SMS S90は、1899年に進水したドイツ帝国海軍の水雷艇である。他国の水雷艇駆逐艦に相当する大型の水雷艇としては初のドイツ国産艦で、同型艦・準同型艦多数が建造された。第一次世界大戦中の1914年10月に青島の戦いで、日本の巡洋艦「高千穂」を撃沈した後に自沈した。 19世紀末、ドイツ帝国海軍(以下「ドイツ海軍」)は、魚雷を主兵装とする小型艇として国産の水雷艇(排水量は200トン未満)を配備していたが、そのうちの一部は通常の水雷艇よりも2-3倍ほど大型の司令艇(ドイツ語: Divisionsboot)仕様であった[3]。他方、1894年にイギリスで従来の水雷艇よりも航洋性を向上させた新艦種の水雷艇駆逐艦(後の駆逐艦)が開発されて各国に広まると、ドイツ海軍も1896年にイギリスのソーニクロフト社製のA級水雷艇駆逐艦(27ノット型)の改良艦1隻を、水雷艇D10
目次
1 建造
2 運用
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
建造
S90は排水量310[2]-388トンとD10(365トン)とほぼ同規模で、D9(451トン)よりは若干軽い[3]。艦形は艦首楼を有し、その後方の一段低くなった甲板に艦橋と2本の煙突が立っている。最高速力は27ノット。兵装は50mm単装砲3基と魚雷発射管3基で、魚雷は艦首楼と艦橋の間に挟まれた位置に配置されていた[3]。他国の水雷艇駆逐艦に比べると速力は速くなく砲火力も劣るが、頑丈で航洋性に優れた設計であった[3]。
その後、S91からS101までの同型艦のほか、1905年までにS102からS107、G108からG113、S114からS131(うちS125はタービン機関搭載)の改良型が量産され[3]、これらをS90級水雷艇(英語版)と総称することもある。
運用 中国沿岸に停泊中のS90(1900年頃)
1914年の第一次世界大戦勃発時には、S90は、東洋艦隊に属して膠州湾租借地に駐留していた。東洋艦隊主力が洋上脱出後も、S90は水雷艇「タークー」や砲艦群とともに青島に残った。日本・イギリス連合軍が来攻して青島の戦いが始まると、海上封鎖する日英艦隊と交戦した。同年10月17日夜にS90は荒波の港外に出撃し、翌10月18日0時に輸送任務中の日本の防護巡洋艦「高千穂」を発見すると至近距離から雷撃を加えて撃沈した[1]。S90は追撃を逃れて航行を続け、同日夕刻に海岸に自ら擱座・自爆して、乗員は中立国の中国警察に拘束された[1]。 ウィキメディア・コモンズには、S90 (水雷艇)
脚注^ a b c d 三野(2004年)、255頁。
^ a b c 石橋(2000年)、69頁。
^ a b c d e f g Gardiner (1979) , p. 264-265.
参考文献
石橋孝夫『艦艇学入門―軍艦のルーツ徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2000年。
三野正洋、古清水政夫『死闘の海―第一次世界大戦海戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年。
Gardiner, Robert, ed (1979). Conway's All the World's Fighting Ships, 1860-1905. London: Conway Maritime Press.
関連項目
ドイツ海軍艦艇一覧
グロース・トルピードボート
E級駆逐艦 (初代) - S90級水雷艇に対抗してイギリス海軍が建造した船首楼型駆逐艦
更新日時:2019年4月30日(火)02:38
取得日時:2020/01/13 14:53