この項目では、アイドルグループについて説明しています。その他の用法については「SES」をご覧ください。
S.E.S.
基本情報
出身地 韓国
ジャンルK-POP、J-POP
活動期間1997年 - 2002年、2016年 - 2017年
レーベルキングレコード
S.E.S.[1](エスイーエス)は、韓国の女性3人組アイドルグループ。韓国アイドル第1世代。1997年11月にデビューし、SMエンタテインメントとの専属契約満了となった2002年末に解散した。 韓国芸能界で本格的・継続的に成功した初の女性アイドルグループである。彼女たちの成功に刺激され、Fin.K.L(ピンクル)、Baby V.O.X、Sugar、Jewelry等が続々とデビューした。韓国経済危機最中の1998年には海外からの観光客誘致を呼びかけるCMに出演し金大中大統領(当時)と共演した。 1998年10月、バップから「めぐりあう世界」をリリースし日本デビュー。 メンバーのシューは神奈川県出身の在日韓国人3世で日本語ネイティブのため、日韓両国でV6とデュエット曲「One」を発表、またV6メンバーの井ノ原快彦主演の舞台「東亜悲恋」やデジタルフォトドラマ「NO KISS」にも出演した(井ノ原もS.E.S.の楽曲「Just A Feeling」のミュージックビデオに出演し、3人とダンスパフォーマンスで共演した[2])。所属事務所だったSMエンタテインメントは彼女達の日本での活動経験を踏まえてBoA、東方神起、少女時代などを次々と日本に進出させ、今日のK-POPブームの礎を築いた。ユジンはアメリカ・グアム出身、シューは日本出身の在日韓国人というように、海外進出を視野に入れて帰国子女をメンバーに入れる手法はSMだけでなく他事務所のアイドルグループでも踏襲されている。 S.E.S解散後、パダはミュージカル俳優とソロ歌手、ユジンは俳優、シューはテレビタレント、ミュージカルを中心に活動してきた。 2016年11月には、再結成が発表された。これは、翌2017年でS.E.Sが結成(デビュー)20周年を迎える節目の年であることを機に実現した。デビュー20周年記念プロジェクト「REMEMBER」では、収益の20%を社会貢献事業に寄付する旨も発表された[3]。2016年12月30、31日、世宗(セジョン)大学の太陽(テヤン)ホールで単独コンサート「Remember, the day」を開催[4]。このチケットは、予約開始からわずか2分で完売した[5]。 タイトル発売日販売量レーベル
グループ名は、メンバーの芸名であるSea(「パダ」とは朝鮮語で「海」の意。)、Eugene(ユジン)、Shoo(シュー)の頭文字から取ったもの。
メンバー
パダ(英語版)(Sea/Bada, ?? 本名:???、崔盛希、チェ・ソンヒ) (1980-02-28) 1980年2月28日(44歳)。血液型AB型。既婚。韓国全羅南道莞島郡出身。メインボーカル。
ユジン(Eugene, ?? 本名:???、金楢真、キム・ユジン) (1981-03-03) 1981年3月3日(43歳)。血液型A型。既婚。二女の母。
シュー(英語版)(Shoo, ? 本名:???、柳水永、ユ・スヨン) (1981-10-23) 1981年10月23日(42歳)。血液型A型。既婚。一男二女の母。在日韓国人で14歳まで横浜市で育った。
概要
2000年5月、エイベックスに移籍。『週刊少年マガジン』など少年誌のグラビア掲載や「THE夜もヒッパレ」や「恋ボーイ恋ガール」などにも出演していたが、当時はまだ韓流ブームが起きる前で韓国芸能に対する関心が低かったためにセールス的には不本意な結果に終わった。
エピソード
ファンクラブおよびファンの総称は「Friends」。公式応援カラーと応援用風船の色は紫[6]。
S.E.S.の所属事務所だったSMエンタテインメントの創業者兼オーナーであるイ・スマンは当初、同事務所所属の男性グループH.O.T.を日本でデビューさせるつもりだったが、当時の韓国では兵役未了の男性が海外を頻繁に行き来することは難しかったため断念し、代わりにS.E.S.が日本進出第一号になった。
S.E.S.の日本進出が失敗に終わったため、イ・スマンは日本ではヒットさせるまでに時間が掛かることを痛感し、その期間を逆算して次はもっと若い歌手を送り込もうと社運を賭けたプロジェクトを起こし、その結果BoAの日本進出成功につながった。少女時代の日本デビューでは、SMはS.E.S.の失敗を教訓として、曲選びからデビューイベントの内容、時期まで慎重に吟味したという[7]。
日本では大きな人気を集めなかったが、台湾で人気を集めた。
デビュー前は、中国語も話せるソイ
日本の芸能マスコミでは、S.E.Sを当時の日本の人気アイドルグループ「SPEED」になぞらえ、「韓国のSPEED」として紹介することが多かった[12]。
「めぐりあう世界」「夢をかさねて」「(愛)という名の誇り」などの作曲を島野聡が手がけた関係で、同じく彼の作であるMISIA「つつみ込むように…」を韓国でカヴァーしたこともある(第4集「A letter from Greenland」収録、韓国でのタイトルは『Show me your love』)。
1999年頃、メンバー全員が頭を金髪にしたために、韓国KBS放送から出演禁止に指定された事があった。KBSは公営放送であることから、芸能人は若者に多大な影響力を持つため、模範的な外見であることを当時は要求していたからである[13]。
2001年には帰国子女のユジンと在日韓国人のシュー、同じく帰国子女の神話のエンディが通学していた外国人学校が韓国の大検資格を有していなかったことが発覚。ユジンは既に入学し一年通った高麗大学の、シューとエンディは合格したばかりの韓国外国語大学の入学取消という騒動もあった。合格の経緯が特殊才能保有者試験という特別枠だったため、その点でも世間の批判にさらされた[14]。
韓国の大手芸能事務所の一つであるDSPメディア(旧・テソン企画)は、SMエンタテインメント所属のS.E.Sに対抗する形で、女性4人組Fin.K.L(ピンクル)をデビューさせたが、その後もSMの東方神起に対するDSPのSS501、SMの少女時代に対するDSPのKARAといった形で両社の競合関係が続くことになる。
ユジンはデビュー当時から“韓国のオリビア・ハッセー”の愛称がつく美貌で人気が高く、現在でもMnet「ゲット・イット・ビューティー」の初代MCを務めるなど、ビューティ・アイコンとして認知されている。2000年代初頭というアイドルが女優に転身する例は殆ど無かった時代に、アイドルから女優へ転身し成功した1人である。現在もテレビドラマを中心に女優としての活動をメインにしている。
シューは2010年のインタビューで、S.E.S.時代を「華やかなとき」と表現し「当時は本当にたくさん仕事をしましたが、振り返ってみるとからっぽでした。そのときにわたしが持っていたのは、人気、ファンなど、永遠のものではなかったんですから。ですが日本でミュージカルに出演し、その状況をちゃんと乗り越え、今はとても心に余裕が出てきたので、華やかなときに戻れと言われても、そうしたいとは思いません」とコメントしている[15]。
2010年4月、シューがプロバスケット選手イム・ヒョソン(朝鮮語版)(仁川電子ランド)と結婚[16]。結婚式では元メンバー3人全員が集まったことで、「S.E.Sのプチ再結成」として話題になった[17]。同年6月23日午前2時30分に、ソウル・江南の病院で男の子を出産した[18]。
2011年7月には、ユジンが俳優のキ・テヨン(英語版)と結婚した。この2人が知り合ったのは、MBCドラマ「恋人づくり」の共演したのがきっかけである[19]。7月23日に京畿道安養のソウル中央教会で行われた結婚式には、元S.E.S.メンバーだけでなく多くの芸能人も出席した。
パダは、ミュージカル「美女はつらいの」に2008年から主演(カン・ハンビョル役)を務めていて、数々の賞を受賞した。2011年10月8日?11月6日に日本・大阪松竹座で行われた公演では、KARAのギュリと共にダブルキャストで主演を務めた。『朝日新聞』2011年10月8日付夕刊で、パダはギュリと共にインタビューに応じたが、パダはS.E.S時代について、「当時、韓国のアイドルが日本のテレビに出るなんて大変だったし、どちらの国でも奇異の目で見られた。」「誰もいなかった時代に頑張った経験は自信になっている」と振り返った。ギュリは、「先に道を切り開いた人のおかげ、感謝している」と語った。ちなみに、パダとギュリは、同じく安養(アニャン)芸術高校(朝鮮語版)の出身で、専攻も同じく演劇である。
2017年3月、パダが9歳年下の一般人(実業家)と結婚。全員が既婚者となった。
ディスコグラフィー
韓国盤
アルバム
1集I'm Your Girl
2集Sea & Eugene & Shoo1998年11月23日651,331枚シンナラレコード1998年 年間 21位 楽曲「
Dreams Come True(英語版)」収録 タイトル発売日レーベル タイトル発売日オリコン
3集Love(英語版)1999年10月29日770,475枚WaWa Entertainment1999年 年間 4位
4集A Letter from Greenland(英語版)2000年12月23日645,713枚IK-Pop2000年 年間 16位
4.5集Surprise(朝鮮語版)2001年7月11日357,896枚IK-Pop2001年 年間 16位
5集Choose My Life-U(英語版)2002年2月14日406,528枚IK-Pop2002年 年間 11位
5.5集FRIEND(朝鮮語版)2002年11月21日94,654枚IK-Pop2002年 年間 66位
20周年記念Remember(英語版)2017年1月2日6,373枚IRIVER
VCD,VHS
VCD,VHSDreams Come True1999年9月18日Sego Entertainment
VCDSES nCD1999年12月23日Palette Music
VHS2000 SES First Concert2000年6月16日Sego Entertainment
VCD2000 SES First Concert2000年6月23日Sego Entertainment
日本盤
VAP
シングル
最高順位販売量タイアップ
1stめぐりあう世界
RemixI'm Your Girl(英語版)1998年12月10日82位3,090枚
2nd夢をかさねて(朝鮮語版)1999年2月21日83位2,470枚フジテレビ系「そう快!ヒデタミン」エンディングテーマ
3rd(愛)という名の誇り(朝鮮語版)1999年6月23日60位8,930枚フジテレビ系「恋ボーイ恋ガール」エンディングテーマ
4thT.O.P (Twinkling of Paradise)(朝鮮語版)1999年10月27日56位4,840枚
5th Sign of Love/Miracle(朝鮮語版)1999年12月8日78位3,280枚日本テレビ系「第78回全国高校サッカー選手権大会」イメージソング
日本テレビ系「TVおじゃマンボウ」エンディングテーマ タイトル発売日オリコン タイトル発売日 タイトル発売日 タイトル発売日
6thLove ?いつまでもオンジェ・カジナ?(朝鮮語版)2000年4月21日100位2,030枚日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
7th海のオーロラ(朝鮮語版)2000年7月21日??映画「The AURORA 海のオーロラ」主題歌
8thLovin' You(朝鮮語版)2000年8月2日??日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
アルバム
最高順位販売量
1集Reach Out
ベストPrime -S.E.S The Best-2000年3月15日64位3,750枚
2集Be Ever Wonderful(英語版) 2000年5月24日93位2,860枚
ベストHERE & THERE - S.E.S Single Collection2001年3月16日??
DVD,VHS
PV集S.E.S VIDEO CLIPS2000年8月23日
avex
アルバム
4集A letter from Greenland2001年6月12日
1集SES2001年8月22日
2集SES22001年8月22日
3集SES3 Love2001年8月22日
5集Choose My Life - U2002年5月2日
ベストBEST2002年7月10日
ベストBEAUTIFUL SONGS2003年6月25日
DVD
PV集BRILLIANT CLIPS2003年6月25日
出演
テレビ
レギュラー
DAIBAッテキ!! (フジテレビ)
恋ボーイ恋ガール (フジテレビ)
音楽番組
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP (フジテレビ) - 1998年12月7日、1999年2月22日、7月12日
MUSIC STATION (テレビ朝日)- 2002年6月21日 (V6 with Shoo)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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