Apple Rhapsody開発者Apple
OSの系統BSD/NEXTSTEP
開発状況Mac OS X Server 1.2 v3 (Rhapsody 5.6) で終了
ソースモデルクローズド・ソース
プラットフォームx86/PowerPC
カーネル種別ハイブリッドカーネル
ライセンスプロプライエタリ
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Rhapsodyは、1996年後半のAppleのNeXT買収から1998年のMac OS Xが発表されるまでの間における、Appleの次世代オペレーティングシステムの開発コードネーム。
Rhapsodyは、よりMacらしく見えるようにする新しいGUIと一緒にPower Macに移植されたOPENSTEPオペレーティングシステムによって概ね成り立っている。QuickTimeとAppleSearchを含むいくつかのClassic Mac OSの技術もRhapsodyに移植した。Rhapsodyは、エミュレーション層のBlue Boxを使ってMac OS 8も実行できた。また、Yellow Box[1]と呼ばれたオブジェクト指向を備えたAPI群によって、Macintoshだけでなく、PC/AT互換機でも動作させるマルチプラットフォームを指向していた[2]。 Rhapsodyは1997年のWWDCで最初のデモンストレーション(デモ)を行なった。インテルのx86のCPU版とPowerPCのCPU版の2つの開発者版のデモが引き続いて行なわれた。この後、Blue BoxがPowerPC上である程度使用可能になるPremier版と、続く1998年の第2四半期にPowerPC上のBlue Boxが完全に装備される完全なUnified版が登場すると発表した[3]。2つの非常に異なるシステムの機能を統合させるAppleの開発スケジュールは、今後のリリースの機能を予測困難なものにした。1998年5月のニューヨークのMacWorld Expoにおいて、スティーブ・ジョブズは、Rhapsodyは(1999年に出荷される)Mac OS X Server 1.0に名称を変更[4]し、サーバー向けOSとしてリリースされることを発表した[5]。このバージョンのRhapsodyは、あくまでサーバのプラットフォームでしかなく、Macintosh用アプリケーションを動かすための製品ではないため、通常のユーザーとは全く無縁である[6]。そのソースコードから、DarwinとオープンソースMac OS Xがフォークされた。 Rhapsodyオペレーティングシステムの決定的な特徴は、既に旧世代OS化していた従来のMac OSとは根本から異なりMach 2.5マイクロカーネルを採用し、4.4BSDのシステム、Nextで開発されたOpenStep仕様準拠のオブジェクト指向なAPI群のYellow Box、従来のMac OSと互換性のあるインタフェースClassicとJava仮想マシンが搭載されることであった[6]。 そのユーザインタフェースは後にMac OS 8のプラチナアピアランス(アピアランスとはデスクトップやウィンドウの外観を変えることができる機能。この場合、プラチナ調のアピアランスのこと)[7][8]でモデル化された。以前のバージョンのMac OSのFinderによるファイル管理機能はOPENSTEPのWorkspace Managerに替わって制御されることとなった。従来のMac OSのFinderには見られないOPENSTEPから継承された追加機能は、後のmacOSのFinderに繋がるcolumn view
歴史
企画・設計
Power Macのアーキテクチャ上で実行されている場合にのみ使用できるRhapsodyのBlue Box環境は、Classic Mac OSアプリケーションとランタイムライブラリの互換性を提供する責任があった。後にMac OS Xで実装される、より合理的で統合されたClassic互換レイヤと比較すると、Blue Boxのインターフェイスは、エミュレートされたClassic Mac OSアプリケーションとRhapsodyのネイティブなアプリケーションの間に明確な壁があることをユーザーに痛感させるものであった。すべてのエミュレートされたアプリケーションとその関連する作業用ウィンドウを、ネイティブなYellow BoxのAPIを使用したアプリケーションを点在させる代わりに、1つのBlue Boxのエミュレーション用ウィンドウにカプセル化する仕組みだった。