RBG 最強の85才
RBG
監督.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
ジュリー・コーエン
ベッツィ・ウェスト
製作
ベッツィ・ウェスト
ジュリー・コーエン
製作総指揮
エイミー・エントリス
『RBG 最強の85才』(RBG)は、ジュリー・コーエンとベッツィ・ウェスト監督・製作による2018年のアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画である。合衆国最高裁判所陪審判事であるルース・ベイダー・ギンズバーグの人生と経歴に焦点が当てられている。2018年サンダンス映画祭(英語版)でプレミア上映された後、2018年5月4日より一般公開された。ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞のドキュメンタリー映画賞を獲得したほか、第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた。
日本でも公開されたほか、NHKがBS1「BS世界のドキュメンタリー」で放送した(カットのある45分枠、前/後編。字幕・ボイスオーバー混成)。 『RBG 最強の85才』は、アメリカ合衆国最高裁判所の判事であるルース・ベイダー・ギンズバーグの数十年にわたる経歴と、ポップカルチャーアイコンとなる一方で、いかに彼女が法律上の偉業を達成したかの記録である。この映画は、ギンズバーグがニューヨークのブルックリンで誕生し、大学で教育を受け、その後法律学の教員となり、ジミー・カーター大統領により連邦控訴裁判所の判事に任命され、最終的にビル・クリントン大統領により最高裁判所の判事に任命された経歴を伝記風に描いている。 ルース・ベイダーは、ブルックリンでユダヤ系アメリカ人家族の二世として生まれた。彼女はコーネル大学で学士号を取得し、夫であるマーティン・ギンズバーグ
内容
ルース・ベイダー・ギンズバーグは、アメリカ合衆国最高裁判所で、性差別に関する6つの訴訟のうち5つに勝利した。彼女は性別に基づくバイアスに立ち向かう男性と女性のどちらも弁護した。彼女が代理人となった原告の中には、アメリカ空軍で住宅給付金の差別に直面した女性であるシャロン・フロンティエロや、通常はシングルマザーのみに支払われる社会保障の利益を受けられなかった一人親の男性がいる。ギンズバーグがこれらの訴訟を弁護したのは1970年代だった。アメリカ社会で性差別が横行し、最高裁判所の判事が全員男性で、女性に対するバイアスの訴えに対しほとんどの場合で懐疑的だった時代である。
ジミー・カーター大統領により指名された後、ギンズバーグは1980年6月18日にコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判事として承認された。彼女の連邦控訴裁判所勤務は1993年8月9日で終了し、1993年8月10日に最高裁判所判事として宣誓就任し、その時、女性として史上2番目に任命された最高裁判事となった。上院の指名承認公聴会で中絶と差別についての質問に率直に回答した後、ギンズバーグは96対3の投票で承認された。クリントン大統領は、現在はもちろん、1980年代の党派政治的環境を考慮すると驚異的だったと言及する。
映画には、女性の権利にフォーカスしたギンズバーグの先駆的な経歴に関する、フェミニストのアイコンであるグロリア・スタイネムやNPRのニーナ・トーテンベルク(英語版)のインタビューが含まれる。最高裁判所に持ち込まれた画期的な訴訟のうち、それまで男子限定だったバージニア軍事大学(英語版)(VMI)に女子の士官候補生の入学を許可した1996年の判決について詳細に論じられる。数名の女性の VMI卒業生が、彼女たち個人にとって、そして女性の権利を得るというより大きな闘争において、その判決がなぜ重要だったのかを説明する。
映画はまた、シャナ・クニーズニクとイリン・カーモンの共著『ノトーリアスRBG:ルース・ベイダー・ギンズバーグの人生と時代[2]』(Notorious RBG: The Life and Times of Ruth Bader Ginsburg)の出版に端を発する、ギンズバーグのポップカルチャーアイコンとしてのステータスも記録する。クニーズニクとカーモンは「ノトーリアス・R.B.G」(Notorious R.B.G.)のTumblrも開始し、多数の支持者を得、Tシャツやマグカップといったグッズを生み出した。