S盤とは、日本ビクター(現:JVCケンウッド)の音楽レコード事業部(現:ビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)のSP盤洋楽レコードレーベルの略称[注 1]で、当時発売された洋楽の新譜を帆足まり子(当時は日本ビクターの社員、放送途中で退社してフリー)のディスクジョッキーで紹介するというものであった。
概要
オープニング曲はペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」、エンディング曲はラルフ・フラナガン
番組開始(1952年4月)時点[2]放送局曜日放送時間備考
文化放送水21:45-22:00[1]
信濃放送[注 4]
中部日本放送[注 5]
新日本放送[注 6]
神戸放送[注 7]
1954年2月時点[注 8]放送局曜日放送時間備考
文化放送水21:30 - 22:00
ラジオ青森[注 9]土20:30 - 21:00
東北放送金21:30 - 22:00
山形放送月20:00 - 20:30
ラジオ福島水20:00 - 20:30
信越放送日20:00 - 20:30
ラジオ新潟[注 10]水21:00 - 21:30
北日本放送日22:25 - 22:55
北陸放送日22:25 - 22:55
福井放送日22:25 - 22:55
中部日本放送月21:30 - 22:00
朝日放送[注 11]日22:00 - 22:30
神戸放送月19:15 - 19:45
山陽放送木20:00 - 20:30
ラジオ中国[注 12]木20:00 - 20:30
四国放送日21:00 - 21:30
南海放送金21:00 - 21:30
ラジオ九州[注 13]金22:15 - 22:45
ラジオ長崎[注 14]木19:30 - 20:00
エピソード
日本ビクターのプロデューサーである小藤武門が最初に企画をラジオ東京に持ち込んだが断られたため、文化放送に持ち込んで採用された経緯がある[7]。
番組立ち上げの段階でビクターの別の関係者がビクターの専属歌手としてデビューしたばかりの宮城まり子をディスクジョッキーとして推薦した。宮城本人もやる気満々であったが、「歌手である彼女にそんな事をさせるなんて如何なものか?」「歌手とディスクジョッキーなんて、両立できるはずがない」とビクターの社内からの懸念の声が挙がった為、プロデューサーである小藤が当時、入社3年目のビクター社員で”まりこ”繋がりの帆足まり子を推薦した。ちなみに彼女がナレーターを務めたビクター製品の宣伝コマーシャルのテープを聞いて「これだ!」と起用を決めたとのこと[8][9]。
注釈^ なお、45回転EP盤(ドーナツ盤)では「SS盤」と呼ばれていた。
^ 放送開始当初は挨拶の前に犬が吠える声が流れていた。その録音には丸一日を要したと言う。
^ 同じ日本ビクター提供のラジオ番組「ビクターアワー」、「ワンワン・タイム」も同様。
^ 番組開始直後の同年(1952年)4月30日に、現在の信越放送に社名を変更。
^ 現:CBCラジオ