RKO
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1919年、映画製作に興味を持ったイギリスの輸出入会社ロバートソン=コールがこれを併合し、1921年ハリウッドにスタジオを建設して映画製作業を開始した。1922年ハリー・M・バーマン、ジョセフ・P・ケネディらアメリカの映画製作者グループが買収してFBO(Film Booking Office of America、フィルム・ブッキング・オフィス)と改名。フランスのパテ社などからも作品を輸入して上映していた。

トーキー映画開発期には、"Photophone"という独自のシステムを導入する目的で介入してきたRCA(Radio Corporation of America、レイディオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)を経営していたユダヤ系アメリカ人のデビッド・サーノフ[2][3]が劇場チェーンのKAO(Keith Albee Orpheum、キース・アルビー・オーフィアム)とFBOを合併させ、1928年、RKO(Radio Keith Orpheum、レイディオ・キース・オーフィアム)が誕生した。

この段階で映画スタジオ、独自の映画配給網と会社専用の映画館[注 1]を所有していたRKOは、スタジオ・システム成立の一翼を担った。Radio Picturesと後ろに続くのは、当時全米の一大ラジオ網を支配していたRCA[注 2]の影響である。この会社は映画だけでなくラジオ(後にはテレビ)という、当時の主要メディアをほぼすべて支配していたのである。
最盛期の作品群

キング・コング』(1933年、メリアン・C・クーパー/アーネスト・シュードサック監督)、『男の敵』(1935年、ジョン・フォード監督)、『市民ケーン』(1941年、オーソン・ウェルズ監督)、『偉大なるアンバーソン家の人々』(1941年、オーソン・ウェルズ監督)、『素晴らしき哉、人生!』(1946年、フランク・キャプラ監督)など、RKOの最盛期の1930年代から1940年代にはハリウッド全盛期の作品を数々と生み出した。

また、RKOは、1930年代にフレッド・アステアジンジャー・ロジャースを起用した人気ミュージカルのシリーズを製作した。その中には、『コンチネンタル/離婚協奏曲』(1934年、マーク・サンドリッチ監督)、『トップ・ハット』(1935年、マーク・サンドリッチ監督)、『有頂天時代』(1936年、マーク・サンドリッチ監督)などがある。

ジョニー・ワイズミュラー主演の『ターザン』シリーズの製作や、ウォルト・ディズニー製作の短編アニメーションや、『白雪姫』(1937年)、『ファンタジア』(1940年)などの長編アニメーションの配給も行った。また、アルフレッド・ヒッチコック監督の『断崖』(1941年)や『汚名』(1946年)もここで製作された。そしてRKOの最大のヒット作は『聖メリーの鐘』(1945年、レオ・マッケリー監督)だった。

また、1940年代、ヴァル・リュートンによる独特の雰囲気を持つ、『キャット・ピープル』、『私はゾンビと歩いた!』などのホラー映画のシリーズものや、1950年代には、ニコラス・レイ監督(『夜の人々』(1949年)、『危険な場所で』(1952年))やフリッツ・ラング監督(『口紅殺人事件』(1956年)、『条理ある疑いの彼方に』(1956年))のような多くのフィルム・ノワールB級映画として同時に製作された。
混迷に満ちたハワード・ヒューズの経営

ただ、複雑な創立以来の大株主の入れ替わりで、オーナー交代による経営危機は脱することができず、特に、1941年12月以降にアメリカも参戦した第二次世界大戦中での観客動員の落ち込みはひどかった。

1948年には億万長者で実業家のハワード・ヒューズが大株主として会社を買収し、数週間の間にスタジオの従業員を3分の2まで減らし、1949年の半年間スタジオの全従業員の思想信条(左翼組合と共産主義)の徹底調査を行っていたが、その間に映画スタジオが閉鎖された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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