SG-1000
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1984年7月[18]FG-2000オセロマルチビジョン FG-2000[18]ツクダオリジナル19,800円[18][注 6]FG-1000から外装などが変更されたもので、オセロゲーム内蔵[18]
本体のジョイスティックがジョイパッドに変更され、2P用外付けジョイパッドも同梱[18]。SK-1100接続可[18]
1983年末頃[21][22][23]SD-G5TV VIDEO GAME PACK SD-G5パイオニア19,800円パイオニアのシステムコンポーネントテレビ「SEED[注 7]」用オプション
1人プレイ専用。SK-1100接続不可。カードキャッチャの使用は可能。RGB映像出力方式

これらは1983年末に発売されたMSXに対抗するために提携したもので、生産販売は提携先メーカーだが開発はセガとの共同開発である[21][25][26]。いずれも、SK-1100等が必要な物を除き、セガ発売のSG-1000/SC-3000シリーズ用ソフトが使用可能。

クローン機では台湾のBit Corporation社よりSG-1000とコレコビジョンの両方のソフトが遊べる「DINA 2-in-1」なども発売された[27]

また、「パソコン学習机」というアーケード筐体が存在した。名前の通り机にモニターが据え付けられたようなデザインで、机部分にSC-3000と同じキーボードとアーケード型ジョイスティックが搭載されており、正面のモニタ横にソフトの切り替えボタンが縦に10個並んでいた。コインを投入すると一定時間(標準設定で10分/100円)、内蔵されているソフトを自由に切り替えてプレイできるというもの。セガ直営店のごく一部の店舗で見ることができた。基板はSG-1000と同等のもので、ソフトも市販のものと全く同じものを使用していた。

これとは別に、SG-1000と同スペックの一般筐体向け業務用基板も少数流通した。この基板ではソフトウェア用としてEPROMが使用されている。
周辺機器

別売の外付けキーボード SK-1100[1]には、SC-3000から省略されたインターフェイスも搭載されており、機能的には同様のものが提供される。ハードウェアとしては入出力周りの実装と、メモリの実装量が異なるため、拡張しても等価になるわけではない。

型番名称備考
ゲームカートリッジ For SC / SGカートリッジのみの販売はない。
C-1000カードキャッチャ[1]マイカードを利用するために発売されたアダプタ。
SA-150ACアダプタ本体に付属。
SS-50RFスイッチボックス本体に付属。
SS-60RFスイッチボックスマークIIIに付属。
RFケーブル本体に付属。
アンテナ整合器本体に付属。
SJ-150ジョイパッド[1]SG-1000IIに付属のコントローラ。
SJ-151ジョイパッドSG-1000IIに付属のコントローラ。ボタン部分がプラスチックになった。
SJ-152ジョイパッドマークIIIに付属のコントローラ。
SJ-200ジョイスティック[1]SG-1000についてるのと同型のもの。
SJ-300ジョイスティック[1]
SH-400ハンドルコントローラ[1]レースゲーム用コントローラ
BH-400バイクハンドルレースゲーム用コントローラ
SK-1100セガ・キーボード[1]SG-1000/1000II用のキーボード
SP-400カラープロッタプリンタセガ・キーボード(SK-1100)の端子につないで使用する。ACアダプタが必要。
SR-1000カセットデータレコーダセガ・キーボード(SK-1100)の端子につないで使用する。
SR-1001カセットデータレコーダ用ACアダプタ
JC100エクステンションケーブルキット本体直付けのジョイスティックを取り外し、交換可能にするキット。

ソフトウェア専用カートリッジ詳細は「SG-1000のゲームタイトル一覧」を参照

ソフトウェアはカートリッジおよびマイカードと呼ばれる名刺型のものが存在する。

グラフィックやサウンドなどの性能は同世代のファミコンに劣るが、『サファリハンティング』や『フリッキー』といったセガがリリースした人気アーケードゲーム作品を自社移植できたことで本体の一定の普及に結び付いた[7]

その一方で、セガはファミコンに対抗すべく、他のアーケードゲームメーカーに声をかけてサードパーティー集めに必死になった。ツクダオリジナルからは「オセロマルチビジョン」用ソフトとして8タイトルが発売され、それらソフトはSG-1000/SC-3000シリーズでも使用可能であることから、セガハード初のサードパーティーとなる。しかしそれ以外のメーカーは他社ハードにソフトを供給しているなどの理由で断られたためなかなか集まらなかった。打開策として、ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)などの他のアーケードゲームメーカーに開発費などを供与した上で、他社が開発したタイトルをセガブランドとして発売したソフトも少なくなかった[3]。パイオニアからは互換ハードのみの発売のみで、独自のソフトは発売されなかった。

後継機のセガ・マークIII発売後もソフトの供給は続き、1987年までソフトが供給された。
反響「コンピュータゲームの歴史」も参照

1983年7月15日に発売[2][4][5][6]。上位機であるSC-3000は、同時期のホビーパソコンであるM5MSXなどとほぼ同等のスペックである[28]。実際、本機のタイトルの大半はMSXに移植の上でポニー(PONYCAブランド)から販売されていた[注 8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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