SHAZNA
[Wikipedia|▼Menu]

SHAZNA
出身地
日本
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

ロック

ポップ・ロック

ニュー・ウェイヴ

オルタナティヴ・ロック

活動期間1993年 - 2000年
2006年 - 2009年
2017年[1][2] -
レーベルDA-SE JEITO(1994年11月)
LACHESIS(1996年3月)
eyear(1996年8月)
スウィート・ハート レコーズ(1997年1月)
RCAアリオラジャパン1997年8月 - 1998年7月
東芝EMI1998年8月 - 2000年7月)
ロックチッパーレコード(2007年 - 2009年)
イノセント・レコード(2024年)
事務所DA-SE JEITO(1993年 - 1995年)
スウィートチャイルド(1996年 - 2000年)
オフィスタッチ(2001年 - 2006年)
スウィートチャイルド(2007年 - 2009年)
エースクルー・エンタテインメント(2017年 - 2023年)
参華三釼(さんかみつるぎ)(2024年 - 現在)
共同作業者そうる透ドラムス
公式サイトwww.shazna-30th.com

メンバー

IZAMボーカル

A・O・I(ギター

NIY(ベース


旧メンバー

KATSURA(ドラムス

Raychell(ボーカル)

夏芽(ドラムス)

Asuka(サックス

SHAZNA(シャズナ)は、日本ヴィジュアル系ロックバンド。ほぼ同時期にメジャーデビューをしていたMALICE MIZERFANATIC◇CRISISLa'cryma Christiと共に「ヴィジュアル系四天王」と称された[3]
概要
結成?インディーズ期バンドのロゴ

1993年結成。結成最初期のメンバーはIZAM、NIY、NIYの弟という編成だったが、結成から少し経った後にギターを担当していたNIYの弟が脱退。しばらくバンドにはギタリストが不在の状態で、メンバーの募集をしたところ、ほどなくしてPENICILLINのO-JIROの紹介によりA・O・Iが加入。さらにその後、ドラム担当として当時既に別のバンドを組んで活動していたKATSURA(後述)も加入し、4人編成でインディーズ・デビューを果たした。

ヴォーカルのIZAMが学生時代にカルチャー・クラブボーイ・ジョージから影響を受けた中性的なルックスと、1980年代のヒット・チャートを思わせる軽快な楽曲でインディーズながら爆発的な人気を博した。
一年計画と所属事務所

SHAZNAの音楽活動のため、メンバー全員が借金まで背負っていたが、メジャーデビューへの道筋は一向に見えていなかった。その閉塞した状況を打破するため、IZAMは「一年計画」を練り、メンバーに提示した。それは、向こう一年で最大限の努力をし、それが叶わなかったあかつきには、音楽活動を諦めて一般企業へと就職しようという趣旨のものであった。その結果、SHAZNAが方々に頭を下げて制作費400万円を必死にかき集め[4]、死力を尽くして完成させた作品が、インディーズ・ミニアルバム『Melty Case』である。のちにSHAZNAの代表曲となる「Melty Love」を収録した本作は、3,000枚を完売した[5]。しかし、『Melty Case』の売上(SHAZNAの取り分は450万円)のみならず、インディーズ・シングル『Dizziness』の売上(SHAZNAの取り分は180万円)も、初のインディーズ・ミニアルバム『Sophia』を発売したDA-SE JEITOのヤマダ・ユミによって原盤ごと持ち逃げされ、SHAZNAには一円も入金されなかった[6]

IZAMは、大久保のレコーディング・スタジオで偶然会ったヒップランドミュージックの関係者を、LUNA SEAの所属事務所であったスウィートチャイルドの関係者であると勘違いし、デモテープを渡した。後日IZAMが電話をかけると、ヒップランドミュージックはSHAZNAに興味を持ったと述べ、メンバー一人につき月給5万円での契約を提示した。数百万円もの借金の返済が待ち構えていたSHAZNAにとってその契約条件は極めて厳しいものであったが、この好機を逃せば後はないと考えたSHAZNAは、その条件を一旦は了承した。結果としてインディーズ・ミニアルバムの『Raspberry Time』がヒップランドミュージックよりバップの流通で発売され、音楽専門誌『Vicious』が宣伝に協力することとなった。また『Raspberry Time』を最後に、KATSURAがSHAZNAから脱退した。

同時期に、正真正銘スウィートチャイルドにて代表取締役を務めていた阪上(さかのうえ)正敏が、目黒鹿鳴館に掲示されていた『Melty Case』のポスターの鮮烈なヴィジュアルに目を見張った。阪上は目黒鹿鳴館の店長に話を聞き、そのバンドがSHAZNAであり、音楽専門誌『SHOXX』にも出稿していたとの情報を得た。阪上はSHOXXの編集長であった星子誠一に電話してIZAMのポケベル番号を聞き出し、SHAZNAのCDも聴いたうえで、彼らを呼び出した。その席上で、阪上はメンバー一人につき月給20万円での契約を提示し、数時間をかけてSHAZNAを口説き落とした。結果として、『Raspberry Time』は引き続きそのままヒップランドミュージックからレーベルとしてリリースしてもらうものの、SHAZNAの所属事務所はスウィートチャイルドになるということで話がまとまった。
SHAZNA現象に3億円

スウィートチャイルドは、SHAZNAのインディーズ・ミニアルバム『Promise Eve』を1997年1月に発売し、同年6月にはVHSビデオ『Lavender Color?シャズナノキモチ』を発売した。ビデオは、オリコンチャート第1位を獲得した。スウィートチャイルドはSHAZNAのメジャーデビューへ向けて着々と手はずを整えていったが、肝心のレコード会社にはどこからも興味を示してはもらえなかった。スウィートチャイルドは今ここで「SHAZNA現象」を作り出しておかなければヒットはおぼつかないとの経営判断から、LUNA SEAの売り上げを元手に、3億円もの広告出稿費を拠出した。あらゆる雑誌の表紙と裏表紙にIZAMの顔が掲載され、原宿は一面IZAMで埋め尽くされた。そこまでしてもなお、手を挙げるレコード会社は現れなかった。

そこで、それまでSHAZNAを応援してきたテレビ朝日の深夜音楽番組「Break Out」の制作会社であるテレビ朝日ミュージック音楽出版社として名乗り出た。テレビ朝日ミュージックはスウィートチャイルドとともに音楽著作権原盤権を半分ずつ持ち合い、当時は(メジャーレーベル基準では)シングルで300万円、アルバムともなれば1,000万円にも及んでいた原盤制作費の半額を出資するという大胆な決断を下した。これは、レコード会社にとっては巨額な原盤制作費を自ら負担する必要がなくなったということを意味した。その分、レコード会社は原盤印税を原盤権者に多く支払わなければならなくなってしまうが、万が一アーティストが売れなかったときの損失も少なくて済む。この構図にて、テレビ朝日ミュージックの営業努力により(アルバム一枚のワンショット契約ではあったが)BMG JAPANがSHAZNAのレコード会社となることが決まり、メジャーデビューへの道筋がようやく整った。
メジャーデビュー

1997年8月27日、新たにレコーディングした代表曲「Melty Love」を表題作としたCDシングル『Melty Love』でBMG JAPANからメジャーデビューを果たし、同曲は88万枚のヒットを記録した[5]。同年、一風堂の『すみれ September Love』をカバーし、こちらも65万枚を超えるヒットを記録した[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef