この項目では、企業について説明しています。その他の用法については「セガ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}セガサミーホールディングス > セガ
株式会社セガ
SEGA CORPORATION
本社が入居する住友不動産大崎ガーデンタワー
種類株式会社
市場情報東証1部 7964
株式会社セガ(英: SEGA CORPORATION)は、コンシューマーゲーム、ソーシャルゲームの開発、販売を行う日本の企業。セガサミーホールディングス株式会社の完全子会社。コンピュータエンターテインメント協会・日本アミューズメント産業協会正会員。
かつては家庭用ゲーム機事業、アーケードゲーム事業、ゲームセンターなどのアミューズメント施設事業も行っていた。
なお本項では株式会社セガ・エンタープライゼス、(初代)株式会社セガ、株式会社セガゲームスおよび(旧)株式会社セガネットワークスについても述べる。 セガは創業以来、分社・統合・再編を数度行っている[2]。本節ではその歴史および経営状況について記す。 1951年、レイモンド・ジェイ・レメーヤーとリチャード・ディ・スチュワートにより、ジュークボックスやスロットマシンの輸入会社として日本に「レメーヤー&スチュアート」が創業される。 その後1954年には「サービスゲームズ」と、1957年には「サービスゲームズジャパン株式会社」と改名する。1960年に「サービスゲームズジャパン株式会社」は分社され、機器販売と賃貸を行う「日本娯楽物産」と製造を行う「日本機械製造」という2社が設立される。 そして1965年に日本娯楽物産と「ローゼン・エンタープライゼス」が統合し、「セガ・エンタープライゼス」となる。これ以降社名に使用される「セガ」は、日本娯楽物産が1962年に発売して大ヒットした国産初のジュークボックス「セガ1000」にちなむ。なおこの「セガ」は日本娯楽物産の前身「サービスゲームズジャパン」の「SERVICE GAMES」に由来する。 1984年に大川功率いるCSKが、セガの親会社であったアメリカのガルフ&ウエスタン(過去にパラマウント映画・スタックス・レコードなどを保有した、金融・不動産系コングロマリット)から株式を買収し、CSKグループ入りした。その後、バブル景気到来による娯楽の拡大から業績は堅調に推移し、キョクイチの買収など事業を拡大した。 1997年1月23日、エニックス(現:スクウェア・エニックス)がPlayStation用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作発表を行った同日に、セガとバンダイは「1997年10月1日付でバンダイ(現在はナムコと経営統合し バンダイナムコホールディングスの一部)と合併し、新社名をセガバンダイとする」と発表したが後に合意を解消する[注釈 1]。 セガバンダイの破談後、大川功CSK代表取締役会長がセガ代表取締役会長にも就任(兼任)したことで実効的に経営参画し、CSKとセガ、アスキー(後のメディアリーヴス)、大川功個人の4者間で株式の持ち合いを強化した。また、1998年に中興の祖であった中山隼雄代表取締役社長が退任し、後任には本田技研工業出身の入交昭一郎副社長が昇格した。 1998年11月に社運を賭けて発売したドリームキャストがPlayStationの牙城を崩すことはできず売上不振が続いた事で、2000年3月期まで3期連続で約350-430億円の赤字を計上する[注釈 2]。1999年に海外でも発売し好調な売れ行きを見せたが、PlayStation 2の登場により2000年後半以降全世界で売上が失速する。 1999年5月27日、自社ソフトを他社の携帯ゲーム機に提供するためのライセンシー契約を結ぶ方針を決定した。対象ハードは「ゲームボーイカラー」「ワンダースワン」「ネオジオポケット」の3機種[3]。 2000年6月に入交昭一郎代表取締役社長が同副社長に降格、秋元康が社外取締役を退任し、大川功会長が代表取締役社長を兼務する役員体制とした。同時にアーケードゲーム製造事業も不採算事業となり、2000年12月にアーケード機器最終組立工場であった矢口事業所(千葉県印旛郡栄町)を閉鎖し(現在はセガ・ロジスティクスサービス矢口事業所として存続)、アーケード機器組立を外注化した。また、アミューズメント施設事業を地域5社へ分社化(後にセガ アミューズメントへ統合)し、全国各地にあった支店・営業所・出張所[4][5]を段階的に閉鎖した。 2001年1月31日、経営再建策「構造改革プラン」として、家庭用ゲーム機ハード事業(ドリームキャスト)からの撤退と他社家庭用ゲーム機プラットフォームへのソフト供給が香山哲最高執行責任者によって発表される。これによって約815億円の特別損失を計上し、経営破綻寸前に陥った。しかし翌日に大川功が約850億円の私財寄付という形で損失補填を表明したことで経営危機は回避されたが(2001年3月期決算は家庭用ゲーム機ハード事業撤退にかかわる費用を計上したため約520億円の赤字[6])、大川功は同年3月に心不全のため逝去。この経営再建策から2002年3月期以降、業績は回復基調へ移ったが、株式の無配は2004年3月期まで続くことになる。 2003年2月13日にセガはパチスロメーカーのサミーとの経営統合を発表。これは当時CSK社長の青園雅紘主導で纏められた[注釈 3][注釈 4]。 2003年12月、当初発表通りサミーがCSKの保有するセガ株22.4%を453億3400万円で買収し筆頭株主となり、セガは事実上サミーの傘下に入った。また2004年10月1日付けで事業持株会社 セガサミーホールディングス(セガサミーHD)を設立し、セガはサミーと共にセガサミーHDの100%子会社となり経営統合した。 セガサミーホールディングスは、2014年5月9日にグループ各事業の収益構造を見直し、かつ成長分野への経営資源投入を可能とすることを目的として、「グループ構造改革本部」を設置。2014年9月30日にセガの資本金を600億円から1億円に減資した。 2014年10月31日にグループをエンタテインメントコンテンツ事業・遊技機事業・リゾート事業の3事業グループへ再編する、収益性の抜本的改善の取り組み、セガ構造改革担当に関する人事の3点を発表。 2015年1月30日にソーシャルゲーム並びにオンラインゲームを成長分野として位置づける一方で、2014年3月期決算で営業損益の約7割を占め、2015年3月期も赤字予想となっていたアーケードゲーム事業を中心に製品ラインナップの絞り込みや、一部サービスから撤退すること、約120人の希望退職を募集すること、海外事業の合理化を柱にしたセガにおける構造改革を発表[7]。 同年2月12日にセガグループをコンシューマ事業、アミューズメント事業、TOY・映像事業、アミューズメント施設事業の4事業に再編し、同年4月1日付でセガをセガネットワークスを吸収合併した上で「セガゲームス」へ商号変更し、中間持株会社であるセガホールディングス(後のセガグループ)、アーケードゲームを手掛ける新会社となるセガ・インタラクティブ、ジョイポリスやOrbi Yokohamaの運営を行う新会社となるセガ・ライブクリエイション(後のCAセガジョイポリス)の3社をセガから新設分割で設立することを発表[8][9][10][11][12]。 同年3月26日にセガが経済産業省に提出していた産業競争力強化法に基づく事業再編計画が経済産業省から認定され、セガ本体は同年4月1日付でコンシューマーゲーム事業並びにソーシャルゲーム事業のみを行う会社となり、同じくコンシューマーゲームおよびソーシャルゲーム事業を手掛けているサミーネットワークス、セガゲームスの子会社となったアトラス共々セガグループのコンシューマ事業に組み入れられた。知育エンターテインメントサービスであるテレビーナ、セガ公式コミュニティであるit-tells(いってる)、コンピュータエンターテインメント協会会員もセガゲームスがそれぞれ承継した[13]。 同時に、子会社管理などのコーポレート部門、IP(知的財産権)管理部門、ITインフラ部門をセガホールディングスへ、日本娯楽物産時代から手掛けていたアーケードゲーム事業やそれに付帯する事業をセガ・インタラクティブへ、ジョイポリスやOrbi Yokohamaなどのエンタテイメントパーク事業の一部をセガ・ライブクリエイションへ同年4月1日付でそれぞれ承継させた。セガが加盟していた日本アミューズメントマシン協会の各事業部会員に関しても、AMマシン事業部はセガ・インタラクティブ(サミーとセガ・ロジスティクスサービスも加盟)が、SC施設事業部はセガ エンタテインメント(後のGENDA GiGO Entertainment)が、遊園施設事業部はセガ・ライブクリエイションがそれぞれ承継した。 これに伴い、セガゲームス、セガ・インタラクティブ(2社共前身のセガが開発したタイトルも含む)、サミーが開発したゲームのIP(知的財産権)やソニック・ザ・ヘッジホッグなどのセガのキャラクターの版権、セガ羽田1号館・2号館などの不動産はセガホールディングスが保有することになった他、セガゲームス並びに、セガ・インタラクティブやセガ エンタテインメント、サミーネットワークス、セガ・ロジスティクスサービスなどは、セガサミーホールディングスの連結子会社となったセガ・ライブクリエイションを除き、セガから新設分割で設立されたセガホールディングスの子会社もしくは孫会社となった[8][9][10][11][12]。 セガゲームスは従来からの家庭用ゲームやPCゲームを手掛けるコンシューマ・オンラインカンパニーと、旧セガネットワークスが行ってきたスマートフォンやタブレット端末向けコンテンツ配信を行うセガネットワークス カンパニーの社内カンパニー制を当初は採用していたが、2017年4月1日付で社内カンパニー制は廃止されたと同時に、セガネットワークスの名称も消滅した。但し、セガ第一研究開発本部が開発を担当していた『チェインクロニクル』シリーズ、『封印勇者!マイン島と空の迷宮』、セガ第二研究開発本部が開発を担当していた『セガNET麻雀 MJ』の開発は、セガ・インタラクティブの研究・開発組織となったセガ・インタラクティブ第一研究開発本部並びにセガ・インタラクティブ第二研究開発本部が引き続き行う他、『UFOキャッチャー』などセガ・インタラクティブへ製造・販売が移管された一部製品の商標権はこれまで通りセガゲームスが保有する。 セガホールディングス設立後から行われている事業再編計画により、セガホールディングスが保有していたインデックス(後のiXIT)全株式は澤田ホールディングスへ譲渡され、セガサミーグループであるサミーネットワークスはエンタテインメントコンテンツ事業から遊技機事業へセグメントが変更されたと同時に、セガホールディングスが保有していたサミーネットワークス全株式はサミーへ譲渡された。
歴史
サミーとの経営統合
セガグループ再編
Size:253 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef