー活動はLily Chou-Chouのボーカル(2000-2001年、2010年-)、Salyuソロデビュー(2004年-)となっている。2011年1月19日にはソロプロジェクト「salyu × salyu」(サリュ バイ サリュ)を開始。「Lily Chou-Chou」も参照 幼い頃からピアノを習っていたのが音楽に関わるきっかけ[4][5]。歌い始めたきっかけは、小学生の頃に風邪をこじらせ肺炎になって入院した時に「体力をつけるために水泳か歌をしたらいい」と医師に勧められたことから。退院後、クラウン少女合唱団に所属し[6][注 2]、童謡・近代音楽・賛美歌などを歌う。 1998年、高校生の頃、友人のバンドのライブに触発され歌手になることを決意。雑誌のオーディションを何度も受ける。秋元康のあるオーディションを受けたこともあった[7][8]。その中で、Sony MusicのSDオーディションを受け[9]、また同時期、同社の歌手養成機関に通い始め、音楽のスキルを身につける[10]。この時資料用に作成したビデオが音楽プロデューサーの小林武史の目に留まり、小林プロデュースのもとデビューすることが決定する。当時、小林武史と、映画監督であり作家の岩井俊二が『リリイ・シュシュのすべて』のプロジェクトを企画していたため、彼らとともに、Lily Chou-Chouとしての活動を開始する。Lily Chou-Chou名義の活動はそちらの項を参照。Lily Chou-Chouとしての活動終了後は、学校に通いながら、スターパインズカフェ
概要
略歴
2004年、4月21日にRIP SLYMEのILMARIと共にIlmari×Salyuとしてシングル「VALON」を発表。2ヶ月後の6月23日には、シングル「VALON-1」でトイズファクトリーよりソロで再デビュー。同年は他1枚のシングルを発表する。
2005年、6月15日にソロとしては初のアルバム『landmark』を発表。同年は他3枚のシングルを発表する他、ROCK IN JAPAN FESTIVALやap bank fes'05を始め、数々の音楽フェスティバルに精力的に参加する。また、前年に発表した楽曲「Dialogue (ダイアローグ)」のPVが『SPACE SHOWER Music Video Awards 05』のBEST NEW ARTIST VIDEOを受賞するなど、映像の面においても注目が集まった。
2006年、4月5日に作詞に一青窈を迎えたシングル「Tower」を発表。7月19日には、Bank Band with Salyuとしてシングル「to U」が発表され、各テレビ番組や雑誌に取り上げられた。以降、シングル「name」「プラットホーム」はオリコンチャートのトップ20以内にランクインし、「プラットホーム」は自身のシングル作品として最大の売上を記録する。同年は前年に引き続き、ap bank fes'06やCOUNTDOWN JAPAN 06/07等、様々なライブイベントにも出演した。
2007年、1月17日に2枚目のアルバム『TERMINAL』を発表。同アルバムは2007年1月29日付のウィークリーチャートでは初登場2位と、全作品中自己最高を記録し、2007年2月には自身初のゴールドディスク認定(日本レコード協会)を受けた。 この年は、これまでの小林武史プロデュースから離れ、渡辺善太郎プロデュースの下でシングル2枚と初のPV集DVDを発表する。
2008年、7月23日にWISEのシングル「Mirror feat. Salyu」にフィーチャリングボーカルとして参加。