STANCE_PUNKS
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STANCE PUNKS
出身地
日本
ジャンルパンク・ロック
活動期間1998年 -
レーベルDynamord(2001年 - )
Kowalski(2005年 - 2009年)
事務所GROWING UP
公式サイト ⇒STANCE PUNKS official web site

メンバーTSURUボーカル
勝田欣也(ギター
川崎テツシ(ベース
佐藤康(ドラムス

旧メンバー柿健一(ドラムス)
中田大介(ベース)
小菅淳(ドラムス)

STANCE PUNKS(スタンス・パンクス)は、1998年に結成された日本パンク・ロックバンド。型破りなステージと言動で、人気を博す。第3次パンク・ロックブームの立役者であるとされる[1]目次

1 概要

2 来歴

3 メンバー

4 旧メンバー

5 作品

5.1 シングル

5.2 アルバム

5.2.1 ベストアルバム

5.2.2 ミニアルバム


5.3 DVD

5.4 参加アルバム


6 ミュージックビデオ

7 主なライブ

7.1 ワンマンライブ・主催イベント

7.2 出演イベント


8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

10.1 インタビュー


概要

下北沢屋根裏を本拠地とし1998年から活動を開始。パンクを展開し、バンドの歌詞や世界観はTHE BLUE HEARTSや初期のTHE CLASHなどの影響が色濃く見受けられる[2][3][4][5]。少年の反抗歌や、曲がった世界に対する叫びによって展開されるものが多い。バンド自身も「ガキに届かなきゃパンクではない」というスタンスの元で活動している[6]。同時期デビューはGOING STEADY(現銀杏BOYZ)、ガガガSPなど。COBRATHE STAR CLUBSAなどの、日本のパンク・ロックバンドとの繋がりも深い。

2003年に映画『仁義なき戦い』などで名を博した深作欣二監督率いる「深作組」からの指名を受け、1stアルバムに収録されている「真夜中少年突撃団」が映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の主題歌に起用される[3]フジテレビ系列で放送されたドラマ『貫太ですッ!』のテーマ曲にも同バンドの楽曲が抜擢された。2005年4月からは、テレビ東京系アニメ『NARUTO -ナルト-』の6代目オープニングテーマに「ノーボーイ・ノークライ」が採用、2006年には「LET IT ROCK」が中日ドラゴンズ福留孝介の入場テーマ曲として使用されている。2008年にはアニメ『ソウルイーター』のエンディングテーマに「アイワナビー」が採用される[7]

6月9日を「ロックの日」と銘打ち、2000年6月9日から毎年無料ライブを開催している[4]。開催場所は下北沢屋根裏に始まり、2003年から川崎CLUB CITTA'、2012年から横浜BAY HALLで行われている[8]。過去出演者はELLEGARDENandymorithe telephonesNothing's Carved In Stoneザ50回転ズなど、パンクだけではなく様々なジャンルの雄が肩を並べる。

また、ボーカルTSURUがメインパーソナリティを務めるラジオ番組『路地裏の大泥棒』が東海ラジオで放送されていた。TSURUが地元名古屋の球団、中日ドラゴンズの熱狂的ファンであり、このラジオの中で製作された「我らがドラゴンズ」は有線放送リクエストで聴く事ができる。道を歩く通行人を突然ゲスト出演させたりした。
来歴

1998年、大学進学を機に上京したボーカルのTSURUとバンドをやるために上京したギターの勝田欣也が、雑誌『BANDやろうぜ』のメンバー募集欄を通じて知り合いバンドを結成[2][5]。3月に吉祥寺で初ライブ、11月には西新宿にあった旧新宿LOFTでライブを行う。

1999年、下北沢屋根裏を活動拠点とし、移転した新宿LOFTのこけら落としライブ、自主企画『火の玉宣言』などを行う[2]

2000年、無料イベント『ロックの日』が始まる[8]。下北沢屋根裏で行われた初のワンマンライブを収録した自主制作盤『5.4下北沢屋根裏ワンマンライブ』を限定200枚リリース。同レコ発ライブ(8.13)では失神者が出て、救急車が出動するなどの騒動が発生した。

2001年、ミニアルバム『スタンスパンクス』にてデビュー。オリコンインディーズチャート5位を記録したこのミニアルバムで一気に全国での知名度を高める[9]。ベーシストの中田大介が脱退し、川崎テツシが加入。

2002年、シングル「クソッタレ解放区」、1stアルバム『STANCE PUNKS』をリリース。新宿アルタ前、名古屋セントラルパーク、大阪三角公園にてゲリラライブを行ない、新宿では3000人以上の観客が殺到し騒いだ為、警官隊が出動する騒ぎとなり新聞に取り上げられる。アルバム『STANCE PUNKS』はオリコンチャート12位を記録、オリコンインディーズチャートでは6週間にわたり首位を独走する[9]

2003年、シングル「最低最高999」、ライブDVD『一撃必殺』をリリース。全国62ヵ所のライブツアー後、ドラムス担当の小菅淳が脱退[10]。翌年、柿健一が加入。

2004年、シングル「ロストボーイズ★マーチ」(TOWER RECORDS限定)、「19roll」、アルバム『LET IT ROLL』をリリース。

2005年、シングル「モニー・モニー・モニー」でエピックレコードジャパン内の新興ロック・レーベル、Kowalskiよりメジャー・デビュー[9]。同年にシングル「ノーボーイ・ノークライ」、メジャー第一弾となるアルバム『HOWLING IDOL?死ねなかった電撃野郎』、自身初となるミュージック・ビデオ作品集『PV/DV mania!』を発表[9]

2006年、バンド自身初となるアメリカツアー (10ヵ所) に出発。MTVから急遽インタビューを受けるなど[11]、その模様は全米放送される。帰国後、シングル「シャロルはブルー」、「LET IT ROCK」、アルバム『BUBBLEGUM VIKING』を発表[12]

2007年、『BUBBLEGUM VIKING TOUR』中の埼玉県熊谷市公演にて、ボーカルのTSURUがライブ中に意識を失い病院に搬送された。同ツアーの仙台公演でもライブ前に路上で倒れ、ライブが延期となる。

2008年、結成10周年ライブを渋谷クアトロと川崎クラブチッタで行う。ミニアルバム『BOMP!BOMP!BOMP!』、シングル「アイワナビー」、アルバム『PEACE & DESTROY』、ライブDVD『10th Anniversary ワンマンライブ 2008.03.09』を発表[13]

2009年、『PEACE & DESTROY TOUR』で全国を回った後、新譜リリースなどの動きは見せず。

2010年、アルバム『ザ・ワールド・イズ・マイン』を発表。同タイトル曲のPVがYouTubeで先行アップされ、その衝撃的な映像が話題になる。


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