STUDIO_4℃
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株式会社スタジオよんどしい
STUDIO4℃ Co.,Ltd.
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
180-0001
東京都武蔵野市吉祥寺北町3丁目4番17号[1]
設立1999年12月24日(有限会社として)
業種情報・通信業
法人番号9012401016235
事業内容アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作
代表者代表取締役 田中栄子
資本金300万円
関係する人物森本晃司(創業者)
外部リンク ⇒www.studio4c.co.jp
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STUDIO4℃(正式名称:株式会社スタジオよんどしい、: STUDIO4℃ Co.,Ltd.)は、日本アニメ制作会社[2]日本動画協会正会員。

社名の4℃は、水の密度が一番高いのは摂氏4度であることから、作品のクオリティーの高さを保証するという意味で名付けられた[2][3]
概要

1988年スタジオジブリの草創期を支えた一人だった田中栄子マッドハウススタジオあんなぷるアニメーターとして頭角を現した森本晃司を中心に、映像制作集団としてのSTUDIO4℃が発足した[4][5]。ジブリ作品の制作に森本が参加したことで田中との交流が生まれたのがきっかけだった[4]。当時スタジオジブリで制作中の『となりのトトロ』のラインプロデューサーだった田中が大友克洋監督のアニメ映画『AKIRA』の制作の遅れを知ってトトロ作画スタッフを『AKIRA』スタジオに出向させたり[注 1]、その恩返しに森本らが『魔女の宅急便』に参加したりしたことで親交が深まっていった。そして「自分たちのパブリックスペースを作りたい」というという森本、佐藤好春の願いに田中が応じ、吉祥寺にスタジオを構えることになった[6]。最初はそれまで田中が住んでいた民家[注 2]を明け渡してもらい、そこを使って作品の制作も行っていた[6][7]

1993年頃、個人と集団の仕事の区別が曖昧で管理が難しくなってきたため、映像制作集団としてのSTUDIO4℃は終了する[8]。いったん解散して、とりあえず会社組織としてのSTUDIO4℃の機能を大友克洋オムニバス映画『MEMORIES』を制作する吉祥寺のスタジオ[注 3]に集約することになった[注 4][8]。それ以外のメンバーは、佐藤好春や井上鋭のように日本アニメーションに入る道を選んだり、金田伊功たちのように、元の民家を田中から借りて「スタジオのんまると」と名乗ったりと、それぞれの道を選んだ[8]。その後、「有限会社スタジオよんどしい」が設立され、2007年に株式会社に登記変更された。

制作会社としての立ち位置については、代表取締役である田中栄子プロデューサーが「王道はジブリがやる。私たちは側道を埋める」と説明している[4]。クリエイターたちの才気を尊重しようとする社風もあって、オーソドックスな作品よりも目利きをうならせる玄人好みの作品や初期の森本作品が醸し出していた先鋭的なイメージ通りの尖った雰囲気の作品を一貫して送り出しながら、次々と新しい人材を抜擢することで安定して国民的なヒット作を送り出すスタジオジブリの横を並走してきた[4]。ジブリで演出補を務めた経験のある片渕須直、天才アニメーターと評判だった湯浅政明などの新しい才能に劇場作品を初監督するチャンスを与えて後に数々の賞を受賞して日本を代表するアニメーション監督となった彼らのキャリアの端緒を開いたり、アニメ界の制作や受容の「多国籍化」の流れに乗って、北米出身のCGクリエイターのマイケル・アリアスの監督起用や海外との合作(『ムタフカズ -MUTAFUKAZ-』)や海外の有名映画やゲームの派生作品(『アニマトリックス』『Halo Legends』)への参加というワールドワイドな制作スタンスによって世界から求められるアニメスタジオの地位を確立したりと、独自のポジションを築いている[4][9]。しかし、ジブリの制作部門休止後の2010年代後半からは、その間隙を埋めるように親子で楽しめるような一般向けの劇場作品も公開するようになり、メインストリームに向かう一歩を踏み出し始めた[4]
特色

劇場作品を中心に、テレビアニメCMミュージック・ビデオゲーム内ムービーなど、様々なジャンルの作品を制作している[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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