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原語表記Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona, S.A.D.
愛称Periquitos (セキセイインコ)
Blanquiazules (青と白)
クラブカラー 青
白
創設年1900年
所属リーグセグンダ・ディビシオン
所属ディビジョン2部(2023-24)
昨季リーグ順位19位(2022-23)
ホームタウンカタルーニャ州バルセロナ
ホームスタジアム
RCDEスタジアム
収容人数40,000人
代表者 陳雁昇
監督 ルイス・ミゲル・ラミス
公式サイト ⇒公式サイト
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
RCDエスパニョール(カタルーニャ語: Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona; カタルーニャ語発音: [r??ja? ?k?ub d?pur?tiw ?sp????? d? β?rs???on?], スペイン語: Real Club Deportivo Espanyol de Barcelona)は、スペイン・バルセロナに本拠地を置くプロサッカークラブ。1900年に設立され、2023-24シーズンはセグンダ・ディビシオンに所属している。
歴史エスパニョールの選手達(1980年)
1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立[1]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Espanola de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Espanol de Futbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。
1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Espanol de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。
同じくバルセロナ県を本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーと呼ばれる。
2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を果たしている。下部組織からはダニエル・ハルケ、マルク・トレホンなどを輩出している。
2006年夏、ビルバオでUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。
2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではASリヴォルノ・カルチョ、マッカビ・ハイファ、ベンフィカ、ヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。
2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。
2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホン、ヌマンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。
2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャ、FCバルセロナ、レアル・マドリード、ビジャレアルとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。