SPAR
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「スパー」のその他の用法については「スパー (曖昧さ回避)」をご覧ください。
スパー店舗の例(フィンランド西スオミ州エウラ)イギリスにあるコンビニタイプの店舗

スパー(SPAR)は、ヨーロッパを中心に30カ国以上の地域で展開する世界最大の食品小売りチェーン。国際本部は、オランダアムステルダムにある。

シンボルマークは「モミの木」がモチーフ。レイモンド・ローウィがデザインした。
沿革

オランダアムステルダムで食品卸会社を経営していたアドリアン・ファン・ベル(Adriaan Van Well)が1932年、16人の小売店主と共に結成したボランタリー・チェーンのDE SPARがルーツとなっている。「DE SPAR」は、オランダ語モミの木と言う意味だが、同時に「共同経営で常に利益」(Door Eendrachtig Samenwerken Profiteren Allen Regelmatig)の頭文字を取ったスローガンにもなっている。

1953年にはアムステルダムで、ヨーロッパや他地域へ業務展開するため国際本部を設置。スパーの店舗展開はヨーロッパ各国が大部分を占めるが、南アフリカオーストラリア中華人民共和国インドなどでも展開している。イギリスではスパーは主にコンビニとして知られているが、但し北アイルランドではアイルランド同様、スーパーマーケット業態でも運営している。

過去に日本でも運営されていたが、現在は国内から完全に撤退している。

スパーの店舗展開は国によって異なり、各店舗がフランチャイズ形式で個別に所有されている場合か、チェーンストア形式の支店となっている場合がある。各国の法人は国によって異なる資本で経営され、国によっては店舗のオーナーがチェーン法人を所有している場合もある。各国で共通しているのは、ブランディング(名前とロゴ)のみとも言える。そのロゴは1968年レイモンド・ローウィがデザイン改定したもので、以来現在でも使用されている[1]

スパーでは傘下にいくつかのサブブランドを展開している。スーパーマーケットは「ユーロスパー」(Eurospar)、アフリカでは「スーパースパー」(Superspar)、小規模店は「スパー・エクスプレス」(Spar Express)、ハイパーマーケット(大規模スーパー)は「インタースパー」(Interspar)などがその例である。但し全ての業態およびサブブランドが全ての国で展開されている訳では無い[2]
世界各国のスパー
日本

日本では国際スパー本部(こくさいスパーほんぶ)との契約により全日本スパー本部が展開していたが、全日本スパー本部の解散時に地域本部の一つであった北海道スパーが国際スパー本部と直接契約する形に変更されていた。

北海道以外のスパー本部は2009年に解散しているが、名古屋市熱田区にあった須賀店のみが2019年までSPARの屋号のまま営業を継続していた。しかし理由は不明である[3]。2024年現在岡山県笠岡市の個人商店にスパーの屋号が、確認されている。上記同様理由は不明である。
歴史・概要スパー店舗の例
(現在はセルバに転換、山梨県北杜市ホットスパー店舗の例
(現在はファミリーマートに転換、埼玉県草加市スパー店舗の例(北海道札幌市手稲区
スパー前田店服部。現在は閉店

日本上陸は1977年(昭和52年)。当初は、食料品店やスーパーマーケットのボランタリー・チェーンであった[4]

全国に各地区本部があり、SPAR名のリージョナルチェーンを形成していた。

そのまとめ役として、株式会社全日本スパー本部(ぜんにほんスパーほんぶ、ALL Japan SPAR Co., Ltd.、愛知県名古屋市中区)があった[5]

各地区本部はそれぞれの地区に地盤を持つ卸売業者、小売業者によって設立された。緩やかな連携を保ちつつ、独立して運営されていた。

ボランタリー・チェーンであったため、多くの加盟店も地区本部から経営に介入されることなく独立して運営されていた。この点では、商店主などが加盟を検討する際、経営の自主性を奪われるフランチャイズチェーンと比べて魅力的であったと思われる。

反面、運営戦略は各地方、各店舗でバラバラであり、全国一律の商品仕入れや物流共同化は推し進められなかった。

1989年平成元年)7月に首都圏スパー本部を買収して傘下に収めたカスミ[6]が東京都や神奈川県などの首都圏の主要地域に出店していなかった[7]ため首都圏での店舗展開があまり進まず、大都市圏に弱いこともあり、大手チェーンストア各社と比べブランドイメージの確立もスケールメリットの享受もできなかった。(ユニーやその子会社の大手コンビニエンスストアサークルケイ・ジャパンとの取引をメインとするトーカン[8][9]の子会社が展開していた名古屋を中心とする東海地方では、東海地域スパー本部が1993年(平成5年)4月1日時点で計123店・加盟店売上高320億円(コンビニエンスストア47店・加盟店売上高60億円、スーパーマーケット76店・加盟店売上高260億円)[10]、大阪府や兵庫県・京都府・奈良県など近畿大都市圏では、大阪地区スパー本部が1993年(平成5年)9月末時点で計124店、1994年(平成6年)3月期上期(1993年(平成5年)3月-9月)の加盟店売上高150.76億円[11]に各々留まっていた。)

1982年(昭和57年)に四国スパー本部としてスパー1号店を開店したサニーマート[12]や、同年に全日本スパー本部に加盟した寿屋[13]平和堂はスパーを展開し始めた当初からコンビニエンスストアとしての出店を進め[14]1985年(昭和60年)3月に関東地域スパー本部(現在のファミリーマート)がコンビニエンスストア業態のHOT SPAR1号店を開業させ[6]、同年11月に北陸スパー本部(現在のアルビス)が日本海酒販と共に北陸ホットスパーを設立してコンビニエンスストアへの進出を目指す[15]など店舗の業態が当初の食料品店やスーパーマーケットからコンビニエンスストア業態の比率が上がっていき、1994年(平成6年)6月期には業態別にスーパーマーケット事業部とコンビニエンスストア事業部が全日本スパーに設置され[16]1996年(平成8年)6月期で12地域本部合計2,236店(期中250店増)の内コンビニエンスストアが78.3%を占めるようになっていった[17]

このコンビニエンスストア業態の店舗は北海道スパーを除いて[18]HOT SPARを名乗った為、ブランドとしてもHOT SPARの比率が高まっていくことになった。

コンビニエンスストア業態の店舗でも北陸ホットスパーは2004年(平成16年)11月にポプラへ全株式が譲渡されてポプラに転換するまでボランタリー・チェーンであった[19]ほか、1995年(平成7年)に中核企業であったカスミコンビニエンスネットワークでも約770店舗のうちボランタリー・チェーンが約500店舗と店舗数の大半を占める[20]など当初はボランタリー・チェーン契約が多かったが、カスミコンビニエンスネットワークがフランチャイズチェーンへの転換を進め[20]、契約形態もボランタリー・チェーンからフランチャイズチェーンの比率が高まるなどその内容は変化していった。

1996年(平成8年)6月に12地域本部合計2,236店で加盟店売上高約3868.39億円を上げていた[17]が、中核企業であったカスミコンビニエンスネットワークが加盟店オーナーから起こされた訴訟の影響で当時上場していたコンビニエンスストア4社中唯一同年8月までの1996年(平成8年)上期の店舗の増加数が前年実績を下回る[21]など伸び悩み始め、1998年(平成10年)2月期決算で同社の店舗数も844店舗へ純減となって約1.52億円の最終損失となって設立以来初の赤字に転じる状況に陥る[22]など衰退が始まった。

翌年度1999年(平成11年)2月期も大手コンビニエンスストアチェーンの店舗開発がカスミコンビニエンスネットワークの地盤である茨城県を含む北関東へ広がってきた影響で業績が伸び悩んで[23]不採算店153店舗の閉鎖に追い込まれて店舗数の純減が続いて[24]約70.71億円の最終損失という大幅な赤字で2期連続の赤字となった[25]ほか、2000年(平成12年)6月20日に九州地域スパー本部を傘下に持つ九州コンビニエンスシステムズがココストアと業務提携して[26]同年に不採算店25店を閉店する[27]など他の本部でも他チェーンとの競合などで不採算となった店舗の閉鎖が行われて店舗数が減少した。

2001年(平成13年)には、3月14日にホットスパーを76店舗展開していたサニーマートがスリーエフとエリアフランチャイズ契約を結んで[28]同年7月12日に1号店を開店させて新規開拓を切替える共に同月15日から既存加盟店もスリーエフへの切替も進めてホットスパーから離脱し[29]、同年5月11日に平和堂が[30]100%出資子会社東近畿地域スパー本部[31]を通じて京都府、滋賀県、福井県の3府県でホットスパーを計108店舗展開していたがそのうち80店舗程度をファミリーマートに営業権を譲渡することで基本合意したと発表して同年8月末までに譲渡を完了させて事業から撤退して[30]この2つの本部の加盟店は完全に当グループから離脱していった。

2002年(平成14年)には、東海地域スパー本部が、コンビニエンスストア事業から撤退し[32]、大阪地区スパー本部が解散して[33]さらに2つの本部の加盟店は完全に当グループから離脱し、最大の店舗数を持つホットスパーコンビニエンスネットワークス(旧カスミコンビニエンスネットワーク)も不採算店の閉鎖を進める[34]などしたため、同年6月期で9地区地域本部合計店舗数1,307店で加盟店売上高約2378.62億円に減少した[33]

2004年(平成16年)も10月22日に岩手県を中心にホットスパー131店を展開していたベルセンターがコンビニエンス事業をローソンに営業譲渡して店舗をローソンに転換することで合意して撤退[35][36]2004年(平成16年)11月には日本海酒販が北陸ホットスパーの全株式をチックタックシステムズと同時にポプラへ譲渡して撤退する[19]など再編に伴う店舗数の減少が進んだ。

2005年(平成17年)には買収したポプラが店舗をポプラに転換して12月13日付で北陸ホットスパーを同社に吸収合併し、エブリワンがココストアとエリアフランチャイズ契約を結んで[37]2002年(平成14年)2月に直営22店FC125店で加盟店売上高220億円を上げていた九州地域スパー本部のホットスパーの店舗[27]2005年(平成17年)5月2日から5月26日までの期間で残っていた87店全てをココストアへ転換した[37]ため、新たに買収されなかったものの当ブランドを掲げた店舗数の減少は更に進んだ。

グループの中核企業であったホットスパーコンビニエンスネットワークスが2007年(平成19年)11月14日に店舗名を全てココストアに変更する方針を発表し[38]、同月29日に新規出店したココストア竜ケ崎川原代店から店舗名の切り替えを始め[38]2008年(平成20年)2月?3月の2ヵ月間で[39]既存店419店舗[40]の内外装もココストアに切り替え[41]、6月に[6]社名も株式会社ココストアイーストへ変更し[41]、全日本スパー本部から脱会する方針を固めたため[39]2008年(平成20年)11月末で全日本スパー本部は国際スパー本部との契約を解消して2009年(平成21年)2月末の総会で清算となり[5]、国際スパー本部と直接契約を継続することになった北海道スパーを除く他の各地区本部はスパーとしての事業からは撤退して日本でのスパーの事業は北海道のみに縮小することになった[5]
日本での事業の終焉

2009年以降、国際スパー本部に認知されている日本国内の事業所はセイコーマートの一部門である北海道スパーのみとなっていた[5]

しかし、道内の店舗ではオーナーの高齢化が進んだことによる代替わりや後継者難、スパーの経営ノウハウを充分吸収されたことなどの理由により、2016年8月末を以てスパー本部との契約を終了し、9月1日以降は一部店舗をセイコーマートに転換、残りはハマナスクラブの名称で営業を続け、それ以外の店舗については転換せずに閉店した[42]


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