SMAP解散騒動
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}SMAP > SMAP解散騒動

SMAP解散騒動(スマップかいさんそうどう)は、2016年に起きた、日本芸能事務所ジャニーズ事務所に所属する男性アイドルグループSMAP解散に至った経緯をめぐる一連の騒動である。本項では同グループの解散危機及び解散が決定した事象と、それを巡る社会の動きを取り扱う。
概要

SMAPは、中居正広木村拓哉稲垣吾郎草g剛香取慎吾の5人(1996年5月までは森且行を含む6人)で構成されていた男性アイドルグループ1988年に結成、1990年代から日本の芸能界の第一線で活躍し、お茶の間の顔として日本全国の老若男女から幅広い支持を得ていた国民的グループでもあった。また、ジャニーズ事務所もSMAPでバラエティやドラマを中心としたアイドルの売出し戦略を確立し、1990年代KinKi KidsTOKIOV6などのアイドルグループでも同様の売り出し方で成功した後、2000年代半ばから男性アイドル界がジャニーズの寡占状態となるなど、日本の芸能界で確固たる地位を築いていた。シェアを伸ばすに連れて、ジャニーズ事務所の支配力は芸能界は元より、マスメディアにも及び、ジャニーズ所属グループの出演条件として他社の男性グループを出演させないようにするなど、度々黒い噂も流れていた。

2016年初頭にSMAPの解散の危機が報じられると、紆余曲折を経て同年末の解散に至るまでメンバー及び事務所の一挙手一投足がメディアで連日報じられ、ファンによる大規模なCD購買運動や署名活動、インターネットにおける事務所および一部のメンバーに対する大規模なバッシングなど、メンバー及び事務所の影響力の大きさが改めて可視化されることとなった。また、この騒動は様々な分野に波及し、騒動に絡め様々な社会評論も行われるなど日本中に大きな波紋を呼んだ。解散後には公正取引委員会が本件に関してジャニーズ事務所に対して注意を行っており、芸能人と芸能事務所との関係が大きく変化する契機ともなった。

騒動の一つの結論として、ジャニーズ事務所は2016年8月に、「SMAPは同年12月31日をもって解散する」ことを公式に発表した。解散は発表通りに行われ、その後、木村はジャニーズ事務所に残り、稲垣・草g・香取は2017年9月CULENに移籍、中居は2020年3月末にジャニーズ事務所を退所し、直前の2月19日に新会社「のんびりなかい」を設立[1]、個々の芸能活動は全員が継続している。

ファンからはSMAPの再結成を望む声も根強いが、中居はジャニーズ事務所退所発表時の会見で再結成について「1%から99%の中にある。0ではないし、100%ないとは言えない」としつつも、1人の問題でないことも挙げ「期待に全てを応えられるわけではない」と述べている[2][3]
経緯
音楽業界・テレビ業界の転換期

ジャニーズ事務所は、メリー喜多川ジャニー喜多川の姉弟によって設立されたアイドル主体の芸能事務所である。業務形態はジャニーが所属タレントのプロデュース、メリーが事務統括やメディア対応などをそれぞれ分担しており、この基本型は2人の最晩年まで変わっていなかった。事務所は1980年代たのきんトリオ光GENJIなどのヒットで成功を収めていた。

しかし、1990年頃に音楽業界・テレビ業界の転換期が訪れた。バンドブームの到来、歌番組に出ない実力派アーティストの台頭がステータス化する状況などが生まれ、各局の歌番組は視聴率に苦しみ、軒並み終了する事態に陥る。結果、歌番組への出演が最大の宣伝になっていたアイドル業界そのものが氷河期に入るとともに、ジャニーズの勢いにも陰りが見え、弱小事務所への転落の危機にあった[4]
SMAPの成功

SMAPもデビュー当時、セールス面で表立った結果を残すことが出来ず、マネジメント面でも大々的な露出をすることが少なくなっていた。当時事務職をしていた飯島三智がこれを見かね、「自分がSMAPの世話をする」と志願しマネージャーへ転属する。飯島は、それまでのアイドル界では畑違いと見られていたバラエティや主演・主要役以外でのドラマにも積極的にメンバーを進出させ、結果的に世間の認知度が上がると共に本業のアイドル業でも成果を挙げ、見事SMAPを大スターに押し上げた[5]

事務所も後輩タレントを同様のメソッドで売り出すことによりヒットを連発し、息を吹き返したのち業界最大手に上り詰めた。さらに、飯島の手法によりアイドルの守備領域の拡大やアイドルの寿命を飛躍的に上げるなど、芸能界のアイドル観を根本から変えるまでに至った[6]
飯島とメリーの確執

メリー、ジャニー姉弟は飯島を事務所の恩人として厚遇し、いずれ2人の後を継ぐ副社長(当時)・藤島ジュリー景子(メリーの一人娘。以下「ジュリー」と記述)の代でも飯島は大番頭としてジュリーを支え、ジャニーズは安泰と思われていた。ジュリーと飯島の仲も非常に良好であり、ジュリーは飯島を頼りにしていた[7]

しかし年を経るにつれて、メリーが飯島に警戒感を抱くようになる。それは、ジュリーと飯島のタレントマネジメント能力に格段の差があったためである。ジュリーは飯島の手法を真似てTOKIOなど後輩グループのマネジメントを行っていたが、実質の業務は他のスタッフに任せきりで、タレントや仕事先の人望も飯島に対する全てにおいて明らかに劣っていた[8]。メリーは娘の将来を案じ、次第に飯島を危険視するようになっていく。

不穏な空気を察知したジャニーは、子会社のジェイ・ドリームを設立した上で飯島に経営を委ね、飯島がメリーを気兼ねせずに仕事ができる環境を整え、両者の関係の軟化を図った[9]。さらに、2010年にKAT-TUNのマネジメントを飯島に移管したのを皮切りに、若手グループを次々と飯島にゆだねた[10]。しかし、メリーの目には飯島がジャニーの権威を嵩に着て権力を伸ばしているようにしか見えず、猜疑心はさらに激化した。やがて、テレビ番組でもジュリー管轄のタレントと飯島管轄のタレントとの共演が原則ご法度になるなど、事務所の活動に大きな影響が出る事態に至ったと言われている[11]
週刊文春による亀裂

決定的な亀裂が生まれたのは、『週刊文春』2015年1月29日号掲載のメリーに対するインタビューであるとされる。ジャニーズ事務所は芸能界での実権を握って以降、タレントの番組出演やカレンダー販売などの利権をばらまくことによって自己に不利益な報道をしないよう仕向けていたが、週刊文春はジャニーズ事務所のメディアコントロールの傘下に組み込まれていない、数少ないメディアであった[注 1]

そのインタビュー内でメリーは、週刊文春がジュリーのことを「次期社長『候補』」と呼んでいる点を指摘し、「次期社長は決まっている」と後継者がジュリーであることを正式に認めた[注 2]。更に「派閥など存在しない」「実在しない『派閥』があると思わせるようなことがあったとしたら、飯島を注意します。今日、辞めさせますよ」と断言。

直後、インタビューが行われていた事務所ビル2階の会議室に飯島を急遽呼び出し、現れた飯島に対して「SMAPは踊れない」「飯島に踊りを踊れる子を預けられない」とまで言い放った上で、飯島に対しては「『派閥』争いがあるのか?」と詰問、飯島が「ありません」と答えるも、「もしそれが事実なら、SMAPを連れて事務所を出なさい。私はジュリーを残し飯島は辞めさせます」などと述べた[12][13](このインタビューは「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の第22回大賞を受賞している)。

これをきっかけとして、飯島はジャニーズ事務所には顔を出せなくなった上、真剣にSMAPを連れてジャニーズ事務所から独立しようと水面下で画策せざるを得ないこととなる。ジャニーは当然飯島とSMAPの離脱には反対であったが、メリーの不信感が自身にも向かっていたため慰留を断念したという。

その他、同年のNHK第66回NHK紅白歌合戦』の司会選考を巡り、「飯島がNHKに対して独自交渉で同紅白の司会(白組司会・総合司会)にSMAPもしくは木村をごり押ししたが、メリーが自派のタレント総引き揚げをちらつかせて断念させた」とする報道もなされた[注 3]が、NHKの三溝敬志エンターテインメント番組部長は定例会見で自ら否定している[14]。他にも曲順を巡って当初はSMAPが白組トリおよび大トリを務める予定だったとする報道もされている[15]
SMAP移籍の頓挫

その後、飯島は『芸能界のドン』と称される田辺エージェンシー社長の田邊昭知を頼り、自身とSMAPの移籍・引き受けを依頼する[16]。水面下でジャニーズ事務所と田辺エージェンシー側とで話し合いが持たれ、飯島とSMAPは2016年9月の契約更新時期を以って事務所を退社、田辺エージェンシーの系列であるケイダッシュへの移籍話が纏まったとされ、関連作品やグループ名の使用権、コンサートの興行権などの利益配分などの交渉を双方の弁護士が進めるまでに至っていた[17]。この時点において、メンバー個人の売り上げは中居がトップで5億、次が木村で3億であったとされる[18]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}しかし、表向きは5人全員の移籍で話は進んでいたが2015年に5回行われたジャニーズ事務所と弁護士、メンバーを混じえた聞き取りでは、草g、香取の2人は移籍することに1度目の聞き取りの段階で同意しており、2人と飯島の思惑としては、他の3人も移籍は迷うことはないと考えていた。しかし、最初の聞き取り、2回目の聞き取りの時点では、稲垣、中居は保留を選び移籍を迷っていた。3回目の聞き取りで稲垣が2人に折れる形で不本意な状態で同意し、一応過半数の同意はなんとか取り付ける。しかし、この時点でも中居は保留を選んでいた。合計で5回にわたって行われた聞き取りで、中居は最終的にグループ活動に関するある条件(しかしSMAP解散により、その事は無かった事にされてしまう。)をつけることによって移籍に渋々同意した。しかし木村は、当初より一貫して事務所残留を選択し、中居が移籍に同意したという話を聞いたものの、最後に行われた聞き取りでも全く迷いなく残留の意志を崩さなかった事から飯島の思惑は外れ、5人全員での移籍を前提としていた移籍話はこの時点で頓挫した。[要出典]
解散危機の勃発

週刊新潮』の2016年1月21日号にこの騒動が掲載されることになっていた。1月21日号は14日発売で、新潮はこの前の12日にジャニーズ事務所に確認の取材を行った。ジャニーズ事務所は新潮の報道のインパクトを落とすため、13日付の日刊スポーツ(以下ニッカン)とスポーツニッポン(以下スポニチ)に、

飯島が2月に退社する

木村を除く4人が飯島に従い事務所を離脱する

SMAPは解散する

という内容の記事を掲載することを許可した[19]未明の13日3時にニッカンが[20]、さらに5時半にスポニチが[21]電子版で速報を流すと、テレビの情報番組、さらにネット記事、各SNS、サイトなどでも終日このネタで持ち切りになった[22]。結果として新潮の記事のインパクトを落とそうとしたジャニーズ事務所の思惑は大きく外れ、その日の早い段階でこのネタで持ち切りとなってしまい、この時点でジャニーズ事務所は最初の軌道修正を試みることになる。

結局午後になって、ジャニーズ事務所から公式コメントが発表された。この度、一部報道機関により、SMAPの一部メンバーの独立問題と担当マネージャーの取締役辞任等に関する報道がなされました。
たしかに、この件について協議・交渉がなされている事実は存しますが、そのような状況下であるため、詳細についてのお問い合わせにはお答えできませんので、宜しくご理解の程お願い申し上げます。

ジャニーズ事務所は従来の方針の通りSMAPを解散させて4人を干し、木村1人をソロでプッシュさせる心づもりであったとも報道されており、翌14日の各紙およびテレビは、飯島と木村以外のメンバー4人が独立を画策、頓挫したもので、元の鞘に収まるのは絶望的、という筋書きで概ね一致していたといわれる[23]。この日は草gが主演ドラマ『スペシャリスト』の宣伝のためテレビ朝日のワイドショーを梯子することになっていたが、全番組、草gの前では解散の件について一切口にしなかった[24]

しかし、同14日発売の週刊新潮はメリーが飯島を追いだした顛末を克明に記していた。また、一部のジャニーズに靡かないメディアやインターネットの暴露サイトなどではジャニーズの悪質さは公然の事実となっており、事務所には抗議の電話が殺到した[25]。そこで事務所は更に軌道修正を図る。15日以降、4人が独立画策を後悔しているとの記事を書かせ、さらに木村を事務所との仲裁役として4人に助け船を出す役回りにした。4人に自ら非を認めさせることで4人への支持を弱め、同時に木村の度量の広さを印象付けようとしたのである[26]。この時点で木村は他の4人よりも前にジャニーと面会しており、この役回りに難色を示していたが、最終的に錯乱していたメリーを宥める為に、ジャニーに土下座までされたことで、渋々ではあるものの引き受けることを決意した。だがメリーの錯乱は全く収まらず、担当記者に電話をかけまくっては飯島やメンバー4人のありもしない事実無根の悪評や、スキャンダルをまくしたてるという状況が続いた。メリーの暴走に対して匙を投げていたジャニーが助け船を出し、17日深夜に木村以外の4人と面会、謝罪した4人をその場で労わった[27]。しかし、メリーは顔を出さなかった。翌18日は『SMAP×SMAP』(以下、スマスマ)の放送日であった。ここで、番組の枠を借用して木村を除くメンバー4人による謝罪メッセージを流し、メリーの許しを請うことが決まったという[28]。この日のスポーツ新聞は、木村が事務所幹部と相談して、飯島の事務所退社をもって手打ちとし、SMAP存続の見通しが立った、と報じた[29]
スマスマでの視聴者へのメッセージと一旦の収束

18日のスマスマは前枠の月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』が初回15分拡大のため22時15分からスタートした。まず番組は黒バックに白文字で『今夜のスマスマは一部内容を変更してお送り致します』のテロップに始まり、代表曲「世界に一つだけの花」をバックにした映像とファンのメッセージ(朗読:フジテレビ・西山喜久恵アナウンサー)が流れ、その後22時19分頃、5人の姿が映し出された[30]。このシーンは黒いカーテンの前にスーツ姿の5人が左から中居、草g、木村、稲垣、香取の順に並び、それぞれが視聴者にメッセージを述べる形で進んだ。発言内容は以下の通り。木村拓哉
「今日は、2016年1月18日です。
先週から我々SMAPのことで世間をお騒がせしました。
そしてたくさんの方々に、たくさんのご心配とご迷惑をおかけしました。
このままの状態だと、SMAPが空中分解になりかねない状態だと思いましたので、
今日は自分たち5人が、しっかり顔をそろえて、みなさんに報告することが何よりも、
大切だと思いましたので、本当に勝手だったのですが、
このような時間をいただきました。」
稲垣吾郎
「この度は 僕たちのことでお騒がせしてしまったこと、
申し訳なく思っております。
これからの自分たちの姿を見ていただき、そして、応援していただけるように、
精一杯がんばっていきますので、これからもよろしくお願いいたします。」
香取慎吾
「本当にたくさんの方々に心配をかけてしまい、そして不安にさせてしまい、
本当に申し訳ございませんでした。
皆さまと一緒にまた、今日からいっぱい笑顔を作っていきたいと思っています。
よろしくお願いします。」
中居正広
「今回の件で、
SMAPがどれだけ皆さんに支えていただいているのかということを
改めて強く感じました。本当に申し訳ございませんでした。
これからも、よろしくお願いいたします。」


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:274 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef