SEKAI_NO_OWARI
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ボーカル
コーラス
ベース
パーカッション
シンセサイザー
プログラミング
作詞
作曲
Fukase
(フカセ) (1985-10-13) 1985年10月13日(38歳)
東京都大田区ボーカル
ギター
ベース
作詞
作曲
Saori
(サオリ) (1986-08-13) 1986年8月13日(37歳)
大阪府吹田市ピアノ
キーボード
コーラス
アコーディオン
グロッケンシュピール
作詞
作曲
DJ LOVE
(ディージェイ・ラヴ) (1985-08-23) 1985年8月23日(38歳)
東京都大田区DJ
ドラム

略歴
インディーズデビューまで

2000年 - NakajinとFukaseは中学校の同級生だった
[11]。Fukaseの上履きのつま先部分にゆずの絵[注釈 2]が書いてあることに気づいたNakajinが、Fukaseに「ゆず聞くの?」と声をかけた[12]ことをきっかけに、2人は仲良くなっていった[13]。Nakajinがアコースティックギターとハーモニカ、Fukaseは出会った当時ギターを持っていなかったため、タンバリンを持って、2人でゆずのコピーを始める。

2001年 - NakajinとFukaseは別々の高校に進学する。また、高校時代、Fukase、初代DJ LOVE、二代目DJ LOVEの3人でコピーバンドをやっていたが、Fukaseの高校中退と共になくなった[14]。NakajinとFukaseは大晦日に地元の神社で偶然再会する[11]パンク・ロックを聞き始めていた2人は再び意気投合した。

2005年 - NakajinとFukaseが2人でオリジナル楽曲を制作し始める。NOFXランシドなどのパンクロックバンドに影響を受けていたために、初オリジナル楽曲はギターロックにのせてFukaseがシャウトするような内容であった。並行してバンドメンバーを再三募集するが、なかなか定着しなかった。その後、初代DJ LOVEと3人で楽曲を制作していた[14]。「まずは仲間が集まることの出来る場所を借りよう」とFukaseが提案し、場所を探し始める。

2006年 - 印刷工場だった地下空間へたどり着き、ライヴハウス『club EARTH』(東京都大田区)を手作りで設立した。

2007年 - Nakajin(ドラム)、初代DJ LOVE[注釈 3][15](ベース)、Saori(ピアノ)、Fukase(ボーカル・ギター)で、コピー・バンドをやっていた[16]BUMP OF CHICKENの「プラネタリウム」、銀杏BOYZの「銀河鉄道の夜」、the band apartの「星に願いを」、サザンオールスターズの「真夏の果実」などをコピーしていた[17]。ライブハウス『club EARTH』を完成させて約半年後、活動をオリジナル曲の制作の方にシフトしていき[16]、バンド・世界の終わりを結成[15]。自主制作で1000枚限定のデモ・アルバム『sekai NO oWARi』を制作した[18]。ライブハウス『club EARTH』での初ライブをするが、観客は15人であった。この頃、二代目DJ LOVEは、機材の搬入・搬出や、club EARTHでのライブ時にバンドとバンドの合間にDJをしていた[14]

2008年 - 初代DJ LOVEがバンドを脱退[19]。それを受けて、club EARTHのボランティアスタッフをしていたDJ経験のある高校時代の友達にFukaseが「一生のお願いだからバンドに入ってくれ」とバンド勧誘の電話をかけ、ピエロのお面と名前を引き継いだ形で現在のDJ LOVEが加入[19]。ギター、ボーカル、ピアノ、DJという編成でバンドを結成する。二代目DJ LOVE加入後、下北沢で行った初ライブで[19]元のマネージャー宍戸亮太に声をかけられる[20]。二代目DJ LOVEは、加入と共に事務所との契約が決まったことから、メンバーに「福の神」と呼ばれている[20]

2010年 - 2011年:『EARTH』まで

2010年

2月10日 -
Lastrumより期間限定シングル『幻の命[注釈 4]でインディーズデビュー[21]。さらに4月に、アルバム『EARTH』をリリース[22]。重いメッセージ性とポップな音が融合している点が評価され、翌年1月、第3回CDショップ大賞の準大賞を受賞した[23]。また、発売日から同年7月まで、アルバムを引っ提げた全国ツアー『Heart the eartH TOUR』を全国23都市で開催した[24]

11月 - インディーズ・シングル『天使と悪魔/ファンタジー』をリリース[25]。「天使と悪魔」がテレビ朝日系テレビドラマ『霊能力者 小田霧響子の嘘』の主題歌として起用され、初タイアップとなった[26]。翌月にかけて全国ツアー『秋のワンマンツアー2010』を全国11都市で開催した[27]。翌年6月に発売された初のライブ・ビデオ『2010.12.23 SHIBUYA C.C.Lemon Hall』に収録された[28]


2011年 - 2012年:『ENTERTAINMENT』まで

2011年

8月17日 - レーベルを
トイズファクトリーに移し、シングル『INORI』でメジャー・デビュー[29]。バンド名を「SEKAI NO OWARI」に変更した[29]。発売日にラジオ『SCHOOL OF LOCK!』に生出演し、9月から同番組内の「セカオワLOCKS!」に3か月限定でレギュラー出演することを発表[30][31]

10月16日 - 「MINAMI WHEEL」で過去最高入場列を記録[32]。会場であるBIG STEPの最上階4階から地下3階(最下階)へ届き、折り返して地上1階に至るまでとなった[32]

11月 - 初の日本武道館ワンマン公演『SEKAI NO OWARI at 武道館』を開催[33]。チケットは完売し大成功を収めた[33]。翌日、メジャー2枚目シングル『スターライトパレード』をリリース[34]
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