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RIP SLYME
RIP SLYME(2016年8月13日)
基本情報
出身地 日本
ジャンルヒップホップ[1]
活動期間
1994年 - 2018年
2022年 -
レーベル
ファイルレコード(1995年 - 2001年)
ワーナーミュージック・ジャパン(2001年 - 2018年)
Slmones(2022年 - )
事務所
田辺エージェンシー(2000年 - 2021年)
Slmones(2022年 - )
公式サイトRIP SLYME OFFICIAL HP
メンバー
RYO-Z(MC)
ILMARI(MC)
DJ FUMIYA(DJ)
旧メンバー
DJ SHOJI(DJ)
DJ Shige(DJ)
SU(MC)
PES(MC)
RIP SLYME
YouTube
チャンネル
リップチャンネル - RIP SLYME Official YouTube Channel -
活動期間2021年 -
ジャンル音楽
登録者数約3.5万人
総再生回数約2750万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年7月19日時点。
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RIP SLYME(リップスライム)は、2MC+1DJで構成される日本のヒップホップグループ。事務所は2021年まで田辺エージェンシー、レコード会社は2018年までワーナーミュージック・ジャパンにそれぞれ在籍。ヒップホップ・クルーFUNKY GRAMMAR UNITに所属。2018年10月30日より活動を休止[2]。その後、2022年4月15日よりRYO-Z、ILMARI、DJ FUMIYAの3人体制で活動を再開した。 名前生年月日血液型出身地パート備考 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2015年7月) 1994年8月、RYO-Z, ILMARI, PES, DJ SHOJI, DJ Shigeの3MC+2DJにて結成。グループ名の由来は、初期メンバーでありMCであるRYO-Z, ILMARI, PESの頭文字を取り、それに当時流行していた玩具「スライム (SLIME)」の綴りを変えた"SLYME"を組み合わせた物。元々はギビニバンコ、トゥエンティ・フォー・セブンという名義でも活動していた。同年12月、「YOUNG MCS IN TOWN 新人ラッパーコンテスト」で優勝している。 メジャーデビューは2001年3月だが、プロジェクト自体は田辺エージェンシーとワーナーミュージック・ジャパンによって1年前の2000年から始められていた[3]。デビュー翌年にリリースされたセカンドアルバム『TOKYO CLASSIC』は、日本のヒップホップ史上初の100万枚を記録した[3][4]。
メンバー
RYO-Z (1974-07-15) 1974年7月15日(49歳)AB型東京都MCリーダー
ILMARI (1975-06-17) 1975年6月17日(48歳)A型ヘルシンキMC
DJ FUMIYA (1979-03-14) 1979年3月14日(45歳)A型神奈川県DJトラックメイカー
元メンバー
DJ SHOJI(ショウジ)本名 : 中田 祥二(なかだ しょうじ)
DJ Shige(シゲ、1974年10月7日 - )本名:岩崎 成之(いわさき しげゆき)
東京都東大和市出身。DJ担当。初期メンバーの1人。
現在、静岡県伊東市の"キャトルサンドイッチズ
SU
PES
サポートメンバー
WISE(TERIYAKI BOYZ) : 2017年のSU不在時よりサポートラッパーとして参加。2022年の活動再開以降もライブに参加。
おかもとえみ(フレンズ) : 2022年よりライブに参加。
来歴
結成
インディーズ時代
1995年、アルバム『Lip's Rhyme』でデビュー。
1996年、DJ SHOJI, DJ Shigeが脱退。DJが不在になる。
1997年、DJ FUMIYAが加入。3MC+1DJの形態になる。
1998年、アルバム「Talkin' Cheap」を発売。
同アルバム収録曲"Searchin'"でのコラボレーションを切っ掛けにSUが加入。4MC+1DJの形態となる。
1999年、Dragon Ash主催のTMC (Total Music Communication) ツアーに誘われ参加。それがきっかけで「田辺エージェンシー」から声を掛けられ所属(TMCには2000年も引き続き参加)。
メジャー時代
2000年代
2001年
3月22日、シングル「STEPPER'S DELIGHT」でメジャーデビュー。
同年、メジャー1stアルバム『FIVE』を発売。
2002年
3月31日、ピチカート・ファイヴのトリビュート・アルバム「戦争に反対する唯一の手段は。-ピチカート・ファイヴのうたとことば-」で「nonstop to tokyo」をカバー。
7月24日、2ndアルバム『TOKYO CLASSIC』を発売。初のオリコン初登場1位を獲得。同じ日に発売されたSMAPのアルバムを抑えて1位獲得した。この発売を記念して、購入者を先着で日本武道館での特別ライヴに無料招待している。
日本のヒップホップアーティストとして初めて日本武道館でライブを開催した[5]。
同年10月、ヒップホップグループのキングギドラがリリースしたアルバム『最終兵器』収録曲「公開処刑 feat. BOY-KEN」にてK DUB SHINEにディス(批判)される。その後同年11月に発売したシングル「BLUE BE-BOP」のMVの終盤部分で「THANK YOU FOR YOUR KIND ADVICE AND SUPPORT!(意:親切な忠告と応援をありがとうございます)」との表現があった(後の2004年8月、「blast」誌上のインタビューでK DUB SHINEは「もう批判はしない」といった意の発言をしている)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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