STS-35
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STS-35ペイロードベイ内のASTRO-1
名称STS-35

任務種別天体観測
運用者NASA
COSPAR ID1990-106A
SATCAT 20980
任務期間8日23時間5分8秒
飛行距離6,000,658 km
周回数144


特性
宇宙機スペースシャトルコロンビア
打ち上げ時重量121,344 kg
着陸時重量102,208 kg
ペイロード重量12,095 kg


乗員
乗員数7
乗員.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ヴァンス・ブランド

ガイ・ガードナー

ジェフリー・ホフマン

ジョン・M・ラウンジ

ロバート・A・パーカー(英語版)

サミュエル・デュランス

ロナルド・パリーゼ



任務開始
打ち上げ日1990年12月2日 06:49:01 UTC
ロケットスペースシャトル・コロンビア
打上げ場所ケネディ宇宙センター第39A発射台
打ち上げ請負者ロックウェル・インターナショナル


任務終了
着陸日1990年12月11日 05:54:09 UTC
着陸地点エドワーズ空軍基地
第22滑走路


軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制低軌道
近点高度352 km
遠点高度362 km
傾斜角28.46°
軌道周期91.70分


STS-35 mission patch

後列:パーカー、パリーゼ、ホフマン、デュランス、後列:ガードナー、ブランド、ラウンジスペースシャトル計画« STS-38 (37)STS-37 (39) »

STS-35は、スペースシャトル・コロンビアの10回目のミッションで、スペースシャトル計画全体では38回目のミッションである。4つの望遠鏡からなるスペースラブの観測施設ASTRO-1の打上げが第一の目的であった。1990年12月にフロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
乗組員

[1]

船長 - ヴァンス・ブランド(英語版) (4度目で最後の宇宙飛行)

操縦手 - ガイ・ガードナー(英語版) (2度目で最後の宇宙飛行)

ミッションスペシャリスト1 - ジェフリー・ホフマン(英語版) (2度目の宇宙飛行)

ミッションスペシャリスト2 - ジョン・M・ラウンジ (3度目で最後の宇宙飛行)

ミッションスペシャリスト3 - ロバート・A・パーカー(英語版) (2度目で最後の宇宙飛行)

ペイロードスペシャリスト1 - サミュエル・デュランス (初の宇宙飛行)

ペイロードスペシャリスト2 - ロナルド・パリーゼ (初の宇宙飛行)

バックアップ

ペイロードスペシャリスト1 - ケネス・ノーシック
(初の宇宙飛行)

ペイロードスペシャリスト2 - ジョン=デヴィッド・バルトー(2度目の宇宙飛行)

配席図

座席[2]打上げ時着陸時
1-4の座席はフライトデッキ、5-7の座席はミッドデッキにある。
S1ブランドブランド
S2ガードナーガードナー
S3ホフマンパーカー
S4ラウンジラウンジ
S5パーカーホフマン
S6デュランスデュランス
S7パリーゼパリーゼ

備考

チャレンジャー号爆発事故の前まで、このミッションは、STS-61-Eとして、1986年3月に打ち上げられる予定だった。2度目の宇宙飛行となるジョン・マクブライドが船長を務める予定であったが、彼は1989年5月にNASAを引退することを決断し、ヴァンス・ブランドに交代となった。さらに、操縦手のリチャード・リチャーズ、ミッションスペシャリストのデヴィッド・ルーズマは、それぞれガイ・ガードナー、ジョン・M・ラウンジに交代となった。当時59歳のブランドは、1996年に61歳のストーリー・マスグレーヴがSTS-80で宇宙に行くまで、宇宙飛行の最年長記録であった。
準備と打上げ第39A発射台上のコロンビアと第39B発射台上のディスカバリー最終的に、打ち上げは1990年12月2日となった。

ASTRO-1は、もともと、チャレンジャー号爆発事故を起こしたSTS-51-Lの次に予定されていたSTS-61-Eとして、1986年3月に打ち上げられる予定であったが、遅延していた。このミッションは、長い中断期間中に広帯域X線望遠鏡(BBXRT)の打上げも追加され、STS-35として再設定された[3]。コロンビアは、1990年5月16日に予定されていた打上げのため、4月末に第39A発射台に移され、飛行準備完了確認審査の後、機体冷却システムのフレオン冷却ループ比例弁を交換する必要があるため、打上げ日程の公表が延期された。その後、再度の確認審査を経て、打上げ日が5月30日に再設定された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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