SHAZNA
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同年、一風堂の『すみれ September Love』をカバーし、こちらも65万枚を超えるヒットを記録した[7]。また、この年の日本有線大賞最優秀新人賞を受賞。1998年にリリースした1枚目のフルアルバム『GOLD SUN AND SILVER MOON』はミリオンセラーを記録し、日本ゴールドディスク大賞「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

「SHAZNA現象」とも呼ばれた空前絶後の人気を得た彼らに待ち受けていたのは、1日の睡眠時間が1時間から2時間しかないという常軌を逸した多忙なスケジュールであった[5][8]。特にIZAMはバンドの顔として尋常ではないほどの仕事量を必死にこなしていたが、それでも、所属事務所であるスウィートチャイルドから支給される月給は、メンバー一人につき手取り45万円程度でしかなかった[8]。月給に印税が上乗せされて支給されることもあったが、印税収入はCDの売上枚数に比例して生じるため、安定した収入源とはなりえなかった[8]。他方では、ロック・スターとしての自覚を持った生活を送るようにとスウィートチャイルドから指導されていたため、日常の被服費を始めとして、生活に必要な支出額が飛躍的に高まっていった[8]。加えて、他社のこととはいえ、鈴木亜美が所属事務所から月給300万円を支給されていたことを知ると、「バンドとはいえ、自分たちの給料はその異常な仕事量に比してあまりにも割に合わないのではないか」という実情も見えてきた[8]。また、各関係者の人数が増えていくにつれて、メンバー自身が自己の音楽活動を自律的に指揮することも難しくなっていった[5]

スウィートチャイルドはSHAZNAやIZAMに来た仕事を見境なく引き受けてゆき、一つひとつの仕事がSHAZNAのブランディングにどのような影響を及ぼしうるのかといった品質管理はおざなりにされた[9]。その結果、SHAZNAの人気は徐々に衰えていった[9]。SHAZNAとスウィートチャイルドとの関係は言うまでもなく、メンバー同士の関係性までもが狂い始めた[9]。その悪影響は、2000年の夏に開催を計画していた全国各地でのライブツアーを中止し、東京と大阪でのみの開催に留めるというというかたちで現れてしまった[9]。この危機的な状況に至って、スウィートチャイルドもただ手をこまねいていたわけではなかった。スウィートチャイルドは、日本テレビ放送網のテレビ番組「雷波少年」でSomething ELseが挑み成功した「三人で一部屋にこもり最後のシングルCDを制作し、それがオリコンチャート初登場20位以内に入らなければバンドを解散して、音楽業界以外の職種に転職する」という企画にSHAZNAも挑戦してみてはどうかと提案した[10]。当時は地上波テレビ番組の影響力が極めて大きかったこともあるが、日テレの力を借りるということは、何よりもそれまでにSHAZNAの音楽著作権の利用機会の開発に多大な貢献を果たしてきたテレビ朝日ミュージックとの関係を一方的に断ち、同社の競合である日本テレビ音楽と新たに取引を開始するという不義理を働くことをも意味していた。スウィートチャイルドとしては、SHAZNAの起死回生を懸けた窮余の一手でもあった[10]。しかし、その時点でSHAZNAのスウィートチャイルドに対する信頼関係はほころびかけており、SHAZNAはスウィートチャイルドの提案を前向きに受け入れることがどうしてもできなかった[10]。そして、テレビ番組の企画の一環とはいえ、「解散」の一言をスウィートチャイルド側から聞かされたことが、SHAZNA側にかすかに残っていたスウィートチャイルドに対する信頼の一切を喪失する嚆矢となり、所属事務所を移籍する話へと発展していった[10]
活動休止・再開

『Melty Love』によるメジャーデビューから3年後、2000年10月の東京と大阪でのライブを経て、11月のスウィートチャイルド主催イベントへの参加を最後にSHAZNAは活動休止を発表した。また、それまで所属していたスウィートチャイルドから離籍し、サポート・ドラマーを務めていたそうる透のつてを頼ってオフィスタッチへと移籍した[10]

活動休止後、IZAMはソロ・アーティストや俳優としても活動した。A・O・Iはギタリストとしてのセッション参加や「AOI UNPLUGGED」と題したヴォーカル&アコースティック・ギターでのライヴ活動と「監督:葵圭介」としての映画制作など幅広く活動した。NIYはバンド「FANBLE」のベーシストとして活動した。

なお、SHAZNA活動休止の原因については活動再開後のインタビューにて「バンドとしての活動に行き詰まっていた」とメンバー自身が当時を振り返って告白している。

活動を休止した翌年から、IZAMは他のメンバーに対し早々と活動の再開を持ちかけていたものの、その時点ではメンバー全員の意思が統一されていなかった[11]。しかしメンバーはお互いに定期的に接触を持ち、忘年会は毎年必ず開いていた。2005年の忘年会にてようやくメンバー全員の意思が一致、SHAZNAの今後の意思を尊重してくれるスタッフのみで活動を再開する運びとなった[11]

2006年6月、デビュー9年を期に6年ぶりの活動再開を発表し、IZAMは自身のトレードマークであった女装を「単に飽きてた」のと「髪を短くしていた」ことを理由に封印した[11]。9月の渋谷duo MUSIC EXCHANGEでの復活ライヴで活動を再開。11月にはIZAMとタレントの吉岡美穂の結婚が報道された。IZAMにとっては再婚となる。

2007年4月25日にニュー・シングル『心 c/w [1/2] , 神風』がネット限定発売。「神風」を除く2曲は、ダウンロード、着うたフルでも発売された。5月4日、5日、6日には、東京の目黒鹿鳴館で原点回帰をキーワードにした復帰シングル発売記念のライヴを行った。この3日間はそれぞれ「過去」・「現在」・「未来」と分けられ、一部楽曲を除き各日異なる曲構成となっていた。

2007年8月8日に10周年記念アルバム『10th Melty Life』をロックチッパーレコードより発売した。エンハンスト仕様で、「Melty Love」のラスト・インディーズ・ヴァージョンのPVが収録されている。8月19日には十周年記念公演「Summer Celebration☆10th Melty Life☆」を恵比寿LIQUIDROOMにて開催した。9月5日にはベスト盤『SINGLE BEST SHAZNA & IZAM』を発売した。

2007年11月24日には東京キネマ倶楽部にて「?年納め2007?A O I & NIY's Special Birthday Live?」を行い、IZAMは久しぶりに女装姿で登場し、ファンを沸かせた。

2008年2月、ギタリストA・O・Iが自身のブログにて、女優で作詞家の森本玲との結婚を報告した。
解散

2008年10月、『ホームレス中学生』に因んで題されたメンバーの合同著書、『ホームレスヴィジュアル系』を出版した。元配偶者の浪費によるNIYの離婚、人気絶頂期の意地がバンドの活動停止につながったこと、活動休止後はコンビニのアルバイトで生計を立てていたことなど、それまでの苦労が赤裸々に綴られた[12]

2008年11月、都内での『ホームレスヴィジュアル系』発売記念イベント前にボーカルのIZAMが「初エッセイを発売して、15年間やってきた満足度がある」と切り出し「これを持ってSHAZNAのプロジェクトを完結することになりました」と解散を電撃発表した[13]。各メンバーの今後の活動を尊重しあっての前向きな結論であるとのこと[13]。2009年3月22日に東京・渋谷O-EASTにて、解散ライブを行った[11]
再結成

2017年8月、メジャーデビューから20周年を迎えた事を記念して、新華(しんか)と称して新メンバー3人を含む6人編成で再始動を果たす旨を明かした。また、この時に長年メディア上でヴィジュアル系バンドとされてきたSHAZNAを、ヴォーカル・IZAMが「SHAZNAは『ヴィジュアル系』ではなく、『ヴィジュアルクリエイター』です」と宣言した。同年12月9日には、再結成とデビュー20周年を記念して復活ライブを行った[1][2]

2022年1月19日、BGM JAPAN、東芝EMI時代の楽曲のサブスクが解禁された。

2023年、再結成後から所属していたエースクルー・エンタテインメントを退所。5月頃に公式ページから削除された。

2023年6月8日、公式Twitterを開始[14]

2023年7月23日、SHAZNAライブを開催。(IZAMソロライブ+SHAZNAライブ名義)結成30周年、初心に帰り3人体制で活動再開[15]

2023年11月15日、「テレ東60祭!ミュージックフェスティバル2023」に出演[16][17]。約20年ぶりの歌番組出演となった[18]

2024年3月15日、メンバー自身の手により、新アルバム名と同名の所属事務所を東京都世田谷区に設立した。

2024年4月21日、結成30周年記念ライブ『30th Anniversary With your precious LOVERS ?同窓会からはじめよう?』を東京・日本橋三井ホールにて開催[19]

2024年8月27日、アルバム『参華三釼(さんかみつるぎ)』をイノセント・レコードより発売。
メンバー
IZAM(イザム)
ボーカル担当。1972年[20]4月23日生まれ。本名は日根 良和(ひね よしかず)。身長180cm。父親は国鉄スワローズの投手だった日根紘三。インディーズ時代のバンドネームは「葵翠 -kisui-」「IZANE」「IZAMU」「IZAMU」など活動時期・ミニアルバムの発売ごとに変わり、インディーズラストアルバム『Promise Eve』にて現在の「IZAM」名義となる。A・O・Iとのバンド「alcali-5」では「十六夢(いざむ)」名義で活動。活動中はソロデビュー、俳優としても映画『溺れる魚』や日本テレビのドラマ『三姉妹探偵団』、テレビ朝日のドラマ『TRICK3』にも出演している。


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