SOFT BALLET
出身地 日本
ジャンルシンセポップ
エレクトロ・ポップ
ニュー・ウェイヴ
インダストリアル
EBM
活動期間1987年 - 1995年
2002年 - 2003年
レーベルアルファレコード
XEOインヴィテイション
ワーナーミュージック・ジャパン
事務所 ⇒POP STAR
公式サイト[1]
SOFT BALLET(ソフトバレエ)は、遠藤遼一・藤井麻輝・森岡賢による日本のバンド。
1987年結成。インディーズレーベル太陽レコードよりシングル「BODY TO BODY」をリリース後、1989年にアルファレコードよりメジャー・デビュー。1995年7月23日の渋谷公会堂のライブをもって活動停止。
2002年の「サマーソニック 2002」で活動再開し、アルバム2枚をリリース。2003年のツアー「大団宴」後、再び活動を休止。
音楽性はフューチャーポップ、インダストリアル・ロック、ハードハウス、アシッド・ハウス、デビュー時のコピーによれば「エレクトロ・ボディ・ビート(エレクトロニック・ボディ・ミュージックと同義である)」と2名の作曲者の個性によって多彩である。当初はベルギーのEBMバンドであるFRONT 242に影響を受ける(BODY TO BODYはFront 242へのオマージュ)。しかし特徴的なサウンドは当世のテクノ・エレクトロニカに主軸を移しつつ、IDM、アンビエントなどの要素を取り込み始める。電子音楽的な冷やかさと無機性を持ったサウンドながら、遠藤の歌唱やサポートミュージシャンなどによってロック色を強く保ったそのスタイルは日本の音楽シーンに少なからず影響を及ぼした。
メジャーデビュー後、ライブ時にはドラム・ギターのサポートメンバーが参加している(1992年はライブはツインドラムでギター不在、再結成後はドラムのみ)。同時期にレコーディングにも参加しているが、他多数のミュージシャンもレコーディングには参加している。 全国ツアー名(日程) SOFT BALLETの活動を、インディーズ時代、1989年のメジャーデビューから1992年のビクターXEO レーベルへの移籍まで、ビクターへの移籍から解散まで及び2002年の再結成から翌年の再解散までの4つの時期に分けて記述する。
メンバー
遠藤遼一(えんどう りょういち、1967年12月6日 - )ボーカル
血液型不明。声質を買われてバンド解散後はCM等でナレーションもしていた。endsとしても活動。
藤井麻輝(ふじい まき、1965年8月17日 - )シンセサイザー、キーボード、ギター
B型。ライブではほとんど動かず、直立不動で客をにらみつけている。後期では顔を隠すことが多くなりガスマスク姿で演奏したこともあった。このほかBUCK-TICKの今井寿とのユニットSCHAFT、女性アーティスト芍薬とのユニットSUILEN(睡蓮)、森岡賢とのユニットminus(-)で活動した。
森岡賢(もりおか けん、1967年3月15日 - 2016年6月3日[1])シンセサイザー、キーボード
B型。藤井とは対照的にライブでは所せましと動き回り、扇子を持ってはクネクネしたダンスを踊り、ライブではキーボードとダンサーを兼ねる。KEN MORIOKA名義でのソロ活動のほか、元GRASS VALLEYの出口雅之とのユニット、ジェントルマン・テイク・ポラロイドとしても活躍。解散後は藤井麻輝と共に、新ユニットminus(-)で活動。父は作曲家、編曲家の森岡賢一郎。2016年6月3日、心不全により死去。49歳没。
サポートメンバー
JACK IN '89(1989年10月5日 - 1989年11月29日)
JACK IN '90(1990年3月25日 - 1990年7月19日)
小宮俊男(Dr)
塚田嗣人(G)
ALL OVER(1990年10月19日 - 1990年11月25日)
TOUR 1991(1991年5月8日 - 1991年6月29日)
TOUR 1991 TWEI(1991年10月5日 - 1991年12月19日)
上領亘(Dr)
石塚伯広(G)
MILLION MIRRORS(1992年10月8日 ? 1992年12月17日)
小宮俊男(Dr)
向高昌則(Dr)
1993 INCUBATE SOFT BALLET 1994(1993年12月3日 - 1994年3月6日)
友田真吾(Dr)
藤田タカシ(G)
SOFT BALLET TOUR 1995 FORM(1995年4月26日 - 1995年6月29日)
楠均(Dr)
藤田タカシ(G)
110910(2002年11月9日 - 2002年11月10日)
SOFT BALLET TOUR 2003 <満カイ>(2003年4月15日 - 2003年4月23日)
大団宴(2003年12月4日 - 2003年12月17日)
平井直樹(Dr)
バイオグラフィー
インディーズ時代
1988年
12月5日、六本木インクスティックで初ライブ。
1989年
4月11日、太陽レコードよりシングル「BODY TO BODY」発売。
アルファ時代
1989年
9月25日、1stシングル「BODY TO BODY」と1stアルバム『EARTH BORN』発売。
なお、このアルバムの発売以前にアルファレコード・G.M.O.レーベルから発売された古代祐三のファーストアルバム『ザ・スキーム』(ゲームミュージック)のアレンジヴァージョン制作に森岡と藤井が参加している(藤井は「藤巻靖人」名義)。森岡が3曲、藤井が2曲の編曲を、作曲者である古代と共同で手がけた。ソフトバレエの担当プロデューサーが、古代の担当プロデューサーでもあったことからの起用である。
1990年
1月25日、1stビデオ『JACK IN』発売。
4月25日、2ndアルバム『DOCUMENT』発売。
8月10日、3rdシングル「ESCAPE -Rebuild」発売。
10月10日、ライヴビデオ『MOVIE』発売。
11月28日、ミニアルバム『3 (drai)』発売。
1991年
4月21日、4thシングル「EGO DANCE」発売。
5月21日、3rdアルバム『愛と平和』発売。オリコンチャートのトップ10入りを果たす。
7月21日、5thシングル「FINAL」発売。
9月21日、ライヴビデオ『TOUOR 1991 有明コロシアム』発売。
12月1日、NHKホールで行われたNHK BS ヤングバトル決勝大会にゲスト出演。
12月16日、藤井麻輝と今井寿によるユニットSCHAFT、DANCE 2 NOISEイベントに出演。
1992年
8月21日、ライヴアルバム『Reiz (raits)』発売。