SYUFO
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SYUFO(しゅうほう、1954年昭和29年〉4月7日 - )は、日本漫画家である。媒体制作活動の基礎とする分野では旧来のペンネームである板橋 しゅうほう(いたはし しゅうほう)を用いる。 本名は板橋 秀法(いたはし ひでのり)。滋賀県生まれ[1]京都市立芸術大学日本画科卒業[1]
来歴

大学在学中であった1976年(昭和51年)、アニメ雑誌月刊OUT』誌上に掲載された「ペイルココーン」にてデビュー[1][2][3][4]SFアクション漫画を得意とする[5]1981年(昭和56年)には少年向け漫画雑誌週刊少年ジャンプ』(集英社)で発表した「いたはししゅうほうとアルゴノウツ」名義作品『ラッキールートへランナウェイ』で第21回手塚賞準入選を受賞している[1][4]

2014年時点、SYUFO名義でウェブコミックを中心に作品を発表している[1]ほか、板橋しゅうほう名義で京都精華大学マンガ学部マンガ学科および大学院マンガ研究科の教授も務めている[1][3][4]

2017年12月?、板橋しゅうほう名義に戻り、クトゥルフ神話をテーマとした電子コミック雑誌『ZONE OF CTHULUHU(ゾーンオブクトゥルフ)』(三栄)のプロデュース。同誌に新作『Be My Dunwich』(ハワード・フィリップス・ラブクラフト作『ダニッチの怪』)の連載を開始、全6話で完結。

2019年?、電子コミック雑誌『ZONE OF CTHULUHU(ゾーンオブクトゥルフ)』にて、『火星兵団』(原作:海野十三[6]を連載開始。

現在、『凱羅(がいら)』『アイ・シティ』をはじめとするほぼ全作品は、(株)三栄から電子コミックとして全巻配信されている。
人物・エピソード

幼少期に図書館に勤めていた祖父母が、展示されなくなった洋書の
絵本アメリカン・コミックス(アメコミ)を持ち帰っていたことから、日本の漫画よりアメコミに親しむようになった[5]

イラストレーターの開田裕治やキャラクターデザイナーの久保宗雄は大学時代の同級生であった[7][5]。『スパイダーマン』や『バトルフィーバーJ』への参加は企画者104へ入社した久保からの繋がりによるものであった[5]

大学時代は自ら初代部長となって漫画研究会を設立し、黎明期のコミックマーケットに同人誌を出品していた[5]。この同人誌を、みのり書房に務めていた聖咲奇が購読していたことがきっかけで、同社の雑誌『オカルト時代』のイラストを担当するようになり、デビューへとつながっていった[5]

『ベイルココーン』の連載も『月刊OUT』の創刊に際して聖から声をかけられたことによる[5]。大学卒業を控えていたため3回程度のつもりであったが、連載が続いたことから執筆のため上京することとなった[5]

1980年ごろに体調を崩して東京から関西の実家へ戻った[5][3]。その後も漫画家としての活動は続けたが、東映でのキャラクターデザインからは離れることとなった[5]。帰郷後の時期に『宇宙刑事ギャバン』のハンターキラーも手掛けているが、企画そのものには携わっていない[3]

作品リスト
ペイルココーン 蒼ざめた繭
1977 - 1978年11月、アニメ雑誌『月刊OUT』と増刊の『ランデヴー』『ランデヴーコミック』(みのり書房)などに掲載されたデビュー作品[1]。宇宙戦艦の艦長・火野明を始めとする地球防衛機構の面々と、地球に攻撃を仕掛ける外宇宙文明・ガーディザンとの戦いを描く。謎の生物・ソリトイの存在や時間移動の要素が絡み、舞台を宇宙から古代ローマや大江戸にまで目まぐるしく移し、事態は予想だにしない方向へ進んでいく。当初は難解な世界観に裏打ちされた真面目でシリアスな内容だったが読者に受けず、やけくそでギャグを織り交ぜた途端に(「平行宇宙の町内会編」直前から)、大人気になった作品である。『OUT』誌上での特集も組まれ、作者も悪のりしてペイルココーン偽LPの嘘宣伝なども展開された。『ペイルココーン』単行本では主に本作品が単品収録されている。ただし、単行本ではラスト部分が連載版とは若干異なり、続編を暗示するコマが描き直されて本作品のみで完結する結末になっている。単行本は全1巻。東京三世社から1982年にハードカバー版。1984年にソフトカバー版。フロム出版社から1992年にベル・コミックス版が出版されている。


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