RFラジオ日本
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NHKワールド・ラジオ日本」あるいは「ニッポン放送」とは異なります。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本テレビホールディングス > アール・エフ・ラジオ日本

株式会社アール・エフ・ラジオ日本
RF RADIO NIPPON CO.,LTD.
本社所在地の三共横浜ビル
「明治安田生命ラジオ日本ビル」時代の
2009年11月撮影
種類株式会社
略称RF、ラジオ日本
本社所在地 日本
231-8611
神奈川県横浜市中区長者町5丁目85番地
(三共横浜ビル)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度26分32.3秒 東経139度37分55.7秒 / 北緯35.442306度 東経139.632139度 / 35.442306; 139.632139座標: 北緯35度26分32.3秒 東経139度37分55.7秒 / 北緯35.442306度 東経139.632139度 / 35.442306; 139.632139
設立1958年昭和33年)8月15日
(株式会社ラジオ関東)
業種情報・通信業
法人番号8020001014163
事業内容放送法に基づく一般放送事業 など
代表者高橋洋一(代表取締役社長
資本金1億円
純利益▲1億3215万4000円
(2023年3月期)[1]
総資産4億4495万6000円
(2023年3月期)[1]
従業員数32人(2019年7月1日現在)
決算期3月31日
主要株主日本テレビホールディングス 96.4%
(2023年3月1日時点)[2]
主要子会社ラジオ日本音楽出版
関係する人物河野一郎
遠山景久
小林與三次
外部リンクwww.jorf.co.jp
特記事項:日本テレビホールディングス非連結子会社
1981年昭和56年)10月1日に株式会社ラジオ関東から商号変更。
同局では、送信所中継局を放送局と称する。
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アール・エフ・ラジオ日本
RF RADIO NIPPON CO.,LTD.
川崎幸放送局
種別AMラジオ放送
放送対象地域神奈川県
系列独立系
略称RF
愛称ラジオ日本
コールサインJORF
開局日1958年12月24日
本社231-8611
神奈川県横浜市中区長者町5-85
三共横浜ビル
演奏所本社及び東京支社
〒106-8039
東京都港区麻布台2-2-1
麻布台ビル北館2階
親局 / 出力横浜(川崎幸放送局) 1422kHz / 50kW
主な中継局小田原 1485kHz JORL 100W
横浜FM補完中継局 92.4MHz 5kW
公式サイト ⇒http://www.jorf.co.jp/
特記事項:番組の殆どは東京支社から放送されている。
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株式会社アール・エフ・ラジオ日本(アール・エフ・ラジオにっぽん、: RF RADIO NIPPON CO.,LTD.[3][4])は、神奈川県放送対象地域として中波放送(AMラジオ放送)を実施する特定地上基幹放送事業者である。

通称はラジオ日本(ラジオにっぽん)[注 1]。旧社名はラジオ関東(ラジオかんとう)。日本テレビホールディングスの非連結子会社[5]
概要

ラジオネットワークに属さない独立放送局であるが、同じ独立放送局のラジオ関西[注 2]岐阜放送と提携して番組を相互供給している[注 3]

かつては極東放送(現・FM沖縄[注 4]とネットを組んでおり、この4地域(神奈川県・東京都 周辺、兵庫県岐阜県沖縄県)のみの天気予報をニュース番組で放送していた時期があった。

AMステレオ放送の実施実績はなく、2011年4月12日にradikoで配信を開始してステレオ聴取が可能になった。

かつての商号は『株式会社ラジオ関東』(通称:ラジ関)であったが、1981年10月に『株式会社アール・エフ・ラジオ日本』(通称:ラジオ日本)に商号変更した。当初は『株式会社ラジオ日本』に変更する計画であったが、既存のNHK海外向け国際放送「ラジオ日本」や「ニッポン放送」との混同を回避するため、郵政省の行政指導で『株式会社アール・エフ・ラジオ日本』とした。1982年にニッポン放送が商号の使用差し止めを求める裁判を起こしたが、ニッポン放送の敗訴となった[6]

1977年まで毎日新聞社から全国ニュースの供給を受けたが、1978年に供給元を読売新聞社へ変更して以後、聴取率低迷と経営の混乱が生じた。

混乱を収束するために日本テレビの資本参加を受けて傘下となり、日本テレビホールディングス (NTV HD) がウェブサイトで「日本テレビ系ラジオ中波放送」としている。アナウンサーが輪番制で同局に出向し、日本テレビの協賛番組(坂上みきのエンタメgo!go!、小鳩の愛 ?eye?わたしの図書室、日テレアナ・ザ・ワールド!他)を放送している。

日本テレビが放送持株会社体制へ移行後、親会社が新・日本テレビの子会社となり、のちに再びNTV HDとなり、非連結子会社となった。

神奈川県域局でありながら、1978年 以降は日本テレビ、読売新聞社と資本の関連があり、いずれも東京都が本拠である読売ジャイアンツ東京ドーム主管試合)、東京ヴェルディ1969味の素スタジアム国立霞ヶ丘競技場陸上競技場他都内主管試合)で広告看板(なんだろうマーク付き)を掲示したことがある[注 5]

南関東1都3県の中波局では唯一、神奈川県小田原市に中波の中継局を持つ[7]
FM補完中継局(ワイドFM)

FM補完中継局(ワイドFM)用として92.4 MHzが割り当てられており、2019年(平成31年)1月31日に総務省関東総合通信局から無線システム普及支援事業費等補助金の交付決定を受けた[8]。2019年(令和元年)6月26日に総務省関東総合通信局から予備免許が交付された[9]。2020年(令和2年)1月に試験電波の送信を開始し、3月16日5時から本放送を開始した[10]。2020年2月16日までにラジオ日本以外の全民放AM放送局はFM補完中継局の本放送を開始している[11][12]

ラジオ日本を含む全国のAM放送を行う民放ラジオ44社(北海道秋田県を除く)は、2028年秋までにAM放送を停波し、FM放送へ一本化またはAM放送を補完放送にする計画であることを2021年6月15日に発表した。現行の制度ではAM局がFM局に転換することは困難であるため、2022年度に法規制の改正を行う予定としている[13][14]。総務省は2024年2月にAMの停波実証実験を行う予定であるが、ラジオ日本は後述の理由で高齢層の支持が率高くAM放送の聴取が多いとして、同実験に参加しない[7][14]
「社会の木鐸」宣言

ラジオ関東は開局以来「洋楽のラジ関」[注 6] の通称で親しまれ、同局がイベントで出展するブースは自慢の洋盤ジャケットコレクションが掲示された。

その後も女性アイドル番組など幅広く扱っていた[注 7] 他、1970年代後半には吉崎四平プロデューサーがコールサインの「JORF」を「JOロックフレンズ (Rock Friends)」と読ませ、ロック音楽に力を入れた[15]

報道協定を毎日新聞社から変更した読売新聞社は、もともと毎日新聞社や朝日新聞社とともに日本テレビのほかに東京放送(TBS)とも関係を持ち、同社のラジオニュースは日替わりで3社が交代ローテーションをしていた。1974年3月に首都圏キー局の放送局と新聞社は資本系列と報道協定を調整することになり、読売新聞社は日本テレビと協定を強化することとなったため読売と協定関係を結ぶラジオ局は朝日と共に消失し、首都圏ラジオ局のうちTBSラジオとラジオ関東、FM東京が毎日と、ニッポン放送文化放送サンケイと関係を持つといった偏った事態となった。
1977年(昭和52年)に読売新聞社は、「巨人戦の単独独占中継権とネット局を含む自社の宣伝及びニュース放送を抱き合わせで契約したい」と提案する。NRNのキー局でフジサンケイグループを形成するニッポン放送と文化放送、JRNのキー局で毎日新聞系のTBSラジオ、日本経済新聞系の日本短波放送(NSB)や、新聞資本とは無関係のFM東京の各局はいずれも提案を受け入れなかったため、同年末にラジオ関東と読売とが交渉し、翌1978年(昭和53年)1月1日付から報道・資本協定関係を読売と結ぶことを締結することになる。そして、創業に尽力した河野一郎の意を受けて経営に当たった遠山景久はこのタイミングに乗じて、ワンマン体制を強化する。

1981年10月から、社名を「アール・エフ・ラジオ日本」に変更。局名公募はあくまで表向きで、実際は当時の遠山景久社長の強い意向だった。中吊り広告などで「決定的瞬間 ラジオ日本誕生」と広告していた(10月以降、テレビ・ラジオCMを放送した)が、長年NHK国際放送に「ラジオ日本(ニッポン)」の名称を用いており、世界的に知名度が高かったため、NHKは善処を申し入れたが遠山が拒否した。NHKは、「ラジオ日本(ニッポン)」を1981年(昭和56年)5月商標登録出願して、遠山に「ラジオ日本(ニッポン)」の名称使用を禁じた。ニッポン放送も「名称が酷似して聴取者を混乱させる」と不正競争防止法違反で告訴した。ニッポン放送は敗訴したが苦肉の策として、社名の頭にコールサインの一部である「アール・エフ (RF)」を付けざるを得なくなった[注 8]。関連して、これ以降は中波本局周波数を冠につけて「1422・ラジオ日本」(いちよんにーにー)というようになり、FM補完放送開始後は「FM924・AM1422」(エフエムきゅーにーよん、エイエムいちよんにーにー)へと変わっていく。

1978年、巨人主催試合のラジオ中継を完全にラジオ関東の独占にしたため、地方局向け、特にその県に1局しかないAM局(ジャパン・ラジオ・ネットワーク〈JRN〉、全国ラジオネットワーク〈NRN〉並列加盟)の局ではナイター中継の協賛スポンサーの営業面 確保に苦戦を強いられた。1979年に読売新聞社とラジオ関東から番組販売購入を受ける形でTBSラジオに販売。1981年までは試合日毎にそれぞれのライン毎の本番とは別に、ラジオ関東製作のJRN向け裏送り、またはTBS・地方系列局制作のラジオ関東-ラジオ関西-岐阜放送向けの裏送りを行った試合が存在した。

1982年(昭和57年)、「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}社会の木鐸(しゃかいのぼくたく)」宣言[注 9]を行い、左派系マスコミの糾弾キャンペーンの一つとして反共主義色の濃い論説、演歌の多い中高齢層対象の番組を中心に編成を一変させ、若者向け番組を大幅に削減[16][17]。タクシーやトラックの運転手、一部の保守的リスナー層に浸透した一方で大幅な聴取率低下を招いたため、多くのスポンサーが撤退して、経営悪化が深刻になった。


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