SUBARU_(自動車)
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なお、このEE20型エンジンは、2009年(平成21年)に第6回新機械振興賞「機械振興協会会長賞」を受賞している[27]

2023年(令和5年)、6年ぶりのモデルチェンジとなる6代目新型フォレスターをロサンゼルスオートショー2023にて世界初公開した。
車種詳細は「スバルの車種一覧」を参照
モータースポーツインプレッサWRC2006(2006年キプロスラリー)

モータースポーツにおいてはラリー競技での活動が知られる。テストドライバーの小関典幸[28]や高岡祥郎を中心とする社内活動として、1973年(昭和48年)よりオーストラリアのサザンクロスラリー、1980年(昭和55年)よりケニアサファリラリーに挑戦し、「ボクサー+4WD」というアイデンティティを示した[注釈 9]。当時の主体は群馬の研究実験部だったが、1988年(昭和63年)に久世隆一郎を代表とする、モータースポーツ関連の子会社「スバルテクニカインターナショナル(STI)」を設立した。

1989年(平成元年)にレガシィを発表するとイギリスのプロドライブと提携し、スバルワールドラリーチーム (SWRT)として1990年(平成2年)よりグループA規定の世界ラリー選手権(WRC)に本格参戦。1993年(平成5年)より後継のインプレッサを投入し、1995年からワールドラリーカー規定初年度の1997年にかけてマニュファクチャラーズタイトルを3連覇するなど、一時代を築いた。ドライバー部門ではコリン・マクレー1995年)、リチャード・バーンズ2001年)、ペター・ソルベルグ2003年)の3人のチャンピオンを輩出した。世界同時不況の影響で2008年シーズンを最後にWRCでのワークス活動を終了。WRC通算47勝(レガシィ1勝、インプレッサ46勝)は国内メーカーの中では三菱を凌ぎ2位である。

市販車からの改造範囲が狭いグループN車両を用いるPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)や、地域のERC(欧州ラリー選手権)、APRC(アジアパシフィックラリー選手権)でも、90年代半ばから2010年代半ばまで、三菱・ランサーエボリューションと寡占状態を築き続けた。

1990年平成2年)にはコローニチームを買収して[注釈 10]、イタリアのモトーリ・モデルニと水平対向12気筒を共同開発しF1に参戦したが、予備予選すら通過できず半年のみで撤退した。スポーツプロトタイプカー世界選手権(WSPC)でもF1用のF12エンジンをアルバAR20/1に搭載したが、似たような結果に終わった。入門フォーミュラのFJ1600にもEA71を供給し、こちらは最終的にSUBARUのワンメイクとなった。

ツーリングカーレースでは英国トップランのTCR、チームBMRと英国SUBARUのBTCC(英国ツーリングカー選手権)の活動が知られる。後者は2017年にタイトルを獲得した。現在はどちらも活動を終了している。

2023年現在のSUBARU本社とSTIのレース活動は、従来のスーパーGTニュルブルクリンク24時間の2つに加え[29]、従来SUBARUディーラーによって行われてきた全日本ラリー選手権への参戦が開始されている[30]。またSTIは関わってはいないが、米国SUBARUのARAラリー(旧ラリーアメリカ)が知られる。

AWDを積極的に自動車の運動性能・操縦性の向上に利用する取り組みでは、1990年からイギリスプロドライブ社とのWRCへの参戦で、エンジン性能向上技術や、2004年まで、前、後、センターデフのフルアクティブ化をはじめとする、膨大な技術的データ蓄積が得られているものと思われる[注釈 11]

WRC参戦用ベース車両であるインプレッサの市販型では、WRCからの直接のフィードバックはないものの、1994年に登場したDCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)制御に、2002年、4輪の車輪速センサー、横Gセンサー、スロットルセンサーなどから4輪のグリップバランスを把握して、最適な前後駆動トルクを自動的に配分する「DCCD-AUTO」モードを装備。2004年には新たに、ヨーレートセンサーを加え、さらに前後LSDとの協調制御により、操縦感覚の良さと速さを両立している。
不祥事・事件・問題・事故詳細は「SUBARU#不祥事・事件・問題・事故」を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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