SUBARU_(自動車)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

テストドライバーの小関典幸[28]や高岡祥郎を中心とする社内活動として、1973年(昭和48年)よりオーストラリアのサザンクロスラリー、1980年(昭和55年)よりケニアサファリラリーに挑戦し、「ボクサー+4WD」というアイデンティティを示した[注釈 9]。当時の主体は群馬の研究実験部だったが、1988年(昭和63年)に久世隆一郎を代表とする、モータースポーツ関連の子会社「スバルテクニカインターナショナル(STI)」を設立した。

1989年(平成元年)にレガシィを発表するとイギリスのプロドライブと提携し、スバルワールドラリーチーム (SWRT)として1990年(平成2年)よりグループA規定の世界ラリー選手権(WRC)に本格参戦。1993年(平成5年)より後継のインプレッサを投入し、1995年からワールドラリーカー規定初年度の1997年にかけてマニュファクチャラーズタイトルを3連覇するなど、一時代を築いた。ドライバー部門ではコリン・マクレー1995年)、リチャード・バーンズ2001年)、ペター・ソルベルグ2003年)の3人のチャンピオンを輩出した。世界同時不況の影響で2008年シーズンを最後にWRCでのワークス活動を終了。WRC通算47勝(レガシィ1勝、インプレッサ46勝)は国内メーカーの中では三菱を凌ぎ2位である。

市販車からの改造範囲が狭いグループN車両を用いるPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)や、地域のERC(欧州ラリー選手権)、APRC(アジアパシフィックラリー選手権)でも、90年代半ばから2010年代半ばまで、三菱・ランサーエボリューションと寡占状態を築き続けた。

1990年平成2年)にはコローニチームを買収して[注釈 10]、イタリアのモトーリ・モデルニと水平対向12気筒を共同開発しF1に参戦したが、予備予選すら通過できず半年のみで撤退した。スポーツプロトタイプカー世界選手権(WSPC)でもF1用のF12エンジンをアルバAR20/1に搭載したが、似たような結果に終わった。入門フォーミュラのFJ1600にもEA71を供給し、こちらは最終的にSUBARUのワンメイクとなった。

ツーリングカーレースでは英国トップランのTCR、チームBMRと英国SUBARUのBTCC(英国ツーリングカー選手権)の活動が知られる。後者は2017年にタイトルを獲得した。現在はどちらも活動を終了している。

2023年現在のSUBARU本社とSTIのレース活動は、従来のスーパーGTニュルブルクリンク24時間の2つに加え[29]、従来SUBARUディーラーによって行われてきた全日本ラリー選手権への参戦が開始されている[30]。またSTIは関わってはいないが、米国SUBARUのARAラリー(旧ラリーアメリカ)が知られる。

AWDを積極的に自動車の運動性能・操縦性の向上に利用する取り組みでは、1990年からイギリスプロドライブ社とのWRCへの参戦で、エンジン性能向上技術や、2004年まで、前、後、センターデフのフルアクティブ化をはじめとする、膨大な技術的データ蓄積が得られているものと思われる[注釈 11]

WRC参戦用ベース車両であるインプレッサの市販型では、WRCからの直接のフィードバックはないものの、1994年に登場したDCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)制御に、2002年、4輪の車輪速センサー、横Gセンサー、スロットルセンサーなどから4輪のグリップバランスを把握して、最適な前後駆動トルクを自動的に配分する「DCCD-AUTO」モードを装備。2004年には新たに、ヨーレートセンサーを加え、さらに前後LSDとの協調制御により、操縦感覚の良さと速さを両立している。
不祥事・事件・問題・事故詳細は「SUBARU#不祥事・事件・問題・事故」を参照
スバル車販売店

正規ディーラーの「スバル店」(全国46社で、SUBARU出資は34社)、○○スバル自動車(旧来から用いられ、直営、独立系いずれにも使われる。例:青森スバル自動車、静岡スバル自動車、熊本スバル自動車など)、○○スバル(1990年代後半からの販売会社再編による合併時に用いられる。主に直営販社、一部独立系も。例:北海道スバル←函館スバル自動車+室苫スバル自動車+札幌スバル自動車、東京スバル←中央スバル自動車+東京スバル自動車、福岡スバル←福岡スバル自動車+北九州スバル自動車など)[注釈 12]のほかに、主に個人が経営する独立店舗をサブディーラーとして扱う「スバルショップ」(旧称・スバルスコープ店)があり、一部のJAいすゞ自動車のディーラーが取り扱う例もある。

かつては高級車の需要を補完するために、1988年ボルボ[注釈 13]1998年ポルシェ[31]2003年サーブ[32]とそれぞれスバル本体で販売提携を結んで一部のスバル販売店で取り扱っていたが、サーブは2005年に、ボルボは2006年に[注釈 14]、ポルシェは2018年[注釈 15]に販売から撤退した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:116 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef