STG44
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ヘーネル StG44
ヘーネル StG44
種類軍用小銃
製造国 ドイツ国
設計・製造ヘーネル
仕様
種別アサルトライフル
口径7.92mm
銃身長419mm
使用弾薬7.92x33mm弾
装弾数10発、30発(湾曲箱形弾倉
作動方式ガスオペレーション
全長940mm
重量5,220g
発射速度500-600発/分
銃口初速685m/秒
有効射程300m
歴史 
設計年1942年
製造期間1943年-1945年
配備期間

1945年?1963年(東ドイツ人民警察)2012年?現役(シリア内戦)
配備先

ドイツ国

ドイツ国防軍(1945年

東ドイツ

ドイツ人民警察(1945?1963年)
自由シリア軍(2012年に配備が確認され、現在も使用中)
関連戦争・紛争

第二次世界大戦シリア内戦(2011年?現役で使用中)
製造数およそ425,000丁
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Sturmgewehr 44 - Memorial du Souvenir, ダンケルク

StG44(ドイツ語: Sturmgewehr 44 シュトゥルムゲヴェーア・フィーアウントフィアツィヒ)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより量産された軽量自動小銃である。現代的なアサルトライフルの始祖とみなされている。製造時期によりMP43、MP44などの名称が存在する。
概要

StG44は、騎兵銃短機関銃自動小銃を統合した性格を持つ銃として開発された。

弾薬は、従来のKar98k小銃などで用いられた7.92x57mmモーゼル弾よりも短い7.92x33mmクルツ弾を使用した。これは、装薬量を減らし、射程を短めに設定したもので、兵士1人あたりの携行弾数を増やすと同時に、フルサイズの小銃弾より反動を抑えることができた。このため、短機関銃のような全自動射撃と小銃のような狙撃を両立できた。

製造時期によりMP43、MP44、StG44と異なる名称を持つが、細部の改修を加えただけでいずれも本質的には同一の小銃である。主に政治的要因により試作型のMKb42(H)から種々の名前の変遷を経たが、最終的にはStG44として量産された。

StG44はSturmgewehr 44の略称である。このSturmgewehrシュトゥルム・ゲヴェーア(Sturm=「強襲・突撃」、Gewehr=「銃」)という言葉は英語圏においてAssault Rifleアサルト・ライフル(突撃・銃)と訳され、後にStG44と同種の武器を表す言葉として広く用いられるものとなった。

現代の軍隊で使用されているアサルトライフルの特徴を備えており、作動方式はガスオペレーション式で、セミオート(単発)とフルオート(連発)を切り替えられる。安全装置とセミ・フル切換装置は別個に設けられ、前者がレバー形状、後者がクロスボルト形状である。閉鎖方式はボルトの後端が上下するティルティングボルト方式で、前進したボルトが下降して閉鎖、後退するボルトキャリアに持ち上げられて開鎖がそれぞれ行われる。

プレス加工を利用して上下のフレームを成形し、その中に切削加工された部品をリベットやカシメで取り付けており、生産性向上とコストダウン、高品位な金属材料の節約が図られている。機関部もユニット化されていて、下部フレームから一括で取り出すことができる。グリップパネル(握把)は初期のものは材が使用されていたが、後期のものはプラスチック製となった。トリガー(引き金)は大きめで引きやすく、それを守るトリガーガード(用心鉄)は内径が大きく作られており、防寒ミトン着用時にもトリガーを引きやすい形状となっていた。先端には、発射時に銃身内で発生した発射ガスが、その後に銃のボルト(遊底)を作動させるために導くガスシリンダーチューブ(作動ガス導管)へ流入するため、それを調整するガスシリンダープラグ(作動ガス規正子)が取付けられており[note 1]、先端には叉銃用のロッドが付属する。照準器(照星と照門の組)は位置が高く設定され、フロントサイトには陽光の反射や影が照準の邪魔にならないように、取外し式のサイトフードが装着されている。銃身先端にはMP40に類似したアタッチメント追加用のねじが切られていたが、一方で銃剣ラグは設けられていなかった。右側面の排莢口には開閉式の防塵カバーが取り付けられていたが、左側面でコッキングハンドルが前後動するスロットは保護されていなかった。

バットストック(銃床)は、従来のライフル銃では射撃の反動で肩を痛めないように曲銃床が使用されていたのに対し、この銃では従来のライフル弾より反動が低い弾薬が使用されたため、反動が射手に対して水平に伝わる直銃床を採用し、銃口の跳ね上がりを抑えるとともに連射時の射撃精度が高めることができた。バットストック後部の保護板(床尾底板)は、上端と下端だけを覆う簡易的なものが使われている。バットストックの上面後部には手入れ用具の収納スペースが設けられている。本銃のメインスプリング(復座ばね)は設計上、レシーバーからバットストックにかけて内蔵されているため、もし木製のバットストックが折損、あるいは水分を吸って変形すると射撃不能になるおそれがあった。

フォアグリップはハンドガードを兼ねているが、プレス加工された鋼材が使用されていたため、熱伝導率が高く、連射を続けていると過熱して持てなくなる欠点がある。そこで実戦ではもっぱらマガジンハウジングを握ってホールドしていた。マガジン(弾倉)は、弾を千鳥配列式で30発の装填が可能だが(ダブルカラムマガジン、複列弾倉)、作動不良防止のため、戦場では弾を1-2発少なくして装填した。
歴史
背景

第二次世界大戦を通じてドイツ軍を悩ませていたのは、歩兵兵力の過少と火力不足であった。ドイツ軍の歩兵戦術において、歩兵火力の要は機関銃であり、小銃兵の任務は機関銃兵の援護とされていた[1]。これに用いられたMG34はすぐれた汎用機関銃であったが、重量は約12kgもあり、歩兵の携行には難があった。第二次大戦の激しい機動戦は、結果として広範な戦闘正面に過小な歩兵戦力を配置した戦線を広げた。歩兵の密度は戦闘教範の想定よりも低く、攻勢においても防御においても発射される弾量は減少した。また、市街戦でのドイツ軍歩兵分隊の火力は明らかに不足しており、機関銃の援護はしばしば不十分であった。このため、前衛部隊である突撃兵分隊では、移動中でも素早く射撃できる短機関銃を頻繁に使用した。しかし、短機関銃の使用する拳銃弾は、小銃弾に比べて射程が短く、威力不足が問題であった。そのため、突撃兵は市街から離れて近郊地区に出ると、短機関銃の使用を取りやめて、再びライフルを手にしていた。

一方でソ連赤軍は、大戦前から自動小銃の研究に熱心であり、既に配備も行われていた。トカレフSVT-38およびトカレフSVT-40などの半自動小銃が相当数装備されており、これらの調達数は、ドイツ軍の主力小銃であるKar98kを凌いでいた。ソ連軍が自動小銃を配備していることを知った前線の歩兵部隊からは、同様の自動小銃配備を要求する声があがり、ドイツ軍も遅れながらも、Gew41(Gewehr41)などの半自動小銃の開発を急いでいた。

新型の自動火器の研究は続けられたが、7.92x57mmモーゼル弾の反動は強力で、これを使用したFG42などの自動小銃では、銃の重量は常に過大となり、連発時の命中精度は低下した。この問題を解決するためには、より反動の低い新たな弾丸を使用することが必要だった。

第二次世界大戦勃発前から、ドイツ陸軍兵器局では自軍の小銃の問題点を認めていた。当時の主力小銃はKar98k小銃だったが、陸軍兵器局ではこの小銃が従来想定されたような状況では使用されず、7.92x57mmモーゼル弾の威力も無駄になっていると捉えていた[2]


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