S盤アワー
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『S盤アワー』(エスばんアワー)は、日本文化放送協会(現・文化放送)が、開局直後の1952年4月2日[1][2]から1969年10月1日[1]までの間に放送された、音楽ラジオ番組である。
S盤について

S盤とは、日本ビクター(現:JVCケンウッド)の音楽レコード事業部(現:ビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)のSP盤洋楽レコードレーベルの略称[注 1]で、当時発売された洋楽の新譜を帆足まり子(当時は日本ビクターの社員、放送途中で退社してフリー)のディスクジョッキーで紹介するというものであった。
概要

オープニング曲は
ペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」、エンディング曲はラルフ・フラナガン楽団の「唄う風」である。冒頭のあいさつは「犬のマークでおなじみの日本ビクターがお送りする、ニュースタイルの軽音楽プロ、S盤アワーの時間がやってまいりました」[注 2][3]

放送開始当初は15分番組であったが、1952年7月放送分より20分番組に拡大され、さらに同年11月放送分より30分番組に再び拡大された[4]

番組収録は四谷の文化放送旧社屋ではなく、東京・築地聖路加病院前にあったビクター築地スタジオで行われていた[注 3][5]

また、放送で使われている音源はレコード盤ではなく、RCAから空輸されたカッティング用のマスターテープを使用しており、ノイズもない生演奏に近い雰囲気を心がけている[5]

スタッフ

プロデューサー:小藤武門(中原ひろと)

放送局および放送時間

番組開始(1952年4月)時点[2]放送局曜日放送時間備考
文化放送水21:45-22:00[1]
信濃放送[注 4]
中部日本放送[注 5]
新日本放送[注 6]
神戸放送[注 7]

1954年2月時点[注 8]放送局曜日放送時間備考
文化放送水21:30 - 22:00
ラジオ青森[注 9]土20:30 - 21:00
東北放送金21:30 - 22:00
山形放送月20:00 - 20:30
ラジオ福島水20:00 - 20:30
信越放送日20:00 - 20:30
ラジオ新潟[注 10]水21:00 - 21:30
北日本放送日22:25 - 22:55
北陸放送日22:25 - 22:55
福井放送日22:25 - 22:55
中部日本放送月21:30 - 22:00
朝日放送[注 11]日22:00 - 22:30
神戸放送月19:15 - 19:45
山陽放送木20:00 - 20:30
ラジオ中国[注 12]木20:00 - 20:30
四国放送日21:00 - 21:30
南海放送金21:00 - 21:30
ラジオ九州[注 13]金22:15 - 22:45
ラジオ長崎[注 14]木19:30 - 20:00

エピソード

日本ビクターのプロデューサーである小藤武門
が最初に企画をラジオ東京に持ち込んだが断られたため、文化放送に持ち込んで採用された経緯がある[7]

番組立ち上げの段階でビクターの別の関係者がビクターの専属歌手としてデビューしたばかりの宮城まり子をディスクジョッキーとして推薦した。宮城本人もやる気満々であったが、「歌手である彼女にそんな事をさせるなんて如何なものか?」「歌手とディスクジョッキーなんて、両立できるはずがない」とビクターの社内からの懸念の声が挙がった為、プロデューサーである小藤が当時、入社3年目のビクター社員で”まりこ”繋がりの帆足まり子を推薦した。ちなみに彼女がナレーターを務めたビクター製品の宣伝コマーシャルのテープを聞いて「これだ!」と起用を決めたとのこと[8][9]

注釈^ なお、45回転EP盤(ドーナツ盤)では「SS盤」と呼ばれていた。
^ 放送開始当初は挨拶の前に犬が吠える声が流れていた。その録音には丸一日を要したと言う。
^ 同じ日本ビクター提供のラジオ番組「ビクターアワー」、「ワンワン・タイム」も同様。
^ 番組開始直後の同年(1952年)4月30日に、現在の信越放送に社名を変更。
^ 現:CBCラジオ
^ 現:MBSラジオ
^ 現:ラジオ関西
^ ジャズ雑誌「スイングジャーナル」1954年2月号 日本ビクター広告[6]による。
^ 現:青森放送
^ 現:新潟放送
^ 現:朝日放送ラジオ
^ 現:中国放送
^ 現:RKB毎日放送
^ 現:長崎放送

出典^ a b c “70年前に文化放送の苦境を救った伝説番組『S盤アワー解体新書』3月28日(火)午後5時45分から放送”. 文化放送 (2023年3月14日). 2024年2月22日閲覧。
^ a b 日本ビクター株式会社50年史編集委員会 編『日本ビクター50年史』日本ビクター、1978年8月、289頁。NDLJP:11954088/154。 
^ 小藤武門『S盤アワー わが青春のポップス』アドパックセンター、1982年9月20日、66頁。


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