公共株式会社S・V・イリユーシン記念航空複合体
Публичное акционерное общество ≪Авиационный комплекс имени С. В. Ильюшина≫
種類公共株式会社
略称イリューシン
Il
本社所在地 ロシア連邦
モスクワ
設立1933年1月13日
業種輸送用機器
事業内容航空機
主要株主(間接的には統一航空機製造会社)
UAC-TA 81.07%
主要子会社VASO
公共株式会社S・V・イリユーシン記念航空複合体(ロシア語: ПАО ≪Авиационный комплекс имени С.В. Ильюшина≫、ペーアーオー・アヴィアツィオーンヌィイ・コームプリェクス・イーミェニ・セルギェーヤ・ヴァスィーリイェヴィチャ・イリユーシナ)は、ロシア連邦の航空機製造会社。セルゲイ・イリューシン(1894年3月30日 - 1977年2月9日)によって創設された。ソ連時代には同国を代表する航空機設計局の1つで、S・V・イリユーシン記念試作設計局(ОКБ имени С.В. Ильюшина≫、オーカーベー・イーミェニ・セルギェーヤ・ヴァスィーリイェヴィチャ・イリユーシナ)と称した。その為、日本語文献ではイリューシン設計局の通称で知られていた。旧称は公開株式会社S・V・イリユーシン記念航空複合体(ОАО ≪Авиационный комплекс имени С.В. Ильюшина≫)で、2014年の法改正[1]を受けて公開株式会社から公共株式会社に移行し、現在の名称になっている。 「イリユーシン」は日本語文献では慣例的に「イリューシン」と書かれるが、ロシア語では「Ильюшин」なので「イリユーシン」となる。この姓が「イリューシン」すなわち「?ллюшин」となるのはウクライナ語である。ロシア語で「Илюшин/イリューシン」と言った場合は全く別の姓になる。 当設計局製の機体に付けられているIlという接頭辞は、ラテン文字では大文字の「I」と小文字の「l」が同じような表記になってしまうので、文献では「l」を筆記体にしたI?といった表記にする事が多い。なお、ILとする場合もあるが、本来のロシア語(キリル文字)ではИлと2文字目は小文字で表されることに注意が必要である。 イリューシン設計局はソ連時代の1933年に設立された。開設当初は意欲的に様々な機種の製作に取り組み、その範囲は戦闘機・爆撃機・輸送機に及んだ。各種研究機はソ連の航空機技術の発展に大きく寄与した。実用化された中でもっとも重要な機種といえるのがDB-3で、この機体は赤軍の主力中型爆撃機として大祖国戦争で使用された。その改良型のIl-4は、開戦時のソ連において最も近代的な航空機であると言われた。 そのほか、第二次世界大戦時には対地攻撃機(シュトゥルモヴィーク)Il-2が赤軍の勝利に大きな貢献をした。非常に多くの数が製造されたこの重シュトゥルモヴィークは、ドイツ軍の戦車を大量に破壊し、枢軸国軍のロシアへの侵攻に歯止めをかけた。 戦後は専ら旅客機タイプの航空機の設計を行い、Il-14やIl-18、Il-62などはTu-134やTu-154と並んでアエロフロートの代表的旅客機であった。また、Il-76はソ連後期の主力輸送機となり、世界中の軍や民間会社で多数が運用されている。また、Il-76からはさまざまな特殊用途向けの機体が開発され、その中でもIl-78はロシア空軍で唯一の専用空中給油機として重要な位置にある。また、ベリエフ設計局の開発した早期警戒管制機A-50も、機体はIl-76がもとになっている。 イリューシン設計局の航空機は主としてロシアのヴォロネジやウズベキスタンのタシュケントの航空機工場で生産が行われていた。 1991年12月のソビエト連邦の崩壊後、イリューシンは「S・V・イリューシン記念航空複合体」となって従来設計局の下で航空機の製造を行ってきたVASOと共に「イリューシン会社」を設立し、株式保有率の関係からVASOの強い影響下に置かれることとなった。また、イリューシンの設計した機体の製造はボロネジのVASO(ヴォロネジ航空機製造合同)、タシュケントのTAPOiCh(V.P.チカロフ記念タシュケント航空機製造合同
社名
概要Il-2Il-14MIl-18Il-20Il-28Il-62MIl-76MFIl-86Il-103