ROXY_MUSIC
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全英チャートで4位[61]。本作からの先行シングル「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、アメリカでロキシー・ミュージックの名を広めた。同年10月、ガスタフソンを起用してイギリス・ツアー[注釈 29]、11月から翌1976年3月までリック・ウィルスを起用して北米とスカンジナビアでツアーが行なわれ、新旧の楽曲に加えてフェリー[注釈 30]、マンザネラ[注釈 31]、マッケイ[注釈 32]のソロ・アルバムの収録曲も取り上げられた[注釈 33][63][64]

同年6月末、解散を発表[65]。同年8月、ライブ・アルバム『VIVA!ロキシー・ミュージック』が発表された。
1978年 - 1983年

解散後、ソロ活動を行なっていたフェリー[66][注釈 34]、イーノと結成した801やフェリーのソロ・ツアーで活動していたマンザネラ、TV番組『ロック・フォリーズ』の音楽監督などを務めたマッケイ、フェリーのソロ活動に協力していたトンプソンの4人は、1978年にロキシー・ミュージックを再結成[67]。これまでのベースに加えてキーボードにも準メンバーが起用されることになった。

1979年3月、ゲリー・ティブス(ベース)、アラン・スペナー(ベース)、ポール・キャラック(キーボード)を起用して、4年ぶりの新作アルバム『マニフェスト』を発表。以前よりもポップな音作りに変化した[独自研究?]が、退廃的な美学は不変であった。同アルバムは全英チャートで最高位7位[68]を記録して計34週間に渡って登場し続け、全米チャートでも最高位23位[69]を記録した。「ダンス・アウェイ」がシングル・カットされて全英2位[70]。アルバム発表に伴なってワールド・ツアーが始まり、ヨーロッパ、アメリカ、さらに4月末には初の日本公演が行なわれ、5月の約3週間のイギリス・ツアーで幕を閉じた[注釈 35][71][72]

同年後半、デビュー当時からのメンバーで、ファンからThe Great Paul Thompsonの称号を与えられて[73]熱烈な支持を受けてきたトンプソンが、新作アルバムの制作が始まる前に脱退[74]。正式メンバーはフェリー、マンザネラ、マッケイの3人になった。ドラムスにもセッション・ミュージシャンを起用して、1980年5月にアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』を発表[74]。オリジナルの新曲に加えて初めて他人の曲を取り上げた[注釈 36]同アルバムは6月に全英チャートの首位を記録し、一週間でその座を降りたものの、8月末に再度返り咲き、そのまま9月にかけて3週間居座った[75]。彼等のアルバムが全英で首位に立ったのは、『ストランデッド』(1973年)以来だった。同年後半に「オーヴァー・ユー」、「オー・イエー」、「セイム・オールド・シーン」がシングル・カットされ、前2曲はいずれも全英チャートで5位、「セイム・オールド・シーン」は全英12位を記録し[75]、同年公開されたアメリカ映画『タイムズ・スクエア』で使用された。ツアーは5月から8月までヨーロッパとイギリスで行なわれ、ティブス、キャラック、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、ニール・ハバード(ギター)が参加した[76]

同年12月8日にジョン・レノン射殺されると、彼等はドルトムントのWestfalenhallenで12月19日と20日に開かれたRock Popに両日出演してコンサートを開いた際、最後にレノンを追悼して「ジェラス・ガイ」を披露した。その翌週に同曲を録音して1981年2月に発表すると、彼等のシングルで初めて全英チャートの首位に輝いた[77]

1982年5月、復活第3弾アルバム『アヴァロン』を発表。全英1位を獲得[78]し、彼等のアルバムで最も評価が高く[79]人気がある[43]とされる。先行シングル『夜に抱かれて』は全英6位を記録した。その後、1982年8月中旬から10月1日までヨーロッパ各国[注釈 37]とイギリス、1983年2月に日本、同年4月末から5月末までアメリカとカナダと大規模なワールド・ツアーが行なわれ、3人の正式メンバーとニューマーク、ハバード、スペナー、フォンジ・ソーントン(バック・ヴォーカル)らの計11人がステージに立った[80]。8月27日のフレジュス公演の模様は、VHS『ザ・ハイ・ロード』(1983年)[81][注釈 38]として発表された。また同年9月30日のグラスゴー公演の音源からは、4曲入りEP『ザ・ハイ・ロード』(1983年)が発表された。

ツアー終了後、彼等は解散した[82]
2001年以後ロンドン・ エクセル展覧会センター (2006年7月)
2001年 - 2011年

2001年、再結成。ワールド・ツアー[83]。3度目の来日公演。

2010年、フジロックフェスティバル '10(7月31日)[84]。にて4度目の来日。同年にはサマーフェスティバルツアー(6月17日 - 9月11日)を敢行[85]

2011年、「For Your Pleasure」バンド結成40周年記念ツアー:英国アリーナツアー(1月25日 - 2月7日)・オーストラリア - ニュージーランド・ツアー(2月 - 3月)[86]
2019年

2019年、ロックの殿堂入り。受賞者はフェリー、シンプソン、マッケイ、イーノ、トンプソン、マンザネラ、ジョブソン、ジョン・ガスタフソン[87]。3月29日の授賞式には、フェリー、マッケイ、マンザネラ、ジョブソンが出席した。
2022年

2022年、デビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』の発売50周年を記念し、11年ぶりに再結成ツアーが行なわれた[88]。9月から10月にかけて、カナダ、アメリカ、イギリスでコンサートが合計13回催された。
メンバーと担当楽器

在籍中のメンバー名前担当楽器在籍期間
ブライアン・フェリー
(Bryan Ferry)ボーカル
キーボード
ピアノ
リズムギター1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
アンディ・マッケイ
(Andy Mackay)サクソフォーン
オーボエ
キーボード
バッキング・ボーカル1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
ポール・トンプソン
(Paul Thompson)ドラムス1971年 - 1980年
2001年 - 2011年
2022年 -
フィル・マンザネラ
(Phil Manzanera)リードギター
バッキング・ボーカル1972年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -

旧メンバー名前担当楽器在籍期間
グラハム・シンプソン
(Graham Simpson)ベース1970年 - 1972年
※2012年没
ブライアン・イーノ


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